わがままを言って
掃除を終え遅い昼食をとるとお兄ちゃんは言った。
「食材の買い出しに行こうか」
「明日、仕事の帰りに買って帰るよ」
お兄ちゃんに、いろいろしてもらうのは悪いと思って言ったのだけど。
「仕事帰りに買い物したら、遅くなるだろ。それに、明日は俺が晩御飯つくるよ」
「えっ、お兄ちゃん料理できるん?」
六花の記憶では、お兄ちゃんは料理をしなかった。
「一人暮らしが、長いからな。料理ぐらい、できるようになるって」
そうか、六花の記憶は七年前でとまっている。今目の前にいる人は、六花の知らないお兄ちゃんだ。
「じゃあ、どこに買い物いく?」
私の声は、どこか弾んでいた。
「今日は、野菜食べたいな。最近、仕出し料理が多かったし」
通夜や葬式では仕出し料理を取っていた。仕出しはおいしいけど、温かくないのが難点だ。
「じゃあ、今日鍋にしよか。野菜たっぷり入れて。野菜買うんやったら、道の駅がええかも」
私がそう提案すると、お兄ちゃんはのってきた。
「そうしよう。今日も寒いしな」
新鮮な野菜を求めて、ふたりで車に乗って買い出しに出かけた。
県道沿いの道の駅は、地元の特産品や農家の人が野菜を直接販売している。そこで、鍋に入れる白菜やネギなどの野菜と豚肉などをかごに入れていく。
「明日は、何が食べたい?」
あらかた鍋の具材を選ぶと、お兄ちゃんはそう訊いてきた。
「お兄ちゃんが、作ってくれるものならなんでもええよ」
私に食べたいものなんてない。だからそう答えたのだけど。
「そう言われるのが、一番困るんだよな」
お兄ちゃんを困らせてしまった。どうしよう、何か言わないと。そう思えば思うほど、自分が普段何を食べているのか全然思いつかない。
「そんな眉間にしわ寄せて考えることじゃないから」
お兄ちゃんはそう言うと、私の眉間に人差し指でふれた。ふれた指が、すごくあったかい。
「じゃあ、俺の食べたいものでいいか」
「うん。それが、私も食べたい」
お兄ちゃんは鶏肉コーナーへ歩いて行き、かしわのもも肉を手に取った。
「じゃあ、唐揚げな」
切れ長の目を細めて笑う顔は、六花が大好きだった顔だ。六花がしたかったように、手をつなぎたいと切実に思う。
そっと手を伸ばし、大きな手に触れようとした瞬間、後から声をかけられた。
「いや、りっちゃんとりょうちゃんやないの」
大きな声に振り返ると、丸い体をした未希ちゃんのお母さんだった。おばさんは、この道の駅でパートをしていた。
「お葬式の時は、お世話になりました。未希ちゃんにも手伝ってもらって、ありがとうございました」
お兄ちゃんは、丁寧に葬儀に参列してもらったお礼を言った。
「ご愁傷さまやったねえ。それにしても、急なことでびっくりしたわ」
おばさんは、私の方に顔を向けた。
「りっちゃんも、気を落とさんようにな。また、うちに遊びにおいで」
「ありがとうございます」
私は、ぺこりと頭を下げた。すると、おばさんはお兄ちゃんが持つかごの中を覗き込んだ。
「今日、鍋にすんのか」
「はい、今日寒いんで」
お兄ちゃんが答えると、おばさんの顔はにやにやと笑う。
「ふたりで買い物なんて、仲ええなあ。後ろから見てたら、新婚さんみたいやったで」
私たちふたりは、同時に息をのむ。そんな風に見えてたなんて、ここでそういうことはまずい。すぐに、変な噂が立つ。
「いや、六花が荷物持ちに来てくれってわがまま言ったんで。まあ妹孝行って感じですかね」
お兄ちゃんは、へたな言い訳をして愛想笑いをする。
「そやなあ、りっちゃんおばあちゃん子やったから、さみしいわなあ。お兄ちゃんに、いっぱいわがままきいてもらい」
おばさんは、自分の言いたいことだけ言ってさっさと仕事に戻って行った。
レジで会計をすませ、車に戻るまで私たちは一言も口をきかなかった。荷物を積んで、車に乗り込み勢いよくドアを閉める。運転席でエンジンをかけたお兄ちゃんを見た。
「私、わがままなん?」
すねた言い方をしていても、私がわがままには変わりない。無理やりお兄ちゃんに抱いてもらい、いっしょにいることを強要しているんだから。
「なんだよ、さっきの気にしてるのか。別に、あんなの適当に言っただけだろ」
そんなことは、わかっている。わかっているけど、お兄ちゃんの口からわがままだと、嘘でも言われたくなかったのだ。
それが、真実だから。私のわがままで、今この場が成り立っているのだから。
「おまえ、ほんとわけわかんないな。俺のこと誘惑したかと思えば、子供みたいにすねるし」
「嫌いになった?」
私の焦った声が、せまい車内に反響する。
「そんな必死になることないだろ。わがままって、言われてうれしい時もあるんだって」
「わがままって、悪いことやないの?」
本当に、人間の感情はわけがわからない。わがままを言われてうれしい時があるなんて。
「じゃあ、わがまま言ってみろよ」
冬の日の入りは早く、辺りは暗くなり始めている。カーナビの白い光が車内をぼんやりと、明るくしていた。
その淡い光を受けて、お兄ちゃんの顔はとてもきれいだった。
「キスして」
お兄ちゃんの柔らかい唇が、どんどん近づいてきて私の冷めた唇にそっとふれる。私は唇をほんのすこしだけ離して、たずねた。
「今、うれしい?」
唇に、お兄ちゃんがくつくつと笑う振動が伝わる。
「うん、うれしい」
その夜、お兄ちゃんはおばあちゃんの部屋で眠らず、私の隣で眠りについた。




