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六花

「あれ? りっちゃんやないか、どないしたん」


 知らない男の声が、親し気に話しかけてきた。

 バイクのライトがまぶしく、そこにまたがる人物に目を凝らすと制服を着た若い警察官だった。


「木村さん、こんばんは。犬の散歩してるんです」


 六花が礼儀正しく答えると、警察官はちらりと俺を見てにやりと笑った。


「なんや、彼氏と散歩かいな」


「違います。この人、お兄ちゃんなんです」


 俺がすこしだけ頭を下げると、警察官は「ほな、気いつけて」と言ってバイクで走り去って行った。


「なんか、警官のくせになれなれしいな」


 俺が警戒心をあらわにすると、ひょいっと六花は俺のそばに寄ってきた。もうカイは六花に吠えず、しっぽを振っていた。


「木村さんは、奥さんと子供もいはんで。駐在所にいっしょに住んだはる」


 六花のどこかうれしそうな顔から目を背ける。


「別に、そういう意味で言ったんじゃあ――」


 俺の言い訳を最後まで聞かず、六花は歩き出した。


「去年な、うちに泥棒が入った時お世話になってん。仕事熱心な人で、それからうちのまわりパトロールしてくれたはる。今日もその帰りちゃうかな」


「母屋に、泥棒なんか入ったのか」


 俺にとって、初めて聞く話だった。


「留守の間に、荒らされてお金取られただけや」


 こんな田舎にも空き巣が入るご時世なのか。年寄りと若い女性の二人暮らしは、やはり危ないと言わざるを得ない。


 高台の公園には子供の遊具はなく、街灯とベンチがひとつ。それと、川の流れる音だけがそこにあった。


「わあ、懐かしい。ここ、よくお兄ちゃんときたなあ」


 六花は柵にかけより、眼下に流れる川面を見ていた。俺はカイのリードを街灯の支柱に括り付け六花の横にならぶ。


 見下ろすと川面は月光を受け、キラキラと星を散りばめたように輝いていた。夢幻峡と言う名に恥じない、夢にみる幻のように美しい景色だった。


「ここも、変わらないな」


 たしかこの公園を七年ぶりに訪れたけれど、何ひとつ変わっていない。ここだけではない、この村自体まるで変化を拒むように縮こまって存在し続けている。


 この流れも悠久の年月、同じ姿のままここにあり続けているのだろう。漆黒の川の流れを見ていると、川底に引きずり込まれそうな気がするけれど目が離せない。


 ……川にのまれてしまった方が、楽になれるのかもしれない。


「わたしも、あの頃と変わってへんよ」


 川面から視線を外し六花を見る。六花は体をよせ、正面から俺の目をのぞき込んできた。街灯を背にした六花の顔は闇に沈み、大きな目の中の光が消えている。


「変わらず、お兄ちゃんのことが好きや」


 かすかに白い息を吐き、まっすぐに気持ちをぶつけてくる六花から目を背ける。


「俺たちは、血がつながってなくても兄妹だ」


 六花はクスクスと笑い出し、俺に抱きついてきた。ふわりと、夜の冷え切った空気に甘い香りがまじる。

 妹ではない女の匂いを吸い込み、自分の保身の卑怯さに吐き気を催す。


「今さら、そんなこと言うん?」


 今さら……六花の言う通りだ。俺は確かめるために、ここに帰ってきたはずなのに。まだ、過去をこじあけるだけの勇気が持てないのか。


「ランチのお礼するな」


 六花は背伸びをして俺の耳元でささやくと、やわらかな唇を重ねてきた。

 六花とは数えきれないくらいキスをしたが、あの頃の情欲を呼び起こすには、あまりにも唇が冷たすぎる。


 閉じた唇を六花の舌がくすぐり始めた。甘いしびれにまどわされた唇の隙間から、舌が巧妙に侵入してきた。


 六花の冷たい舌先が、俺の舌をとらえ逃さぬようにからまってくる。瞬間、先ほどの快楽とは違うしびれが体中を走り、六花を突き飛ばした。


 よろめいた六花は、首を傾げて不思議そうな顔をしている。


「また、わたしのこと突き飛ばすん? いっつも、やらしいキスしてたやん」


 抑揚のないその台詞に全身が総毛立つ。闇に浮かび上がる六花の白い顔をみつめ、コートの袖口で震える唇をぬぐう。


「おまえとは、していない、おまえとは――」


「何言うてんの? 意味わからへん」


 ふたりの間にできた距離に、六花は心底心外だという顔をして一歩足をすすめた。

 俺の方が頭がおかしいのかもしれない。目の前にいる六花の容姿は、七年前の六花と何ひとつ違わない。


 しかし俺は、はっきりとした確信を持っていた。


「おまえは、六花じゃない。六花のようだけど、微妙にずれてるんだ」


「――ずれてる?」


 六花の顔から、表情がつるりと滑り落ちていく。


「六花は、たしかに明るくてハキハキした子だった。でもそれは、さみしさを隠すための鎧だったんだ。おまえは、何もかもあけすけなんだよ」


 昨日の車中から感じていた、違和感。明るい光に照らされた、隠しているものなどないという顔をした女なんて六花ではない。


 俺の知る六花は、孤独を抱え必死にそれを隠そうとして、それでもその影が透けて見えていたのが六花だったんだ。


「それに、おまえの体は冷たすぎる」


 腕に突然、強い痛みが走った。何が起こったのかと自分の腕に視線を落とすと、コートの上から俺の腕を握る六花の手に、青筋が立っている。


 女性とは思えないほどの強い力に、背中があわ立つ。はっと、六花の顔を見ると大きな二重の目が零れ落ちそうなほど、見開かれていた。


 その目の白目に黒い影がうごめいている。六花の中にいるナニカが体を突き破り外に飛び出そうとしているように。


「もうお兄ちゃん、冗談言うのやめて。神隠しにあったからって、わたしが誰やって言うの」


 まだ六花のフリをするこいつは、往生際悪くしらを切る。俺に、決定的なことを言わせたいのか。自分が追い込まれているフリをして、俺を追い込んでいるのか。


「おまえが、六花であるわけがないんだ」


 わなわなと唇が震え、喉がカラカラになる。それでも俺に言わせたいんだろ、おまえは。体の内側にあるすべてのものをぶちまける勢いで、俺は声を絞り出した。


「――だって、六花は俺が殺したんだから」


 六花の冷たい唇の両端が、クッと上がる。


「あーあ、言うてしもた。せっかく、わたしが六花を生き返らせたげたのに」


 ずっと隠して、隠し通していたことをぶちまけたら俺の中には何が残るのだろう。もう、死ぬしかないのかもしれない。いっそ、この六花もどきが殺してくれたらいいのだ。


『殺したりするわけないやろ。大事なお兄ちゃんやのに。もう、ひとりは嫌や』


 六花の俺をあわれむ意味ありげな声が、直接脳内に響く。瞬間、六花の全身から黒煙が勢いよく吹き上がり、あたりの景色をどんどん飲み込んでいく。


 これは俺の夢にも出てきた化け物の息づかいのような、うごめく黒煙だ。まるで、災厄を引き起こす、瘴気しょうきのような。


 耳をつんざくカイのおびえ切った鳴き声さえも、闇に飲まれていく。

 何も見えない、何も聞こえない。自分の姿さえ存在しないような漆黒の闇の中で、俺はいっしんに願っていた。


 これで終わりにしてくれ。楽にしてくれ。そう己の破滅を願いつつも、同時に落胆もしていた。


 六花、やっぱりおまえはもう死んだんだな。


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