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イモウトを愛しただけなのに  作者: 澄田こころ(伊勢村朱音)
第四章 六花の中のナニカ
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愛して

 私の中の六花が、この人を離してはならないという。


 この人、お兄ちゃんはおまえは誰だと訊いたけど、その疑問に答えられるほど、私は私のことを知らない。


 ずっと、長い年月を土の中で積み重ねられていたような気がする。地底に落ちる雫が一滴一滴たまり形成される鍾乳石のようなものだ。そこに存在するだけのものであったと思う。


 私がはじめて人格を持ったのは、この体に入ってから。冷たく重い土の中で目覚め、息苦しくて外の世界を渇望した。私は肉体を得て初めて、苦しいという感覚を習得した。


 この場にとどまっていては、せっかくの肉体が死んでしまうと思い、必死に這い出ようともがくと腕が動いた。


 自分の意志で動く体を手に入れたのだと力がみなぎり、体の上にのしかかる土を払いのけた。


 地上へ這い出ると、漆黒の闇の世界だった。なんだまだ黄泉の世界かと、落胆する頬を、木立の間を駆け抜けてきた新鮮な風がなでた。


 ふっと上を見あげると、砂粒をまき散らしたような星空が無限に広がっていた。私はようやくこの世に生まれ出たのだと実感できた。


 やかんの湯が沸く音が、耳に煩わしい。しかしここで、手をとめるわけにはいかない。私はお兄ちゃんの首元を緩められたワイシャツの上のボタンからひとつづつ、背後からはずしていく。ひとつボタンが外れるたび、こわばっていた体から力がぬけていく。


 このほどけていく顔が見れないのが、とっても残念だ。

 いったい、どんな顔をしているのだろう。故意ではなくても、殺した妹がよみがえり、自分を誘惑してくる。


 恐怖に顔をゆがめているのか、それとも妹の誘惑に顔を蒸気させているのか。後者だったらいいのに。


 開いた合わせ目から手を侵入させ、シャツを手繰り寄せ直接肌に触れる。胸に手のひらをぴたりと押し付けると、規則正しい律動を感じた。その鼓動は胸が上下するほど激しい。


 温かく生きている証拠に、涙がにじむほどうれしい。この温かさが、ほしい。片手だけで飽き足らず、両の手を滑り込ませお兄ちゃんの体をまさぐる。そうしていたら、私の冷たい手が温められぬくもってきた。


 命が私に乗り移ったよう。思わず喜悦のため息をもらすと、微動だにしなかったお兄ちゃんの体がくるりとこちらを向いた。


 わたしの手はシャツの隙間から放り出され、せっかくつかんだものがするりと逃げていく。

 情欲を必死に抑え込んだお兄ちゃんの瞳は、まっすぐに私を見下ろした。


「おまえは、イツキさまなのか」


 イツキさま? 私は私の中に眠る六花の記憶を探る。


 ああ、この村に落ちのびてきたという斎皇女か。男に捨てられた悲劇のお姫さま。なぜ、そんなことをお兄ちゃんは、この場で訊くのだろう。


 生前六花がしていたように、小首をこてんと傾げた。六花の真似をするのは簡単なのだけど、感情を再現するのは難しい。お兄ちゃんにはそこで見破られてしまった。


 人間を人間たらしめるものは感情であると、人間でない私が思い至った事実だった。

 お兄ちゃんは焦れたように、もう一度たずねる。


「だから、おまえはイツキさまなのかと訊いている」


 そうか、お兄ちゃんは私という得体の知れないものをイツキさまだと思いたいのだ。得体の知れないものでも名前をつけ、こういうものだと納得できれば受け入れられるということだろうか。


 そう言えば、おばあちゃんも私のことをそう呼ぶ時があった。それで安心して私を受け入れてくれるのなら、どんな嘘でもつこう。


「そうや、わたしはイツキさまや。たったひとりで死んだお姫さま。さみしかってん」


 私がそう言うと、かたくなだったお兄ちゃんの瞳は揺らぎ隙ができた。もうすこしで堕ちる。あとちょっとで、お兄ちゃんとひとつになれる。


「だから、わたしを捨てた男に変わって、愛して」


 甘えた声を出して、お兄ちゃんの腕にしがみついた。


「おまえを愛しても、俺はもうすぐここを出ていく。またおまえは、捨てられるんだぞ」


 必死に私を拒絶する言葉を探している。本当は、抱きたくてしかたがないのに。瞳の奥の淫靡な光を、私に隠せるわけがない。


 ヤカンは、なおも激しく蒸気を噴き上げている。そろそろストーブから下ろさないと。


「ここにいる時だけ。六花の代わりでええから、愛されたい。一回でもええし。な、お願い」


 一回だけなんて、絶対に嫌だ。でもそう言わないと、お兄ちゃんは抱いてくれないから。


「おまえが、おばあさんを殺したんだろ?」


 お兄ちゃんは、そんなに私のことが怖いの? 自分も私に殺されると思ってるの? 私はこんなに、愛しているのに。だからこれは、本当のことを言おう。


「私やないよ。私やない」


 優しく子供をあやすようなセリフに、お兄ちゃんは泣きそうな顔をして眉を下げた。


「おばあちゃんは、自死やった。最近ちょっとおかしかってん。なんやお兄ちゃんもへんなこと言われへんかった?」


 お兄ちゃんは、驚いたように目を見開く。私は知っている。おばあちゃんが、お兄ちゃんに何を言ったか。


「でも、ゴム持ってないし」


 いまさらそこ……。まあ、それで六花が追い込まれたのだけど、そのことをお兄ちゃんは知らない。かわいそうに。

 大丈夫、私は絶対に妊娠なんかしないから。


「そんなん気にせんといて。この体、生理がないねん」


 これで安心して、抱いてくれる? お兄ちゃん。








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