餅つき
むかしのように、杵でつくわけではないから男手はあまりいらないのだけれど、俺は父親不在のいいダシに使われたようなものだ。
台所の端で、餅つき機が餅をこねる音を聞いていた。ウオンウオンとうなりを上げる音にまぎれて、廊下から足音が聞こえてくる。
「手伝うわ。もう、気分ええし」
六花の明るい声が台所に響くと、心臓をぎゅっと鷲掴みにされたような気がした。
「りっちゃん、大丈夫なんか。無理せんでも、おばちゃんが二人分働くで」
昌代さんが、場を和ませてくれる。母はとりわけて、六花には話しかけなかった。母は義理の娘をどう扱っていいのか、わからないのだろう。六花との距離はいつも遠い。
「お母ちゃん、まずはお鏡さんからやなあ」
父に似てずんぐりとした体形の叔父さんがもうすぐつき上がりそうな餅つき機の蓋を開けて、祖母に訊ねる。
「そうや、まずはお供えするお鏡からや」
「よっしゃ、もうええやろ」
叔父さんは、餅つき機を停止させ餅箱に餅をあけた。それを、手際よく切っていくのは祖母の仕事と決まっていた。
大人たちが熱い熱いと言いながら大きな餅をくるくると丸め、鏡餅をつくっている様子を初めて見た時は驚いた。こんなことをいまだにしている家があるのかと、タイムスリップした感覚だった。
鏡餅はスーパーで買うものだと大阪に住んでいる時は、思っていたのだ。
鏡餅を丸めるのは難しい。要領があるらしく、俺がやるとぺちゃんこになってきれいに盛り上がった鏡餅にならない。出番がない俺は、手持無沙汰に突っ立っているしかできなかった。
「お兄ちゃんは、きな粉がええやろ?」
突然、耳元で話しかけられ飛び上がりそうになる。横を向くとエプロン姿の六花が苦笑いを浮かべていた。
「そんな驚かんでも、とって食べたりせえへん。いつも通りにしてて」
ぼそぼそと、俺だけに聞こえる声でささやく。そうは言われても、この六花と名乗るモノの前でどう振舞っていいのかわからない。
黙っているのも怪しまれるので「ああ……」とかすれた声で返事をする。
そうしたら、ちょっとおどけた表情をして俺を見る。
「お兄ちゃん、きな粉餅しか食べんもんな。おぜんざい、おいしいのに」
つきたての餅で、昼にぜんざいを食べるのがお決まりなのだが、俺は小豆が苦手だった。六花がいつも、俺用のきな粉餅をつくってくれていた。
そんなことも覚えているおまえは、いったい何者なんだよ。
俺の心の声が聞こえたように、シンクに向かおうとしていた六花は、振り返りクスリと笑った。
母屋と離れ、そしておじさん一家の餅を一台の機械でつくのは、一日がかりの仕事だった。昼に休憩をかねて、つきたての餅で腹ごしらえをする。
俺以外のみんなは、祖母が用意したぜんざいを食べ、俺だけきな粉餅をほおばっていた。
あつあつの柔らかい餅を食べられるのは、家で餅をつく醍醐味だろう。餅つきは面倒だが、これが食べられるのは楽しみでもある。
「お兄ちゃん、きな粉ほっぺたについてる」
六花に言われ、あわてて右頬を手の甲でぬぐったけれど反対の頬みたいだった。
「違う、違う。こっちや」
六花の手が左頬に伸びてきて、人差し指で俺の頬にふれた。冷たい指先が、ざらりとしたきな粉をふき取っていく。うなじのおくれ毛が逆立つのがわかった。
「りっちゃんとりょうちゃんは、ほんま仲ええよなあ」
昌代さんが義理の兄妹の微笑ましい光景を見て、裏表ない声で感心してくれる。
「そうや、ただでさえ再婚の連れ子なんて難しいのに。二人ともええ子に育ったわ」
叔父さんも、微妙にずれたこの家庭の兄妹をほめたたえてくれた。
祖母と母は表面上の付き合いはある。しかし、六花だけが母屋で暮らしている現状を叔父さんたちが知らないわけがない。
それでもこの年に一度の餅つきの場をなごやかな雰囲気にしようとする、叔父さん夫婦の気づかいが、いつも俺には重荷だった。
まやかしを煮詰めてドロドロにとかし、甘く重たいぜんざいにしたようなものだ。ぜんざいの甘さは、喉の奥をつまらせる。
結局、餅つきは夕方には片付けも終わった。俺のした仕事といえば、重い餅つき機を納屋から運んで、小餅をいくつか丸めただけだった。
それでも家族と言う体裁を整えるためには、この場に居合わせなければならないのだ。血のつながった正真正銘の一族である父は、この場にいなくてもいいというのに。
きれいに洗われ、来年まで出番のない餅つき機を俺は納屋まで運んだ。
雑多なものが並ぶ納屋のすみに、段ボール箱に入れた餅つき機をおく。よっこらしょと掛け声をかけておくと、床につもったほこりが舞いあがった。
存在さえ忘れられたようなものが押し込められた、古い納屋。ここに堆積するのはほこりだけでなく、後川家の思い出や歴史も積み重なっているのだろう。
六花との秘密の逢瀬を思い出すから、納屋に入るのを恐れていた。けれど、いざ入ってしまえば、ただガラクタがおかれているだけの場所。
一番奥の壁際に放置されたままの壊れたマットレスを見て、そんなことを思っていた。
「涼太、ちょっとええか」
しわがれた太い声に呼ばれ、戸口を見るとそこに割烹着をつけたままの祖母が立っていた。




