胎動
意識を無くした未希ちゃんと六花を目の前にして、呆けているわけにはいかなかった。
救急車がくれば、付き添いがいる。六花を残して俺が病院に付き添うわけにはいかなかった。
困惑する俺の目に、壁に貼られた紙が目に飛び込む。
『何かあったら、駐在所へご一報ください』
その文言の下に、駐在所の電話番号が記載されていた。あの人の好さそうな顔をした木村巡査のことを思い出す。
俺はもう一度スマホを取り出し駐在所に電話をかけると、救急車が到着するよりも早く、木村巡査は駆けつけてくれた。未希ちゃんの潰れた顔を見て一声悲鳴を上げたがそれ以上は耐えて、俺に向き直る。
「いったい何があったんや。この惨状は」
「六花とふたりで未希ちゃんの家に遊びにきたんです。そしたら、未希ちゃんがいきなり錯乱して、顔を爪でひっかき始めて」
「自分でか」
俺はうなずく。なるだけ嘘を言わない方がいい。しかし肝心なことを隠さなければいけない。
「山下さんやあんたんところのおばあさんと、いっしょやな」
木村巡査の顔は、ブルブルとふるえ青を通りこして土気色をしていた。
「りっちゃんは、どないしたんや」
「未希ちゃんの様子見て、気を失ったんです」
「まあ、無理ないわなあ。これでは――」
木村巡査は未希ちゃんを一瞥してぼそりとつぶやく。そうこうしていると、遠くからサイレンが聞こえてきた。いったい正月からこっち何回この音と聞いただろう。
「りっちゃんも、救急車呼んだ方がええんと違うか」
そう木村巡査に言われ、俺は断った。今の六花体は一度死んでいる。病院で検査をされて、もし万が一普通ではないと露見すればいったいどうなることか。
「とにかく、俺が救急車に乗りこむ。そんで集会場に連絡するわ。未希ちゃんの両親はそこにおんねやろ?」
「はい、そうしてもらったら、助かります。俺は六花を家に連れて帰るので」
木村巡査は到着した救急隊員を室内へ誘導して、あれこれ説明を始めた。その光景を俺は、他人事のように眺めていた。
まるで頭に入ってこない。いったいこれからどうすればいいのか。昨日語ったひとつの希望ある未来はやはり、希望でしかなかった。
未希ちゃんの意識が戻り、六花の出す黒煙の話をすればもう何もかもお終いだ。
東京へ逃げ出したとしても、ナニカが暴走しない保障がどこにある? それとも、これ以上犠牲者が出る前にナニカの息の根を止めた方が……。
「りっちゃんのお兄さん!」
突然呼ばれ、グロテスクな思考に落ちそうだった体へ電流が走る。こわごわ木村巡査へ視線を向けた。
「また後で、詳しい話聞きに行くし。家で待機してて」
救急隊員の話では、命に別条はないそうだ。それが唯一の救いだったが、俺たちにとっては破滅へのカウントダウンが始まったのかもしれない。
救急車を見送り、未希ちゃんの家の傘立てから一番古そうな傘を拝借する。雨の中、六花を背負い家へ向かって歩き出した。
まだ葬儀は終わっていない時間なので、家についても離れに人の気配はない。六花の濡れた衣類を脱がせ、体をタオルでふいていると腹の中で何かがうごめいている気配を感じた。六花の肌に触れてこんな感覚を持ったのは、初めてだ。
手のひらを下腹にあてると、胎動のような振動が伝わり心底ゾッとした。これが、六花の白目を黒く染めるものの正体なのか。
倒れる寸前にナニカが口走った『六花がやってん』の台詞を思い出す。
六花は死んでいるのだから、六花のはずがない。だから、ナニカが六花だと誤解するものが入っているのでは?
それとも、ナニカのいう通り六花はまだ生きているのか。とにかく体の中にいるものが暴走しているのだったら、体から追い出せば……。
薄明の中のわずかな希望であっても、まだ捨てられない。簡単に捨てられないほど、俺はナニカを深く愛していたことに、いまさらながら気がついた。
夕方近くになり六花の眠る姿を見守っていると、どたどたと母屋に人が入ってくる物音がした。
「涼太! 涼太! どこにおんの?」
取り乱した、母の声だった。
喪服姿の母は、六花の部屋にいる俺に見つけると、無遠慮に中へ入ってきた。
「葬儀中に突然、未希ちゃんとこのお母さんとお父さんが呼び出されてん。ふたりが部屋から出たら、とつぜん悲鳴が聞こえて。もうわけがわからんで、みんな茫然としてたわ。そしたら、出棺終えて葬儀会社の人に話を聞いたら、未希ちゃんが救急車で運ばれて、おまけにそばに若い男の人がいたらしいて言うし。まさかあんたかと思たら」
機関銃のようにしゃべりまくる母は、ベッドで眠る六花をちらりと一瞥しただけだった。
「あんたは、大丈夫なんやな。大丈夫なんやな」
寝込んでいる六花よりも、俺のことだけ心配する母に嫌悪感がつのる。
「俺は大丈夫や。ふたりで未希ちゃんの家に遊びに行ったら、突然未希ちゃんがおかしなって――」
「ひっ!! またかいな。やっぱりサンマイに行ったもんが順番に呪われてる。こないだは男。次は女。いったい、いつまで続くんや……。次は、次は男や……」
「そんなん、迷信や。関係ないやろ。とにかく落ち着いてくれ」
俺の言葉は、母の耳に届かない。
「サンマイに行った男にあんたも入ってるんやから、しばらく家から出たらあかんで。ええな」
目を血ばしらせ自分の言いたいことだけまくし立て、母は離れへ帰って行った。
それから、次の日になっても六花は眠り続け、六花の下腹から、胎動が消えることはなかった。




