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誘惑

 俺が固唾をのんで聞いているそばで、未希ちゃんと住職の問答は続く。


「そっからかいな。斎宮って言葉やったら、日本史や古典の授業で聞いたことあらへんか」


「あっ、斎宮なら聞いたことあるかも。たしか、伊勢神宮で神に仕える女の人ですよね?」


「そうや、その斎宮のことを斎皇女いつきのみことも言うんや。その斎皇女の何代目の人か知らんけど、都から伊勢へ行く道中で警護の男といい仲になって、この村に逃げてきはったんや」


「うわっ、なんかすごいロマンティックな話になってきた」


 未希ちゃんの声は、一気に弾ずむ。


「まあでも結局は、怖気づいた男にここへおいてけぼりにされて、最期は自ら命をたってしもた悲劇的な話でもあるんやで」


「イツキさま、かわいそう。そしたらそのお姫さまが、そこに埋められてるってことですか」


 未希ちゃんが崩れかけた石塔を指さすと、住職は大きくうなずいた。


「こんな山ん中に、ひとりや。かわいそうやから、サンマイへくると手を合わせるんや。イツキさまの慰めになるかわからんけどな」


 叔母が、石塔に近づき手を合わせた。


「お母ちゃんによう、イツキさまの昔話してもろたわ。まあ、どこまでほんまかわからんけどな」


 叔母に続き、鉦持ち役の山下さんもしわだらけの手を合わせたが、すぐに首を傾げた。


「わしが子供の頃に聞いた話とちゃうなあ。このイツキさまは、たしか妖怪の墓やて聞いたけど。なんの妖怪やったかな」


 墓掘り人の男性が素っ頓狂な声を出した。


「妖怪? お姫さまと妖怪の墓がいっしょなんかいな」


「もう、そろそろ帰らへんか? 俺ら、ずっとここにおって、体の芯から寒いわ」


 もう一人の墓掘り人が帰宅を急かしたので、けっきょくイツキさまの正体がはっきりしないまま野辺送りの葬列はサンマイを後にした。


 母屋に帰ると、玄関の前に大きなタライがおかれていてそこで足を洗う真似をする。足を洗うことで、埋葬地へ行った穢れを祓い清めるのだと説明を受けた。


 順番に水の入っていない桶に足を靴ごと入れて洗う真似をしていたら、叔父さんがキョロキョロと辺りを見回している。


「あれっ? 山下さんどこ行ったんや」


「ああ、鉦おいてもう帰らはったで」


 墓掘りを手伝ってくれた人が、鉦を掲げて答えた。


「まあええか。こういうもんは、気の持ちようやしな。山下さんは気にならんかったんやろ」


「山下さん、最近もの忘れはげしなったて、奥さんが嘆いたはったわ。ささっ、他の人は足あらってや」


 母屋に残っていた昌代さんが、野辺送りの一行をせかした。

 こうして一連の葬儀は終わり、父が野辺送りに協力してくれた地区の人々に挨拶をして、解散となった。


 母屋に入ると、祭壇はすっかり解体されていて座敷にある仏壇の前に白木の台がおかれ、その上に遺影と位牌がおかれていた。


 すでに料理が並べられていて、叔母さん――叔母はひとりで葬儀に参列した――と叔父さん一家とうちで食事をとった。


 父は喪主と言う大役を務めた疲れから、酒を煽るように飲みそうそうに酔いつぶれていた。佑樹くんは食事がすんだら、さっさと自分の家へ帰って行った。


 片付けをするため、母と昌代さんは台所にいる。この場には叔父さんと寝ている父と、奈良の叔母さんと六花と俺だけだ。

 叔父さんがビールのグラスを傾け、ぼそりとこぼす。


「りっちゃんは、これからどないするんや。ここにそのままひとりで住むんか」


 六花が俺たち家族と離れて暮らしていたのは、祖母の強い意向だった。その祖母がいなくなったのだから、六花は離れに住んでもいいのだろうけど。


「わたし、この家を離れるわけにはいかん」


 六花は、きっぱりと言い切った。


「そやなあ。これから七日参りがあるんやし、母屋をあけるわけにはいかんなあ」


 叔母が言う、七日参りは四十九日まで七日ごとに来迎寺の住職が、ここでお経を唱える供養のことだ。


「でも、こないだ泥棒も入ったとこやろ。女の子ひとりなんて不用心や」


 叔父さんは、どうも六花ひとりをここに残すのは心配のようだ。俺は飛行機のチケットを変更して、二日後には東京へ帰る。

 この問題に口出しするわけにはいかなかった。俺はもう、ここの住人ではない。


 二日後には得体のしれない妹を残し、何もかも忘れて日常へ戻る。もうこれ以上過去にとらわれるのは、正直きつい。


「お兄ちゃん帰るまで、母屋にいっしょにいてくれへん?」


 六花は、俺を見て朗らかに笑う。一瞬、どう答えれば普通の兄妹の反応なのか躊躇した。『しょうがないな』と安請け合いするべきなのか、『いい年して、ひとりでいろよ』と突き放すのが、普通の兄の返答なのか……。


 普通の兄妹ではない俺たちにはどれも嘘くさく、ふたりの関係がバレそうで言葉がみつからない。


「お兄ちゃん、嫌なん? 冷たいなあ。わたしら仲のいい兄妹やろ」


 俺のためらう内心を見透かしたように、六花は仲のいい妹の顔をして煽ってくる。


「そうや、りょうちゃんが帰るまで、いっしょに暮してもらえ」


 叔父さんも、六花の提案にのってくる。誰も、反対しない。ここで、俺が強固にこばめばそれこそ、何かあるのではないかと勘繰られる。


 俺は無理やり口元をつりあげ、

「じゃあ、帰るまでな」と返答をするしか、道は残されていなかった。


 それから、しばらくしてそれぞれの家にみな帰って行き、俺は酔いつぶれた父を背負い離れへ運んだ。


 自分の部屋から、着替えなどの荷物を運んでいても母は何も言わなかった。これが、正しい兄妹の選択のようだ。


 母屋に行くと六花はまだ喪服のワンピースを着ていた。そして気づく、ネクタイははずしていたけれど、自分も父の喪服を着たままだと。ふたたび、離れに引き返し着替えてこようとすると六花に呼び止められた。


「お兄ちゃんの寝るところ、おばあちゃんの部屋でもええ?」


 離れに向いていた足がとまる。母屋は平屋で部屋数が少ない。返事をためらっていたのを死んだ人間の部屋は嫌だと読み取ったのか、六花はすこし間をおいて、俺の背中へ向けて続けた。


「それとも、わたしの部屋で寝る?」


 妹ではなく、女として巧妙に誘う甘い声音に体がカッと熱くなる。しかし、ここで堕ちるわけにはいかない。この女は、妹のふりをした偽物だ。


 俺は些末な抵抗を試みる。


「いや、でも――」


 六花の手が俺の肩に触れた。


「お兄ちゃん、スーツ脱がんとシワになるわ」


 するりと上着が脱がされ、六花の手をワイシャツ越しに感じる。その手はだんだんと前へ這うように移動してくる。


 酒と妹の女の部分にほてる体に、氷のように冷たい手が心地よく、体の芯が徐々にしびれてくる。


 反射式ストーブの上にかけられたヤカンから、シュンシュンとお湯の沸く音がした。

 ヤカンを下ろさないと。そう思う理性の隙間をついて、甘くとろけるささやき声が流れこんでくる。


「ひとりは、さみしいから。いっしょにいて」








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