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執着

 結局それから、しばらく東京に行く行かないの問答を繰り返し、母は俺の入れたお茶を飲みもせず帰っていった。


 目覚めない六花をおいて、時だけが過ぎていく。このまま、ずっと眠り続けるのだろうか。


 このまま目覚めなければ、息子の立場としては母だけをつれて東京へ行くべきだろう。しかし、ひとりの男としてはここに残り、六花の目覚めを待ちたい。


 京都駅の大空広場で誓ったじゃないか。ずっといっしょにいると。

 あの誓いは、ナニカと俺が殺した六花に対するものでもだった。もう何があっても、六花を突き放すことはしたくない。破滅するのなら、六花の姿をしたナニカに手をくだしてほしい。


 雨はまだ降り続いている。ジメジメとした湿気が室内に入り込み、体にまとわりつくようで息苦しい。

 食欲はなかったが、りんごを買っていたことを思い出した。ナニカが目覚めたら食べさせてやろうと、ナイフとリンゴをお盆に乗せて六花の部屋に持って行った。


 その夜も、ナニカの手を握り傍らで様子を見守っていたら、規則正しかった寝息が突然乱れた。


 ハッハッハッと、短く刻む息づかいにかわり、穏やかだった寝顔が苦悶にゆがむ。


「どうした? 苦しいんか。目を覚ましてくれ」


 俺の呼びかけに、うっすら目を開けた。ようやく目覚めたナニカに安堵するどころか、俺はおののいた。


 ナニカの白目に黒々とした影がうごめいていたのだ。


「その黒い影は、いったいなんなんや」


 ナニカはじっと俺を見て、何かを伝えたいように口を開いた。カサカサに乾いた唇がかすかに動く。


 俺は、ナニカの口元に耳をよせる。耳にわずかな振動が伝わるが、聞き取れない。ずっと寝ていたのだ、口の中がカラカラで声が出ないのだろう。


「ちょっと待て。今水もってくるから」


 台所に走って行き、コップに水を入れストローをさす。すぐに取って返すと、ナニカが寝ている布団が不自然に膨らんでいた。


 あわてて布団をはぐと、ナニカの腹だけが異常なほど膨らんでいた。まるで、餅が火にあぶられ膨らんでいるようだ。


 なんなんだ……。これは……。


 ナニカの苦し気な顔をのぞき込むと、口が開く。ストローの先をくわえさせると、透明なストローに吸い上げられる水が見えた。


 細い首の奥からゴクリと水を飲み込む音がして、いくぶん荒い呼吸が落ち着いた。俺は、ふたたびナニカの口元に耳を近づけた。


「……こ、こども。私のお腹に子供がいるの……」


「それは、俺たちの子供か」


 ナニカは弱々しく、首を振る。


「六花はな、死ぬ前にお兄ちゃんの子供を、妊娠しててん」


 目の前が真っ暗になり、その暗闇の中でずっと見ないようにしていたピースのかけたパズルが、突然完成した。


 食欲が落ち痩せていった六花。思いつめられたように俺をみつめる六花。突然死のうと言い出した六花。


 すべての理由が妊娠に悩んでいたのであれば、納得できる行動だった。

 俺は己のふがいなさに、唇をかみしめる。


 ちょっと考えたら、六花が妊娠していると思いいたっただろうに。高校生男子の思考回路なんて、本当にやることしか考えていない。やった後にどういう結果がまっているかなんて、サルの脳みそでは考えも及ばなかったということだ。


 妊娠という一大事をすべて六花に背負わせた結果が、この目の前の悪夢だった。

 過失とはいえ六花を殺し、その遺体を埋めさえしなければナニカが体に入り込むこともなかった。


 俺がへんな正義感を発揮して過去をほじくり返す目的で帰省しなければ、祖母も山下さんも死なずにすんだ。未希ちゃんだって、俺と東京へいこうなんて思わず今でも元気だっただろう。


 俺が、何もかも悪い。すべての発端は、若さを言い訳にした俺の無責任だ。


「お兄ちゃんだけが悪いんちゃうで。そもそも私が六花の体に入らんかったら、こんなことにはならんかった」


 すっとナニカの手が持ち上がり、俺の頬に触れた。手のあまりの冷たさに、心臓が縮む。縮むと同時に胸にたまった愛しさがこみ上げてきて、ナニカの手の上に俺の手を重ねる。


「でもな、私いろんな人に迷惑かけたけど、この体に入ってよかったと思てる。お兄ちゃんと短い間やったけどいっしょに暮せて、すごく幸せやった」


 六花の頬は、ふっくらと持ち上がり薄くほほ笑む。まるで今わの際に遺言を言い残して、満足しているようだった。


「その幸せを守ろうとして、お腹の中の六花の言うこと聞いてしもた」


「どういうことや」


 お腹の中にいるのは、子供であり、六花ではないはずだ。


「六花が死んで、赤ちゃんの体も死んだんやけど、違う形でお腹の中に留まった。黒い影になって。私はその黒い影に、吸い寄せられたんかもしれん」


「あの黒い影がその赤ん坊ってことか」


「そうや。それで、あの黒い影は六花の記憶を持ってる。私は黒い影が持つ六花の記憶を見て、六花のフリしててん」


 それが本当なら、あの禍々しい黒煙が俺と六花の子供のなれの果てということになる。本体は赤ん坊だが六花の記憶があるということは、六花の俺への愛情も持っているのだろう。


 ナニカは未希ちゃんを襲ったのは六花だと言った。おばあさんを襲ったのは、自分ではないとも言っていた。ということは……。


 俺への愛情が暴走して、人を殺めていった。俺をここに留めるために。それはもう、愛情ではなく、執着ではないのか。


 俺のひとりよがりな恋の結果が、人に悪夢を見せる黒煙という執着を生み出した。いまさらながら、六花にすまないといくら謝ってもつきない悔恨が腹の底からせり上がり、胸がつまった。


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