1話
この地を治める領主である父親。その後妻であり私の継母に当たるマヤが病に倒れた。
私の実母の事もあり父親は大慌てで領地中の医者をかき集め、診察をさせた。
中には当然名医と呼ばれていた医者も含まれていたはずだが、どの医者も明確な診断を下せず、匙を投げた。
床に臥せったまま高温の発熱と荒い呼吸を繰り返し、みるみるうちに体力が落ち衰えていった。
「ああ、お前まで私を置いて行ってしまうのか。お前だけでも救いたいのに。」
父親は嘆き悲しみ、何が何でも治療出来る者を求めた。
そんな父親のもとに一つの情報がもたらされた。
森の奥に住む「魔女」の噂。
なんでもその魔女はどんな病であろうとたちどころに治す万能の薬を作る事が出来るらしい。
そんな情報を聞いてしまった父親が取る行動なんて分かりきっており、その日の内には魔女のもとに使者が送られる事が決定した。
数日後、派遣された使者と共に一人の人物が領主の館を訪れた。
「領主様。例の方をお連れしました。」
使者が一礼と共に報告をする。
「うむ。」
満足そうな父親に使者を務めた男は一歩近づき、連れてきた人物に聞かれないように父親の耳元で囁く。
「しかし本当にこんな怪しげな奴を信用するのですか。とても奥様を救えるようには思えないのですが。」
「黙ってろ。藪医者どもがあてにならない以上致し方あるまい。何としても今度こそは救いたいのだ。」
諫言を口にする男を一喝し、魔女に向き直る。
「良くぞいらっしゃって下さいました。」
「魔女」らしく全身をローブで覆っているが黒というよりは薄汚れた灰色で、おおよそ使い込まれているのが分かる。
手には大きな箱を大事そうに持っている。その中に色々な薬草などが入っているのだろうか。
そして驚く事にその顔には顔の大部分を覆うような白い仮面をつけていた。
そのせいで「魔女」と呼ばれてはいるが男か女かすら分からなかった。
しいて言えば長い黒髪ややや小ぶりの背格好から、多分女性だろうという所までが限界だった。
父親の歓迎の言葉に一礼した魔女が口を開く。
「早速患者を診させていただきます。」
その声は仮面でくぐもっているが正しく女性のものだった。
父親の案内のもと館の中を進み、マヤの寝室にたどり着いた。
「どうぞ。」
マヤの侍女が扉を開けて招き入れる。
相変わらずマヤの様子がよろしくない。遠目でもわかる程に体中が火照り、荒い息が入口まで聞こえてくる気がする。
魔女はマヤに近づくと、医者のように血の流れの速さや口の中を調べた。
そこそこ調べ終えると魔女は父親の方を向き直る。
「一つ確認をしますが、先に亡くなられた前妻も同じような症状だったのでは。」
「そ、それがマヤと何の関係があるんだ。」
突然全く関係ないと思っていた事を聞かれて父親は動揺していた。
「率直に申し上げますとこのままでは前妻と同じ末路になるでしょう。」
「なんだと。」
「非常に強い呪いがかかっており、それが原因で同じ病を患う事になった。
村々の名医が前妻を救えなかったように、同じ病を患う奥様を救えないと判断した。
だから彼らは匙を投げたのでしょう。」
「あいつらめ。」
「そうやって彼らを責めないであげてください。彼らも亡くなると分かっている患者の主治医には立候補したがらないでしょうから。」
「・・・では、そこまで言うお前はどうするんだ。」
「私にも奥様を治す事は不可能です。ただし、一時的に今出ている熱を下げたり呼吸を楽にさせたりする事は可能です。
そうやって体の負担を減らし療養すれば、あるいは。」
「治るのか。」
「こればっかりは神の御慈悲で奇跡が起こる事を祈るようなものですが。」
父親はそこまで言われて少し唸る。それでも食い下がる。
「しかし「魔女」は万能の薬を持っていると聞いたぞ。」
「ああ、それはただの噂です。私にそこまでの技術はありません。私なんか比べ物にならないほどの偉大な魔女なら作れるかもしれませんが。」
今度こそ妥協した父親は話を進める。
「そうか。では今の症状を抑えるだけでも良いから薬を調合してくれないか。報酬ならはずもう。」
