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慟哭

「だから六花なんてやめて、結婚してえな。うち昔からりょうちゃんのこと好きやってん」


 こたつを挟んで座っていたはずなのに、いつのまにか未希ちゃんは俺の隣にきて肩にしなだれかかっていた。


 肩にかかる重みが体全体を圧迫して、吐き気をもよおす。どうすればいい? どうすれば、この場を収められるんだ。


 未希ちゃんの要求など、到底受け入れることなんてできるわけがない。しかし、未希ちゃんを今ここで突き放せば、俺と六花の関係をばらされるどころか、六花が得体のしれないものだと言いふらされるかもしれない。


 続けざまに死者が出たこの村は、おびえ切っている。かならず、六花にその恐怖がぶつけられるはずだ。ぶつけられれば、この村から逃げればいい。しかしまた、六花のあの禍々しい黒煙が現れたら……。


 肩にかかっていた重みが、ふっと消える。俺が何も答えないので、未希ちゃんは焦れたようにその場に立ち上がった。


「もう、うちから六花に直接言うわ。あんたみたいなバケモノ、誰が相手にするかって」


 そう吐き捨てると、未希ちゃんは襖をすらりと音もなく引いた。そして、一言「ひっ!」と声にならない声を出し、立ちすくむ。


 そこには、髪がぬれ雫を垂らす六花の姿があった。


「なんや、六花。勝手に人の家に上がり込まんといて」


 六花の顔に濡れ髪が張り付き、白を通り越し氷のようにつめたく透き通った表情をしていた。


「未希ちゃん……。お兄ちゃん、取らんといて」


 抑揚もなく言い放つと、六花は目を見張る。その大きく開かれた白目に黒い影がうごめき始めた。


 ダメだ、あの黒煙を出すな! そう口にする前に、六花の体から瘴気のような禍々しいあの黒煙が吹きあがり、瞬きする間もなく部屋いっぱいに充満した。


 昼の陽光をものみこみ、あたりは暗闇に沈む。目の前に未希ちゃんと六花が立っているはずなのに何も見えない。


 ふたりの姿を闇の中に探していると、未希ちゃんの内臓を絞り出すような声が聞こえてきた。


「あかん……。あかん……。こんな顔、あかん……」


 未希ちゃんが動いたのか、あたりの黒煙がゆらいだような気がした。そしてガリガリと何かをひっかく不気味な音が、闇に響く。


 なんだ、いったい何が起こっているんだ。この黒煙は意思を持っているかのごとく人の心を操り、破滅へ導くのか。


 祖母も山下さんもこの黒煙にのまれてしまったのだろう。祖母が死んだ時、灯りがついていたはずなのに、消えているように見えたのはこの黒煙のしわざだったのかもしれない。


 それならばなぜ、俺にだけ破滅がこないのだ。破滅するべきなのは、俺なのに。

 ひたすら何かをひっかく不気味な音が、ピタリととまる。それと同時に闇が突然晴れた。


 暗闇になれた目に、光がまぶしい。視点のあわないぼんやりとした視界の中で、顔面を血だらけにした未希ちゃんが全身をぶるぶると震わせ立っている。


 ぐちゃぐちゃに潰したいちごに、白い目玉だけがついているようだ。

 俺は悲鳴を飲み込み恐々視線を下げると、未希ちゃんの爪に血と皮膚がこびりついていた。あの音は、未希ちゃんが爪で自分の顔をひっかく音だったのだ。


 自分の顔が何かに変化し、必死にはがそうとする悪夢でも、見たのだろうか。あの絞り出した慟哭の声が脳内で再生される。


 その呪縛にとらわれ声がかけられずにいると、未希ちゃんは中腰になりゆっくりとこたつの上に血だらけの手を伸ばし、そこにおかれていた手鏡を握った。


 手鏡をのぞこうとしたので、俺はとっさに手鏡を取り上げようとしたが、一歩遅かった。


「いやあああああ!! 何この顔。こんな顔いやや、いやや。いや、いや、いやあああ!! こんなん死んだ方がましや!!」


 未希ちゃんは絶叫すると、こたつの上にあった鋏をすばやくにぎり自分の胸に突き立てた。


 俺は瞬間、ぐっと鋏を胸に押し込もうとした未希ちゃんの手を抑えた。鋏は畳の上に派手な音を立て、落ちる。


「未希ちゃん、しっかりして!! 大丈夫やから。顔の傷はなおる。なおるから。死んだらあかん!!」


 落ちた鋏を拾い、なおも自分の胸を切りつけようとする未希ちゃんを羽交い絞めにしていると、うしろでどさりと何かが崩れ落ちる音がした。


 未希ちゃんの腕を抑えながらうしろを振り向くと、六花が膝立ちになり茫然と俺を見ていた。


「違うねん。私がやったんと違うねん。信じてお兄ちゃん――」


 もうこの状況で、ナニカがやったということは明白だ。それなのに、信じるとしらじらしい言葉を口になんてできなかった。


「今はとにかく、救急車呼ばんと。未希ちゃんはまだ生きてる。死んでへん」


 すこし大人しくなった未希ちゃんの二本の腕を左手だけで抑え、俺はコートのポケットからスマホを出し救急車を呼んだ。


 六花に背中を向け、俺の内心はあきらめや、怒りの負の感情が渦巻いていた。やはり、ナニカはバケモノでしかないのか。俺が愛情を感じた人間らしさはまやかしだったのか。


 このまま共に生きようなんて土台無理な話だったのか……。しかし、六花の姿をしたナニカをこのまま放って逃げるわけにはいかない。


 スマホを切り振り返ると、六花はまだ膝立ちのまま体を硬直させていた。


「六花がやってん。私やないねん。全部六花が悪いねん」


 そう言うと、白目をむきその場に崩れ落ちた。濡れそぼつ長い髪が蛇のようにうねり、畳の上に横たわるのを俺はただ見ているしかなかった。



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