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イモウトを愛しただけなのに  作者: 澄田こころ(伊勢村朱音)
第四章 六花の中のナニカ
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わたしの気持ち

「うれしい! お兄ちゃんともっといっしょに、いられるなんて」


 私の場違いなほど明るい声に、お兄ちゃんはすこし困った顔をした。


「だから、そういうところが、あけすけだって言うんだよ」


 あけすけ……。そう言われて、六花とは違うと指摘されたのだった。


「でも、わたしよくわからへん」


 私の中にも、いろんな感情が芽生え始めているのはたしか。でも、それを言語化するのは難しい。人間のように複雑に表現できない。

 うれしいと思って、素直にうれしいとなぜ言ってはいけないのか。


「その表情は、六花そっくりだ。うまく、気持ちが言えない時の顔」


「ほんま。六花っぽかった?」


 私はとびきりの笑顔をつくった。単純なあけすけな表情を。反射的に喜んだけど、お兄ちゃんは私を透かして六花を見てる。これは、本当にうれしいことなんだろうか。


 ううん、うれしいに違いない。だって、私は六花の代わりに愛してもらいたいのだから。でも……。


 ふたつの相反する思いに揺れ動いている自分に、はっとする。やっぱり、お兄ちゃんといると次々いろんな感情が湧き出てきて、人間らしいと思うけど、感情の深淵に近づかない方がいい。


 きっと、はまり込んだら二度と這い出てこれない。ようやく私は、土の底から這い出てきたというのに。


「父さんと母さんは今日まで休むって言ってたけど。六花も、休みだろ? なんか、片付けとかあったらするよ」


 お兄ちゃんは食べ終わり、食器をシンクへ運ぶ。


「昨日、叔母さんや晴子さんがだいたい片付けてくれたし」


 ひとり残された食卓で、私はレタスをかじっていた。私の体は食物を欲しない。食べることはできるが、味などよくわからない。

 ただ、六花の記憶を頼りにおいしいとか、まずいという真似をしているだけだ。心の底から、おいしいと思えたその時、私は人間になれるのだろうか。


「じゃあ、おばあさんの部屋でも片づけるとするか」


 口の中のレタスが、ものすごくまずく感じたような気がした。ああそうか、味覚と言うのは食物自体の美味しさよりも、どういう状況で食べているかが大切なのか。

 では、おいしいと思える時はどんな時だろう。


 お兄ちゃんは黙っている私を不思議そうな顔で見て自分の食器だけ洗い、おばあちゃんの部屋へ向かった。


 私も食器を洗い終え、おばあちゃんの部屋をのぞく。お兄ちゃんは、今日この部屋で寝るつもりなのだろう。しかしお兄ちゃんは掃除をするでもなく、六畳の空間でぼんやりとしていた。


「どうしたん? 片付けへんの」


「いや、片付けるも何もあんまりものがないから」


 おばあちゃんの部屋には、和ダンスと小さな鏡台しかおかれていない。


「おばあちゃん、あんまりお金使う人やなかったから。六花には、いろいろ買ってくれたんやけど」


 こちらを向いたお兄ちゃんの顔が、ふっとさみしげに笑った。


「そっか、六花にとったらいいおばあちゃんだったんだな」


 お兄ちゃんは、おばあちゃんのことを誤解したままだ。晴子さんから逃げて六花は母屋に住んでいたんだけど、おばあちゃんのわがままでそうなったと思っている。


 もう、いまさらそんなことを訂正しなくてもいいだろう。

 それとも、晴子さんは六花につめたかったと言った方がいいのだろうか?


「掃除機どこにある?」


 ふいをつかれたお兄ちゃんの問いに、返事が遅れた。


「あっ、押入れの中に」


 私が襖をあけて掃除機を取り出そうとしたら、お兄ちゃんが押入れの中へ手を伸ばした。


「これ、アルバム?」


 うさぎのアップリケがついた赤い表紙のアルバムを、お兄ちゃんは押入れから取り出した。


「それ、六花のアルバムや」


「えっ、見たい」


 私がいいと言う前に、もうお兄ちゃんは表紙をめくっていた。


「かわいいな。赤ちゃんの六花」


 お兄ちゃんは愛しそうに言ったけど、一番初めに貼ってある写真は肌が赤黒くサルのようでとてもかわいいと思えない。


 次のページをめくると、六花をおいて出ていった母親の写真だった。一歳くらいの六花をだっこして穏やかな幸せそうな顔をしている。


「父さんの、前の奥さん初めて見た。へえ、六花に似て美人だな」


「そうかな?」


 私はあまり、これを見たくなかった。写真の記憶はだいたいあるけど、それは六花の記憶であり私のものではない。

 お兄ちゃんは、ゆっくりゆっくりページをめくっていく。まるで過去の六花と対話している様で、私の入る隙間なんてない。


「これ、なんで泣いてるんだ?」


 お兄ちゃんが指差した写真の六花は、茶色い毛糸の帽子に耳のついた狼の恰好をして大泣きしていた。


「えっと、たしか幼稚園のお遊戯会で、狼の役が嫌だったみたい」


「おまえ、本当に六花の記憶があるんだな」


 お兄ちゃんは、しげしげと私の瞳の奥をのぞき込む。


「うん、完全じゃないけど」


 細かいところはあやふやなところもある。きっと、そのあたりにお兄ちゃんが違和感をもったのだと思う。でも……。


「六花の体も記憶も私のものじゃないけど。それでも、お兄ちゃんのこと好きや」


 私の切実な訴えに、お兄ちゃんはふっと顔をそむけた。


「それも、六花の記憶じゃないのか」


「違う! 絶対違うから。この気持ちは六花のやなくて、私の気持ちや」


 自分でも驚くほど、大きな声が出た。この思いだけは、唯一自分の気持ちだと言い切れる。離れたくない気持ちが、本当に好きという気持ちとイコールなのかわからない。けれど、この気持ちに名前をつけるなら『好き』という感情しか思い当たらなかった。


 せっかくつかんだ気持ちをお兄ちゃんに否定されて、腹がたったのだ。


「ごめん、泣くなよ」


 ふいに私の頬は暖かい手につつまれ、目の下をお兄ちゃんの指がなぞった。そこには熱い液体が溜まっていた。人は、かなしい時に涙を流すのものなのにどうして今、流れるのだろう。


「私、怒ってるのになんで、涙が出るん?」


「おまえは今、かなしくて怒ってたんだよ」


 かなしくて、怒る……。

 ふたつの感情が同時に湧き上がるなんて。そんな複雑なことができるようになったんだ。


「なんか、変な気持ち。かなしくて、怒るなんて」


「じゃあ、今の気持ちは?」


 お兄ちゃんは私に謝ったのにすまないという顔ではなく、どこかうれしそうに私の顔をのぞき込む。


「お兄ちゃんに見つめられて、恥ずかしい――」


 私が短く息を漏らして笑うと、お兄ちゃんもつられて笑った。


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