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短編

キムチ鍋

毎週、水曜日に短編小説を、木曜日に長編小説の追加エピソードを投稿しています!

それぞれシリーズにまとめてありますので、よろしければ読んでみてください!

短編小説は仲良しカップルの日常系ラブコメが主ですが、たまに獣人とかも出てきます。


作品における既存のエピソードが更新されることがありますが、理由は誤字脱字及び細かな表現等の修正です。

作品の内容が大きく変わることは原則ございませんので、ご安心ください。

 まだ季節は秋だが、早朝に粉雪が舞ったという話を聞くに、実質的にはもう冬なのだろう。


 アスファルトまで凍りつきそうな夜道にはビュウビュウと身を切るような風が吹いていて、指先や鼻の頭、両耳など私の体の末端を全て痛いくらいキンキンに冷やした。


 暑さは食欲を失わせるが、反対に寒さは食欲を増幅し、ひもじさをより厳しいものに変える。


 先程から空っぽの胃を風が通り抜けている気がして、寒くて、お腹が空いて仕方がない。


 寒空の下、空腹を抱えながら残業帰りの道をトボトボと歩く私のテンションは、本来さがっていてしかるべきだ。


 だが、酷く空しい状況とは裏腹に私の心は小躍りしそうなほど浮かれていた。


 何故なら、今日は同棲中の恋人が自宅でグツグツと鍋を煮込んで私の帰りを待ってくれているからだ。


 テーブルの上に所狭しと並べられた野菜や肉に、二、三人用の大きな土鍋。


 彼から、『今日はお鍋だよ~』という可愛いメッセージ付きで送られてきた写真に、私は胸のトキメキを抑えられなかった。


『写真に見切れていたお鍋の元は……キムチ! 多分、キムチ!!』


 寒くなると温かくて栄養のある食べ物をとりたくなるわけだが、その中でも鍋は別格だろう。


 本格的に冬になれば週に一度は食べるようになってしまう鍋。


 特にキムチ鍋は私の大好物である。


 そのため、ギュルルと腹の虫が鳴いても不思議と不快感を覚えず、

「まあ、そんなに慌てるなって。すぐに美味しいものが食べられるからさ」

 と、自らの腹に語りかけられるほど心に余裕ができていた。


 ただ、それとは別に帰宅への欲求も底上げされたので、私は早足になって住宅街を進んで行った。



 ようやく到着できた自宅であるアパートの一室。


 カチャリとドアを開けると、ふわりと心地良い温かさが扉の向こうから溢れてきて私を優しく包み込んだ。


 途端、気がつかない内に張り詰めていた緊張が解れて、ドッと疲労がやってくる。


 私は重い体を引きずって、擦りガラス越しに白い明かりが零れるリビングへと向かった。


『あれ? いない』


 小さな折り畳み式の四角いテーブルの上にはカセットコンロが設置されているが、肝心の鍋そのものは存在していなかった。


 もちろん、彼もいない。


 私は床の上に鞄と脱いだジャケットを置き、代わりにレジ袋を一つ持つと台所へ向かった。


「ただいま」


 グラグラと茹る鍋に向き合って、熱心に料理をしている彼へ背後から話しかける。


 彼はクルリと振り返ると、「おかえり」と笑った。


 熱い物体と格闘しているためか、彼は全身を火照らせて軽く汗をかいている。


 ニコニコ笑顔の彼が温かそうで、おいしそうで、かわいくて堪らなかった。


「ただいま!」


 二度目のただいまと共に冷えた指先を彼のプニプニほっぺへ引っ付ける。


 すると彼が、

「冷たい!」

 と、悲鳴のような文句を溢した。


 キュッと身をすくめて首を引っ込ませ、代わりに両肩を持ち上げる姿は危険にさらされた亀のようだ。


