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イモウトを愛しただけなのに  作者: 澄田こころ(伊勢村朱音)
第二章 六花、高一の夏
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壊れたマットレス

「どうしたんや?」


 ぼんやりしていたわたしの顔をお兄ちゃんがのぞき込む。眉毛が心配そうに下がっていて、おまけに息のかかるほど顔が近い。


 兄の顔ではなく、彼氏の顔をしているお兄ちゃんがかわいく見える。ふふっと息をもらし、わたしはノートをひらきそこに文字を書き込む。


『お兄ちゃんのこと好きやなって思ってただけ』


 ちょっとあざとかったかなと、すこしだけ後悔をにじませてはにかむと、お兄ちゃんの右手がすっとノートに伸びてきてシャーペンを走らせた。


『今日の夜、納屋で会おう』


 納屋で会う意味を理解して、わたしの頬はぽっと赤らみこくんとうなずいた。


        *


 山村の夜は、夏であっても冷気が漂う。しかし深夜の納屋の中は、わたしとお兄ちゃんの体から立ち上る熱気でむせ返るように暑い。


 母屋と離れに挟まれた納屋の中には、もう使わない農機具や生活用品が所狭しとおかれている。その中にある壊れたマットレスが、わたしたちの愛し合う場所だった。


 暗闇の中で激しく突き上げられた余韻にまどろんでいると、わたしの胸にお兄ちゃんは顔をうずめてつぶやく。


「六花の肌は、味も匂いも甘いな。この匂い好きや」


 視界がきかない納屋の中で、お兄ちゃんの口からもれる息で肌をなでられると、体の芯から熱くなる。胸の谷間にするどい痛みが走り、うっと短い息をもらした。


「え、ええ匂いなんて、せえへんよ。普通の石鹸しか、使ってないのに」


 おばあちゃんが買ってくる石鹸は昔ながらの固形石鹼で、微妙な匂いしかしない。わたしはちょっとだけ伸びたお兄ちゃんの髪の毛に鼻をうずめて、くんくんと犬みたいに匂いをかぐ。


「お兄ちゃんが使ってるシャンプーええ匂い。なんていうやつ?」


 今度、お小遣いで同じシャンプーを買ってみようかな。おばあちゃんに、買ってきてと頼むのはちょっと気が引ける。


「さあ、母さんがドラッグストアでうてくる普通のやつやけど」


 わたしもお兄ちゃんと同じ家に住んでたら、同じシャンプーが使えたのに。いつでもいっしょにいられたのに。


 お兄ちゃんの唇は、胸の谷間からだんだん上に這い上がってきた。


「今度、家にあるストック六花にやろうか」


 ふるふるとわたしは、首を横にふる。むき出しの背中で、長い髪がゆれた。


「遠慮せんでもええのに」


 そう言うと、お兄ちゃんはわたしの唇をおいしそうにんだ。熱い舌が口内に侵入してくる。甘いしびれに侵された頭に、お兄ちゃんのお母さん――晴子さんの幻影が浮かぶ。


 あの人は、シャンプーがなくなってることを目ざとく見つけるかもしれない。そうしたら、お兄ちゃんが疑われてわたしたちの関係がばれてしまうかもしれない。


 そんなのは、嫌だ。せっかくひとりじゃなくなったのに。

 ファミレスで晴子さんとお兄ちゃんに会ったあの日、家に帰るとお父さんのいないところでおばあちゃんに泣きついた。


『新しいお母さんなんていらん』そう言い、わんわん泣くわたしの頭をおばあちゃんはおろおろとなでてくれた。


『わかった、わかった。六花はずっとおばあちゃんと、ここにいたらええ』


 わたしだけ母屋に住む理由は、おばあちゃんが適当にお父さんに言ってくれた。晴子さんさえいなければ、晴子さんさえもうちょっと優しい人だったら、わたしもみんなといっしょに暮せたのに。


 わたしの唇をむさぼっていたお兄ちゃんが、ふっと閉じていた目を見開いた。切れ長のきれいな目がわたしをとらえたのが、闇の中でもわかる。この目に見つめられたら、あらがうことなんてできない。


「もう一回したい。今度はちゃんと持って来たから」


 前にお兄ちゃんとここで会ったのは、三週間ほど前だった。期末の勉強をしないといけないから、しばらくがまんしようって言って。


 その時、お兄ちゃんはゴムをうっかり一個しか持ってこなかった。いつも二個ポケットに入れてくるのに。でも、どうしてもしたそうだったから、わたしはいいよと言ったのだ。


 わたしは、返事の代わりに自分からお兄ちゃんにキスをした。それが合図のように覆いかぶさっていたお兄ちゃんは、せわしなく動き始める。その愛しい頭を、ぐしゃぐしゃに抱きしめてふと思う。

 晴子さんは、このことを知らない。わたししかお兄ちゃんのいやらしい姿を知らない。

 唇には、笑みが浮かんでいた。


          *


 深夜のタイル張りの浴室に、水音がばしゃばしゃと反響する。汗と体液でベタベタになった体を洗い流していた。


 今までは、濡れタオルでふくだけでなんとかなったけど、この暑さではもうふき取るだけでは汚れと臭いは取れなかった。


 体から、お兄ちゃんの痕跡が流れていく。すこし残念な気持ちで水の流れを見ていると、ふと胸の谷間に残るうっ血した痕をみつけた。指で痕をなぞり、この印が消えないうちにまた、新しい痕をつけてもらおうと思った。


 わたしとお兄ちゃんだけが知る、秘密の刻印。それは、甘美で淫靡な所有の証だ。

 深夜の浴室は蛇口を閉めると、静寂がひたひたと足元から這い上がってくる場所で早く出たくなる。


 この時間、おばあちゃんはもう寝ている。浴室から出ると、さっき閉めたはずの脱衣所の扉が開いていて、扉の向こうの闇から足音が近づいてきた。


 心臓が、痛いぐらい体を打った。こんな時間に誰がいるというのだろう。足音はとまることなく、だんだん近づいてくる。闇の底にカサカサのしわだらけの足が見え、視線を上げると白い浴衣を着たおばあちゃんだった。


 わたしはとっさに胸を隠し、お兄ちゃんのつけた痕を隠す。


「びっくりした、泥棒かと思た」


「タオル、乾いてへんかったし新しいの出したわ」


 差し出された、タオルを受け取り礼を言った。


「夜更かししたら、あかんで」


 と、深夜に体を洗っていた理由を聞かずに、おばあちゃんはふたたび扉の向こうの闇に消えて行った。




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