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イモウトを愛しただけなのに  作者: 澄田こころ(伊勢村朱音)
第二章 六花、高一の夏
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恋の手本

「赤ちゃんを、おろす?」


 高校生の妊娠ならそれが普通の判断だけど、わたしはその選択肢を考えていなかった。というよりも、産んで育てるという考えもなく、ただただ自分のお腹の中にいるものが怖くてどうしようもなく、思考を停止していた。


「昔はなあ、みんな貧乏でそのくせ、子供はどんどんできたんや。せやから、子供を産む前におろしたり、産んでから間引いたり」


 子供をおろすはわかるけど、間引くというのがわからない。


「間引くって何?」


「ああ、産まれた子供をすぐに殺すことや」


 おばあちゃんは、こともなげに言い放った。ひどいと思ったけど、口を閉ざす。今のわたしに赤ちゃんがかわいそうなんて、他人事みたいに言えない。


 網戸の向こうから、泣けないわたしのかわりに虫が盛んに鳴いている。わたしの沈黙した感情をおばあちゃんは、くみ取ってくれた。


「かわいそうなんて思わんでええ。子供はなあ、七歳までは神の内て言うて神さまのもんなんや。せやから、神さまに返すだけや」


 おばあちゃんは、わたしの震える背中をなで続ける。おばあちゃんの手は骨ばっていて、とても冷たい。まるで、死んだ人の手のようだ。


「内緒やけど、おばあちゃんも昔赤子を流したことあるんや。産婆さんに取りあげてもうて、そのまま川に流した」


 おばあちゃんの告白に息をのむ。捨てられた赤ちゃんがまるで自分のように感じ、冷たい水に突き落とされ流れていく幻覚が脳裏にひらめく。


「今はそんなことできひんから、病院いかなあかんけどな。おばあちゃんと、今度宇土の産婦人科いこ。そうしたら、何もかもお終いや心配することない」


 おばあちゃんにそう言われても、気持ちが楽になることはなかった。

 楽になる選択を聞かされて逆に罪悪感が芽生え始め、止まっていた思考は急激に回り始める。


 わたしは、わたしとお兄ちゃんが愛し合ってできた赤ちゃんを捨てる。


 本当に、そんなことができるの?

 わたしの赤ちゃんはひとりぼっちで、死んで行く運命なのだろうか。その運命を宣告するのが、わたしだなんて。


 お母さんに捨てられたわたしが、また自分の子供を捨てるなんて。そんなことができる人間は、もう人間じゃないのかもしれない。


            *


 おばあちゃんと産婦人科に行くのは、夏休みに入ってからと決まった。わたしは、産みたいとも産みたくないともおばあちゃんに伝えていない。


 それでも、どんどん赤ちゃんを捨てる日にちは近づいていた。


「六花、うち寝るし、後で感想聞かせてな」


 そう言うと未希ちゃんは、まだ開演前のホールの椅子に座って目を閉じた。今日は宇土市の文化センターで行われる芸術鑑賞会の日だった。


 受験生以外の一年生と二年生が集まったホールの中は、同じ服装の高校生で埋め尽くされている。みんな、人形浄瑠璃なんて興味がないという表情で一致していた。


 わたしだけ、この場から浮いている。高校生の集まる場所で、その場に似つかわしくない感情に支配されている。


 すうすうと寝息を立てているのんきな未希ちゃんを、うらやましく思う。いったい何日わたしは寝ていないだろう。


 夜になると、捨てる予定の赤ちゃんのことばかり考えて眠れなくなる。わたしとお兄ちゃんの愛の結晶なのに、捨てるなんて。お兄ちゃんとの恋を捨てることになるんじゃないかと、夏の短い夜の間にさんざん思い悩む。


 会場が、暗転した。今日の演目は、人形浄瑠璃の曾根崎心中。あらすじは、事前に配られたプリントで読んでいた。


 愛し合う若い二人が心中するストーリーだけど、高校の芸術鑑賞会にふさわしい内容ではないなと思った。どんな理由にせよ、自ら命を絶つなんて信じられない。


 会場にブザーが鳴り、照明が落とされた。舞台にスポットライトがあたり、三味線の物悲しい音が会場中に響き渡る。


「此の世のなごり。夜もなごり。死にゆく身をたとふれば、あだしが原の道の露」


 暗闇の底から聞こえてくるような声で唄われる有名な歌詞が、最近眠れない朦朧とした頭の中に直接訴えかけてくる。


 ゆったりとした唄をバックに、二体の人形が舞台に出てきた。これから心中しようという徳兵衛とお初だ。


 話の内容なんて入ってこないけど、三味線の空気を震わす音がお腹に響く。その振動は胎動のようで、生きたいけど死を選んだふたりの鼓動にも聞こえる。


 最後に徳兵衛は短刀でお初を刺し、自分は剃刀を喉に突き立て果てた。


「未来成仏うたがいなき恋の手本となりにけり」


 と朗々と唄われて終わりを迎え、長い芸術鑑賞会は終わった。

 一斉に動き出す生徒のざわめきで、未希ちゃんは目を覚ました。


「ああ、よう寝た。どうしたん、六花。泣いてんの?」


 場違いにも泣いているわたしに度肝をぬかれた様子で、未希ちゃんの声は裏返っていた。


「なんかな、心中は恋の手本って言われたら、ほんまにその通りやなあって、泣けてきてん」


 虚ろな目でつぶやくわたしの顔を未希ちゃんは一瞥すると、ふんと鼻を鳴らした。


「あほらし、死んでしもたら、何にもならへんやん」


 未希ちゃんは、本当の恋をしたことがないからそう言いきれるのだ。わたしはあいまいにほほ笑んだ心の底で、見下していた。

 自分が一番大好きな未希ちゃんと、わたしは違う。わたしの一番大切なものは、お腹の赤ちゃんとお兄ちゃんとわたしの未来。


 この世でかなえられない恋は終わりじゃなくて、来世で生まれ変わってかなえればいいのだ。わたしの赤ちゃんはこの世では生きられなくても、次の世では生きられる。でも、ひとりではさみしいから、あなたのお父さんとお母さんがいっしょにいってあげる。


 そう、わたしとお兄ちゃんが心中すれば何もかもうまくいくのだ。


 でも、本当にそんなことができるだろうか……。そんな勇気が、徳兵衛とお初のように持てるだろうか。



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