「わかりました。では台所に案内いただけますか。さすがに森の中と違ってその辺に火種になりそうな枝が落ちてませんから。」
メイドの案内で魔女は台所に移動した。父親はマヤの手を握りそこで待っている事にしたようだ。
私はメイドに案内される魔女の後にくっついて台所まで移動した。
魔女は台所にいたメイドにお湯を沸かさせながら、持ってきた大きな箱から数種類の薬草を取り出すとそれらをすり潰し、ポットに入れそこにお湯を注いだ。
出来てしまえばただのハーブティーのような物だが、そこは魔女が独自の配合で調合した物であるからそれ相応に特別なのだろう。
出来上がった物を持ってマヤの寝室へと戻ってきた。
そこでは未だに父親がマヤの手を握っていた。
「領主様。奥様の薬が出来上がりました。」
「おお、そうか。」
父親は薬が飲みやすいように優しくマヤの上体を起こす。
「さあ、これを飲みなさい。そうすればきっと良くなる。」
マヤは朦朧とした意識のまま促されるままに作り立ての薬を飲み、そのまま横になる。起きているのも辛いのだろう。
「30分もすれば徐々に熱が下がって息も楽になると思います。そこまでは私も見届けます。」
父親も魔女もそして私も無言のまま、マヤの様子を観察し続けた。
やがて魔女の予言通りにマヤの様子が安定してくる。ついには健康な人と変わらない健やかな寝息をたてて眠り始めた。
「大丈夫そうですね。」
やっと安堵したという感じで明るい、しかし起こさないように小さな声で魔女が呟いた。
その場にいる全員が胸をなでおろし、起こさないようにマヤの寝室から退室した。
談話室に移動して父親は魔女に感謝の言葉を口にする。
「おかげでマヤが助かった。ありがとう。」
「ただ症状を緩和させただけで、治るかどうかは神の御慈悲次第です。」
「それでもああやって穏やかに寝ている姿なんていつ以来だろう。本当に助かった。」
「私は頼まれた仕事をしたまでです。さて、これから先の事ですが、あの薬を毎日飲ませていただきたい。
ですが、あの薬は作り置きができません。かと言って私みたいなものがいつまでもこの館に居座るのもあまりよろしくないでしょう。
そこで、この館の誰か一人にだけあの薬の作り方を伝授しましょう。」
「ふむ。」
「但し、伝授するとは言ってもそれは魔女として私が日々苦労して蓄えた知識ですから、あまり大勢に口外されたくは無い。
ですからあまり雑多なメイドなどには教えたくはないです。使用人ならせめて死ぬまで雇用するぐらい重用している人物でないと。」
「うーん。」
父親が唸りながら適切な人材を思い出しているようだ。しかし、メイドの雇用にそこまで口を出してこなかった父親にそう簡単には適切解が見つからないようだ。
そこで私は手を挙げた。
「私じゃダメでしょうか。聞いている限りずっとそばに居られる人物、つまり家族のほうが最適と思いました。お父様はお仕事の関係で外出される事も多い事を考えれば、私が一番妥当かと。」
聞いているだけで蚊帳の外だったはずの私の発言に魔女はやや驚きながらも答えた。
「もちろん、大丈夫です。ご息女であれば長い間奥様のそばで様子を見ながら投薬ができますから。少なくともメイドのように首を切られる事はないですし。」
「お父様よろしいですか。」
「あ、ああ。もちろん構わん。」
父親は私に笑顔で答えてくれた。
私は魔女の方を向いて言葉をつづけた。
「では決定ですね。よろしくお願いします。」
「ええ。よろしくお願いします。」
「それで、その伝授はこの場で行うのですか。」
「いえ。この館では機材も材料も色々と不足しているので、森の中の小宅にて行おうと思っていますが。」
「森の中、か。」
父親がつぶやく。
魔女が住んでいる森は決して治安が良いわけではない。単純に獣の類に襲われるというだけでなく、その森には無法者達のねぐらがあるという噂も聞いたことがある。
父親は悩んだ結果、一つの案を出した。
「ではその薬の作り方を教える相手は娘でお願いしたい。ただし、その道中の護衛として数人を付けさせてもらってもよろしいか。」
「それぐらいでしたら。」
こうして私は急遽、小旅行に出ることになった。