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「六花の執着がみんなを排除していったんやなあ。おばあさんは、俺を東京へ帰そうとして。未希ちゃんは俺に結婚してくれと言ったから――」


 ここで、ふと言葉につまる。ふたりが殺された理由はわかった。しかし、山下さんの理由がわからない。


「山下さんは、なんで殺されたんや?」


 ナニカの表情がゆれる。言いたくないことを口にしなければならない戸惑いが、顔に現れていた。


「山下さんは、イツキさまの正体を見つけたから。斎皇女やなくて、ほんまはくびれ鬼っていう死神みたいな鬼やってん」


 頬に触れていたナニカの手が俺から離れていきそうになり、手に力を込めて押しとどめる。


「それが、おまえの正体なんか」


「わからん、自分でもわからんねん。わたしが何者であるかなんて。でも、私お兄ちゃんに嘘ついた。自分はお姫さまのイツキさまやって。だから、イツキさまの正体が鬼やったらきっと嫌われると思って――」


 それが、山下さんが殺された理由か。ナニカの瞳にはもう黒い影はうごめいておらず、かわりに涙で滲んでいた。


「そんなんで俺は、おまえのこと嫌いにならへん。俺も鬼やったんかもしれん」


 ナニカがきょとんと、不思議そうに小首を傾げた。


「お兄ちゃんは、鬼とちがって人間やろ」


「鬼は人間の中にこそ、あるのかもな」


 未希ちゃんの六花をバケモノと言い切った時の顔。

 母が、今の俺があるのは自分のおかげだと言い切った時の顔。


 どれも、鬼のような形相だった。きっと、いっしょに死のうと迫る六花を突き飛ばした俺も、同じような鬼のような形相だったことだろう。


「あの黒煙が六花の俺への執着なら、みんなを殺したんは俺みたいなもんや。みんなに謝っても謝り切れんけど」


 ナニカの冷たかった手は、俺の手に温められ温もりを取り戻していた。しかしナニカはあきらかに衰弱している。少しでも体力を取り戻さないと。


「いっぱいしゃべったな。つかれたやろ。休憩しよ。腹へったやろ。何にも食べてへんし。りんご食べるか」


 問題は山積みで、なにひとつ解決したわけではない。おまけに、ナニカの腹はさきほどより膨張しているように見える。


「……時間ないから。もうすぐ新しい六花が産まれる」


 りんごにナイフを当てむこうとしていた手が、六花の告白を聞きとまる。


「新しい六花?」


「死んだ時の六花は、生まれ変わってお兄ちゃんといっしょになることを願っててん。黒い影ではお兄ちゃんといっしょにいられへんから、体がほしかった。それで、お兄ちゃんの精をつかったんや」


 ……今なんて言った。俺は、手の中のりんごを取り落とした。俺が毎晩ナニカの体を抱いていたから、六花の記憶のある禍々しいものが肉体を持ったと言いたいのか。


「ごめん、ごめんなお兄ちゃん。最初はたしかに、お腹の中の六花に言われてお兄ちゃんに近づいた。でも、お兄ちゃんの優しさや温かさに触れたら、六花は関係なくてどんどん好きになったのは信じて」


「ああ、信じる。信じるから。もう、しゃべるな」


 血の気のないナニカの顔に、ぽたりと熱い液体が一粒落ちた。


「なんで、泣いてるん。お兄ちゃん」


「信じるって、難しいなあ。口でいくら好きや愛してるって言うても、信じられへんかったら、愛してることにならんのやなと思ったら、泣けてきた」


 未希ちゃんが倒れた時、ナニカは必死に自分ではない、信じてくれと訴えた。でも俺は、到底信じられなかったのだ。


 本当に、ナニカではなく六花の記憶を持つ黒煙がやったことだったのに。あそこで、信じるといえば事態は変わっていただろうか。


 ナニカが俺に絶望して昏睡しなければ、六花は新しい肉体を得ることを阻止できたのか。


 どんなにあの時ああすればよかったと懊悩しても、結果が覆るわけではない。それでも、人間は過去に後ろ髪をひかれるように悩むことをやめられない。


 無理やり時間を捻じ曲げ、自分の思いを遂げようとするものは、魔物だ。この腹の中にいるものは、いくら六花の記憶を持っていても魔物なのだ。


 高校生の時、俺は何回も六花に『好きや』とささやいた。その行為は口先だけだったのだ。七年たって、ようやくわかった。


 俺の幼さが、六花をこんな魔物に変えたのだ。

 ナニカの膨れた腹に手をおくと、中で胎児らしきものが動いているのがわかる。肉体を持ったら、もう自由にナニカの体からは出てこれないのだろう。


「すまん、俺が六花をこんなにしてしまったんやな。すまん……六花」


 ナニカは澄んだ大きな目をしばたたせると、ふわりと花のつぼみがほころぶように笑った。


「信じるって難しいなあ。だから、愛するのも難しいんやなあ。私はちゃんと、お兄ちゃんのこと愛せたかなあ」


 この世での悔恨をひとつひとつなぞっているような言い方を、やめさせたかった。


「わかった、わかったから。もう何も言うな」


 俺はナニカの額に手を当てると、雪のように冷たい。ナニカの熱や精気が新しい六花に奪われているようだ。


「あんな、私の最後のお願い聞いてくれる?」


 ナニカは自分の額におかれた俺の手をとる。


「最後って、縁起でもないこと言うな。おまえのお願いならこれから、何回でもきくから」


 俺のむなしい願いに、ナニカは苦笑する。どうしてそんな笑い方をするんだ。これが、最後なわけがない。


「私を川に流して。死の穢れを流すみたいに。流して」


 死の穢れを流す……。その言葉を聞いて、すぐに雪の中でみた光景が脳裏に閃く。

 赤い毛糸の帽子をかぶった田所さんが、大事そうに抱きしめた猫を川に投げ捨てた姿を。あんなふうに、俺におまえを捨てろというのか。


 そんなこと……、そんなこと、できるわけがない。


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