 首元も狙って、隙あらば直で肩や鎖骨にも触れたかったが、キッとこちらを睨みつけた目つきが割と本気だったので、これ以上は悪戯をするのをやめておいた。


 代わりに、

「抱き着いてもいい?」

 と、問いかける。


 しかし、ワクワクと返事を待つ私に対して彼が返してきた言葉は、

「今は火を使ってるから駄目。もうできるからリビングで待ってて」

 という、無情なものだった。


 台所に立つ彼を怒らせると後が怖い。


 私は抱き着きたかったな、という思いだけを胸に大人しくリビングへ戻った。



「十分も経ってないのに、ねちゃったの?」


 椅子代わりの丸いモチモチクッションを枕のごとく頭の下に敷き、ウトウトと仮眠をとる私に彼が呆れ笑いを飛ばす。


 シッカリと鍋掴みを装着した両手にはホコホコと湯気を出す、大きな土鍋があった。


「疲れちゃってさ。ご飯? 手伝おうか?」


「そうだよ、ご飯。ほら、鍋をコンロに乗せるから、危ないよ。どいて」


「んー」


 ただ返事をしたつもりが、唸るような声が出てしまった。


 彼の「駄目だコイツ」と言う目線を受け入れつつ、芋虫のようにモゾモゾと床を這って道を開け、鍋の経路を確保する。


 すると、彼は鍋をカセットコンロにおいて別のクッションの上に座り込み、それからペチンと軽く私のお尻を叩いた。


「ほら、お手伝いしてくれるんでしょ。台所からお箸と器とお玉を持って来て」


 頼みごとを言い終えた彼が馬を追い立てるが如く、もう一度、私のお尻を軽く叩く。


 しかし、数秒経っても私が動かないのを見ると、

「———ちゃん? ———ちゃん? 聞こえてる? ———ちゃん」

 と、声をかけながら太ももを揺すってきた。


 どうやら、ふざけている内に眠ってしまったのだと勘違いしたらしい。


 寝転がったままキュッと後ろを振り向くと、彼が、

「起きてたんだ」

 と、目を丸くして笑った。


「起きてたよ。ねえ、———君」


「何?」


「私、『お手伝いなんていいよ、———ちゃん。疲れてるでしょ。俺がご飯の用意全部して、食べさせてあげる♡』って言われたかったな~。な~!」


 床に這いつくばったまま、キュルンとした上目遣いを作っておねだりを試みる。


 しかし、おねだりは失敗した挙句に強めにお尻を叩かれる羽目になったので、私は大人しく台所に食器類をとりに行った。


 食事で仕事着にシミを作ると「ブラウスのオキシ漬けするの、俺なんだからね!」と彼が怒るので、先手を打って部屋着に着替えておく。


 こうして、ようやく食事の準備が整ったので、私たちは鍋に舌鼓を打つことにした。


 えのきだけは歯に挟まる上に、そもそも食感が苦手なので避けて、器に白菜とネギ、豚肉、シイタケ、マイタケを盛り、最後にお玉半分の鍋つゆを注ぎかける。


 不格好ではあるが、お椀の中に小さな鍋ができたのが嬉しくて、私はニマニマと口角を上げた。


 まずは、見た目からして煮え切っておらず、まだシャキシャキとした食感の残っていそうな白菜に齧りつく。


 噛んだ瞬間に水気たっぷりな白菜からジュワッと天然の甘さが染み出てくるのが堪らない。


 もう少し時間を置けば、濃厚な味噌ベースのキムチ鍋つゆをタップリと吸って、噛んだ途端に口内へ旨味を溢れさせるような絶品に仕上がることだろう。


 しかし、今の水感が強い白菜を咀嚼し、新鮮な食感を楽しむとともに味の薄まった口内へ鍋つゆを注ぐのも一興である。


 また、彼のキムチ鍋には市販品の鍋つゆの他に同じく市販品のキムチが足されており、その上で、めんつゆ等による細かな味の微調整が行われているのだが、このキムチの白菜が時折サプライズのごとく口内に紛れ込んで濃い味付けを楽しませてくれる。


