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イモウトを愛しただけなのに  作者: 澄田こころ(伊勢村朱音)
第二章 六花、高一の夏
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とどろく川を渡って

 七月に入るともうすぐやってくる夏休みへ向けて、昼休み中の教室の空気が胎動を始める。中学生とは違う、ちょっとだけ大人になった自由を感じさせる夏休みへの期待が、徐々に膨らんでくるのだ。


 友達だけで旅行に行こうとか、お泊りのお誘い、はたまたクラス内のカップルたちはコソコソと人目を忍んで――実際には忍び切れてないのだけど――夏休みの予定を約束している。


「ああ、だる。来週、芸術鑑賞会やって」


 未希ちゃんはお弁当を半分ぐらい残すとポケットから出した手鏡を見て、自分の顔をチェックし始めた。とりわけ何も予定のない未希ちゃんは、浮かれた教室の空気が気に入らないのだろう。最近は「暑い」「うざい」「だるい」を連呼していた。


「宇土市の文化センターであるやつやな」


 わたしは玉子焼きを口に運びながら、適当に相づちを打つ。学校側は期末テスト終了から夏休みまでの間延びした期間に、消化しないといけない行事を入れてくる。


「そうそう、何見るか知ってる? 人形浄瑠璃やで、超どうでもえーわ。おまけに演目の曾根崎心中て、なんなん。知らんわ」


 今日は、いつにもまして未希ちゃんの機嫌が悪い。


「曾根崎心中って、たしか遊女の心中の話ちがったかな」


 うろ覚えの記憶で、話をつなぐ。


「えっ? なんか面白そうやん。遊女って花魁とかやろ。きれいでゴージャスな着物見られそう」


 わたしは口が半分開いた未希ちゃんの顔を、ちらりと見る。


「えっと、たしかに花魁の衣装は出てくるかもしれへんけど、人形の衣装やし期待できんかも」


「えー! 人形浄瑠璃って人形劇なん? なんなんその地味なん。はあ、歌舞伎とかならド派手でよかったのに」


 未希ちゃんは、人形浄瑠璃そのものが何なのかさえ知らなかったようだ。人形浄瑠璃の愚痴を言った唇が、突然苦痛にゆがんだ。


「いった……お腹……。ほんま最悪。今日二日目やっちゅうねん」


 今日の機嫌の悪さは、生理痛のせいもあったのか。わたしは、未希ちゃんの機嫌の悪さの理由がわかり、ちょっとだけほっとした。


「六花、痛み止め持ってへん?」


 わたしも生理痛は重く、痛み止めを常備してるけど、そういえばこの間は何時飲んだだろう。急に、口の中の玉子焼きの味が消えた。


「ごめん、今日持って来てない」


 わたしは玉子焼きを半分残したまま、お箸を箸箱にしまう。未希ちゃんはうなりながら机の上に突っ伏して、


「マジで生理とかいらん。もう、こんなん一生こんでええわ」

 とブツブツ文句を言った。


 わたしはそっと立ち上がり自分の席に戻ると、スケジュール帳を開いたのだった。


        *


 今日はお兄ちゃんといっしょに帰れない日。週に二日あるお兄ちゃんの塾の日だった。結局未希ちゃんはあれから、保健室へ行きそのまま早退した。


 だからわたしはひとりで、村まで帰ってきた。姫橋の手前で自転車から降りて、自転車を押して川を渡る。汗をかいた体に、御津川の上を吹き抜ける風が心地いい。


 いつもなら、ここでもうすぐ家に帰り着くとホッと一息つくのだけど。今日は足取りが重い。


 この沈下橋は欄干がないから落ちそうで今日は特に怖い。昨日の雨で水位があがり、ごう音を轟かせる川の流れに吸い込まれそうだった。


 渡り切っても自転車には乗らず、坂道をとぼとぼと歩いて上がる。

 ちょうど来迎寺の前を通りかかったら、山門から作務衣姿の和尚さんが出てきてわたしに気づいた。


 わたしが頭をさげ挨拶をすると、和尚さんも顔中をくしゃくしゃにして挨拶を返してくれた。


 和尚さんはおばあちゃんより若いけど、十分お年寄りと言っていい年齢だ。未だにバイクに乗って、檀家参りをしているからすごい。


「りっちゃん、今帰りか」


 夏の西日を背に受け、わたしは「はい」と言いつつほほ笑んだ。


「おばあちゃんは、元気にしてるか?」


 和尚さんは、何時も同じことを言う。

 わたしも「元気です」とおきまりの台詞を答えると、和尚さんは大きくうなずいた。


「りっちゃんは、ええ子や。おばあちゃん孝行な娘さんやで。ええお嫁さんになれるわ」


 これも和尚さんの何時もの台詞だけど、今日は心にぐさりと突き刺さった。


 わたしは、ええ子では絶対ないんです。おばあちゃん孝行どころか、おばあちゃんを悲しませる子なんです。


 心の中で和尚さんにわびた。


 家に帰って、自転車をガレージに止めていたら母屋の玄関が開いた。


「おおきに、ありがとうございました。なんや、心が軽うなりましたわ」


「お父ちゃんの看病あんまりできんかったて思てたんやけど、ああやってお礼言われたらほっとしましたわ」


 おじさんと、白髪のおばあさんが口々に礼を言い、ぺこぺこと玄関の中に向かってお辞儀を繰り返していた。おばあさんはハンカチで目頭を押さえて、泣いていた。


 わたしは、その人たちから見えない位置に体を隠し、ふたりが敷地から出ていくまでそこで身を潜めていた。


 あの人たちは、巫女聞きに来た人だ。おばあちゃんは、後川家の女の昔からの正業である死者の声を聞く巫女だ。


 でも、今は昔みたいに巫女聞きに来る人はめっきり減った。今来た人の前はたしか、半年ぐらい前に来たきりだ。


 でも、その仕事をなくしたくないっておばあちゃんは言うから、わたしはその仕事を継ぎたくないと、おばあちゃんには言えない。


 巫女聞きなんて絶対そのうちなくなると思う反面、なくならないような気もする。 今日みたいに涙を流してお礼を言っている人の姿を見たら、なくしてはいけないような気もしてくるから不思議だ。


 おばあちゃんの後をついだら、わたしにも死者の声が聞こえるようになるんだろうか。



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