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イモウトを愛しただけなのに  作者: 澄田こころ(伊勢村朱音)
第二章 六花、高一の夏
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希望をかたる唇

 中学三年間は、自分の気持ちを隠し妹として接してた。でも、それはわたしが思ってただけで、お兄ちゃんに対する気持ちは駄々洩れだったのかもしれない。まわりも、わたしのことをブラコン妹と認定していたから、近づいてくる男子なんかいなかった。


 がんばって勉強してお兄ちゃんと同じ高校に入れて、ものすごくうれしい気持ちの春に、今日と同じようにカイの散歩でこの公園に来た時だった。お兄ちゃんが突然わたしにキスをしたのは。


 その行為でわたしたちは、兄妹から男と女に変換された。もう、兄と妹には戻れない。

 わたしの頭の上に、お兄ちゃんのすこし言いにくそうな声が落ちてくる。


「大学卒業したら、あっちで就職するつもりや。母さんもそうしたらええて」


 わたしはその言葉を聞きたくなくて、耳をふさぐ代わりにぎゅっと目をつむる。


「六花も、東京の大学へ来たらええ。そして、いっしょに住もう」


 わたしにとってつらい現実をごまかすような甘い希望に満ちた提案が、お兄ちゃんの口からもれた。


「わたしも、東京へ?」


「そうや、六花もこれからがんばったら、東京の大学いける。向こうに行ったら、もう誰の目も気にせんでええ」


 こんな、こそこそ隠れて合わなくてもいいの? いっしょの家に住めるの?

 それは、わたしが思い描く理想の未来だ。でも……。


 はたして、女のわたしが東京の大学へ行かせてもらえるだろうか。都会と違って、まだまだ男尊女卑的感覚が残っているこの村では、せいぜい短大ぐらいが女の子の最終学歴としていいところだった。


 四年制大学に行かせてもらえる女の子なんて、よっぽど頭のいい子だ。わたしはそこまでの頭は持っていない。


 それに、お金のこともある。お父さんのお給料だけでお兄ちゃんを東京へ行かせられないから、晴子さんは診療所でパートをしてるんじゃないの?


 わたしの分まで、晴子さんが出してくれるわけがない。それに、わたしが東京へ行ったら、おばあちゃんはひとりになる。


 お兄ちゃんは、この村に来るまでは大阪にいた。ここ以外を知っている。でも、わたしはここしか知らない。この差は些細なようで、大きな隔たりだった。


 わたしがお兄ちゃんの背中に回した手に力を入れると、Tシャツごしにお兄ちゃんの汗ばんだ肌を手のひらに感じた。


「そうなったら……ええな」


 輝く未来が夢の中へ溶けていくように、希望をはらむつぶやきが夜のしじまに溶けていく。自然と涙が込み上げてきた。


 そうなったらいいけど、もし万一わたしのお腹に……。


「ええなと、違う。そうしよう」


 肩にお兄ちゃんの手がおかれたと思ったら、わたしの体は居心地のいい腕の中からゆっくり引き離された。


 お兄ちゃんはわたしの顔をのぞき込み、涙がにじむまぶたにそっと唇を寄せた。


「不安にならんでええ。ずっといっしょにいよな。好きや、愛してる」


 そう言うと、わたしの唇に愛を語った唇を重ねた。ふわふわに柔らかい唇に誘われ、いつものように舌を絡めようとした瞬間、ニンニクと歯磨き粉のミントがいっしょくたになった臭いが、口から鼻にぬけていった。


 夕飯で食べた胃の中のものがせり上がってきて、慌てて唇を離し口を押さえる。


「お兄ちゃん、夕飯に餃子食べた?」


「ごめん、まだ臭い残ってるか? 歯磨きしてきたんやけど」


 あわてて謝るお兄ちゃんが無邪気でかわいくて、笑えてくる。そうだね、わたしが東京へ行けたらいいね。でも、きっとそうはならない。


 不吉な予感から逃れるようにふたたび抱き着いたわたしの頭を、お兄ちゃんはよしよしとなでてくれたけど、胃の中の気持ち悪さが収まることはなかった。


      *


 それから、一週間たっても生理はこなかった。ちょっと下腹部に鈍痛を感じては、トイレに駆け込み何もなくて絶望する。それを何回繰り返しただろう。


 生理が来ないことに反して、どんどん食欲はなくなり胃のむかつきがひどくなっていった。


 《《妊娠》》の二文字が頭の中を支配し、ぐるぐるとまわり続ける。もう答えを待つより、早く楽になりたくて妊娠検査薬をつかった。


 そして、すぐに後悔した。こんな結果をつきつけられるなら、もっと答えを先延ばしすればよかったと。


 検査結果は、陽性でわたしは妊娠していた。


 四角い窓に赤い線がくっきり二本出ているのを見たとたん、頭は真っ白になり何も考えられなくなった。


 とにかくお兄ちゃんに言おうと思ったけど、言えるわけがない。お兄ちゃんは受験生だ。心はもう東京の大学へ向いている。


 わたしが妊娠しているなんて言ったら、面倒な子だって捨てられるかもしれない。もう、お母さんみたいに捨てられるのは絶対にいや。


 でも、誰かに秘密をうちあけたい。ひとりで抱えるには、あまりにも辛い。どうすればいいか教えてもらいたい。


 わたしは秘密を打ち明ける相手に、おばあちゃんを選んだ。


 夜中に眠れず、おばあちゃんの部屋に行って布団にもぐりこんだ。わたしは小さいころから悪夢にうなされ、よく夜中に起きておばあちゃんの布団にもぐりこんだ。


 おばあちゃんのお香のしみついた匂いとあたたかな体にしがみつくと、ふしぎと安心してまた眠りに落ちることができたのだ。


 高校生になっているわたしがお布団にもぐりこんできても、おばあちゃんは特段驚かなかった。


 浅い眠りからすぐにさめ、抱き着くわたしの背中をやさしくさすってくれた。


「どないしたんや、また怖い夢でも見たんか」


 怖い夢ならよかった。夢なら早く覚めてほしい。同じ夢なら、お兄ちゃんと東京で暮らす夢が見たい。


 何も言えないわたしに、おばあちゃんは声をかけ続けた。


「寝れへんのやったら、昔みたいにお話しよか。六花はイツキさまの話が好きやったなあ」


 イツキさまは、都から逃げてきたお姫さま。わたしはイツキさまとは逆にここから逃げ出したいのに。


「あんな、わたし妊娠したみたい」


 怒られて、責められて相手は誰だって言われる。そう覚悟して告白したけど、おばあちゃんは違うことを言った。


「そうか、そしたら赤子はおろしたらええ。なんも心配することない」

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