 ただの白菜とキムチの白菜を食べ比べ、食感や味の違いなどを楽しむのも乙だ。

 ネギや豚肉をモギュモギュと頬張ると体中に元気がみなぎる気がしてくるし、ホクホク、プリプリ食感なキノコ類には癒される。


 食材を全て食べきった後に肉と野菜の旨味をしっかり受け取った鍋つゆを飲み込めば、少し前までがっついていた胃が落ち着いて、幸福漂う満足感を覚えることができた。


『やっぱり、———君のキムチ鍋は美味しいな。この味を知ったら、もう、ただの市販品には戻れないよ……』


 私の胃はすっかり彼に握り込まれている。


 寒くなって手の込んだ料理をたくさん作ってくれるようになる今時期には、特に、その実感が強くなる。


 さて、まだまだお腹もすいているので食事は続けるつもりだが、それでも食欲が一定の落ち着きをみせると、脳にも「鍋を食べる!!」以外のことを考える余裕が出てくる。


「———君、家に炭酸水あったっけ?」


 鍋つゆではなく焼酎の炭酸割りで具材を流し込みたくなって、彼に問いかける。


「あるよ。———ちゃん、お鍋食べてたらお酒飲みたくなるだろうなって思ったから、買っておいた」


「ありがとう!!」


 私は愛しの炭酸水と愛飲の木○ブルーをとりに台所へと急いだ。


 炭酸水が冷蔵庫に突っ込まれているのを発見すると、既に上がっていたテンションがさらに急激な上昇をみせる。


 私は彼のご厚意に感謝を捧げながら炭酸割りを作ると、それとは別に麦茶のみを注いだグラスも持って彼の元へ戻った。


 あまり酒を好まない彼へ麦茶を渡す。


 彼は「ありがとう」と笑ってくれた。


 それからも私たちはグラグラと茹るほど温かい部屋の中で一緒に汗をかきながら鍋を食べ進め、冷えた飲料を口にした。


 そうすると、たいして時間も経たない内に鍋の残量が減っていって、大量にあった具材も鍋の上を点々とするようになる。


 このタイミングで、彼がシメの用意を始めてくれた。


 ところで、私たちの鍋のシメと言えば基本的にうどんで、たまにオジヤなのだが……


「うどんでも、お米でもない!?」


 ニコニコ笑顔の彼が持って来た黄色い物体に私の目が丸くなる。


「焼きそば麺だよ。鍋のシメに食べるとおいしいんだってさ」


「焼きそば麺!?」


「そう、焼きそば麺。味付けとかしてない、ただの焼きそば麺だよ」


 焼きそば麺の存在に面食らう私をクスクスと笑って、彼が鍋の中に次々と麺を投下していく。


 私も手伝って、計四つもの麺が鍋に放り込まれた。


「焼きそばだ……」


 コトコトと煮込まれる焼きそば麺を戦々恐々と見つめる。


 だが、完成した品を頬張るとクルリと手のひらを返すように感想が一転した。


「ラーメンだ!」


 食べた感じ、麺やわらかめの「なんちゃってラーメン」である。


 焼きそばと言えば、真っ先に思い付くのはソース焼きそばだろう。


 コリっと蒸し焼きにされた茶色い姿しか思いつかなかったため、つい鍋を色眼鏡で見てしまっていたわけなのだが、冷静に考えれば焼きそばも味付けされるまでは質素で柔らかなだけの麺である。


 むしろ、素朴でモチモチシンプルな麵が濃い鍋つゆに合わないわけがなかったのだ。


『焼きそば麺って麺単体だと高くないし、それでこんなに美味しいなら、次回以降もシメとして検討の余地ありね』


 私は思いもよらなかった焼きそば麺のポテンシャルに驚愕しつつ、ひたすら麺を貪った。


 一気に飲み込んでしまって胸焼けしそうになるのすら愛おしい。


 彼も焼きそば麺を気に入ったようで、瞳をキラキラと輝かせながら麺をムチムチと咀嚼している。


 私たちはシメを分け合って鍋を空っぽにした。


「お腹いっぱい!」


 口元を油でテラテラとさせた彼が満足そうに笑って壁に背をもたれさせる。


 彼のスマートなお腹がちょっぴり膨らんでいるのが気になった。


「コラ」


 つい、彼の太ももに頭を乗せて、そのまま彼の腹に自分の顔面を埋め、スウェット越しに感じられる、ふわふわと温かな癒しを堪能していたら叱られてしまった。


「もうちょっと」


 ただひたすらに動きたくないという、満腹感が故に生まれた怠惰な満足感が私の行動を著しく制限する。


 モタモタとゴネていると優しい彼が、

「それなら、もうちょっとだけね」

 と笑ってくれたので、私はあと少しだけ彼の好意に甘えることにした。


「ねえ、お腹いっぱいになった?」


 洗剤と彼自身の香りが混ざり合った非常に良い匂いのスウェットを嗅ぎながら、モゴモゴと問いかける。


 彼はコクリと頷いた。


「そうだね、美味しかったけど、やっぱりシメがお腹にきたなぁ」


「そっか。じゃあ、アイスはいらない? バニラのアイスあるよ」


「買ってきてくれてたの!? アイスは別! 食べる!!」


「今、食べるの?」


「うん!」


 元気いっぱいに返事をする彼がかわいらしい。


 私の中で鍋とアイスはセットだ。


 食事後に、かろうじて残っている胃の隙間をアイスで埋め込んで彼と笑い合う時間が幸せで堪らない。


 ただ、

「俺、アイスとってくるね!」

 と立ち上がった彼が、私をペッと床に捨てて行ったのだけは、ちょっといただけない。

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また、マシュマロにて感想や質問も募集しております。

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