悪の令嬢、アイリスの策略
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忠告の文を届けたり。
近きうちにヤーナ王国に悪しき令嬢訪れる。
彼女は毒薬を持ち出し、
果ては王の命を奪うだろう。
悪の令嬢、アイリスを殺せ。
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ある日突然、伝書バトからの知らせが来た。差出人は不明。ヤーナ王国に噂は瞬く間に広まる。それは、騎士団長である、エドガー・リグレットにも届いていた。
「アイリス……」
木々の生い茂る城の庭園で、彼は一つに結った金の髪を風になびかせ、飛び回る蝶を緑の瞳で追いかけていた。任務外とはいえ、聊か呑気に思えるのは、今までヤーナ王国が平和だった証拠だ。
それが今、悪しき令嬢によって王の命が危ぶまれている。という噂が出回った。
「ここに居ったかエドガー」
「ラピスラズリ様。玉座にて控えていてください。命を狙われているかもしれないのです」
ラピスラズリと呼ばれた青年は、深く蒼い眼を瞼できゅっと隠し、「お前までそのような事を……」とぶうたれていた。白髪の短髪が風になびく。その様はまるでシルクのように美しく、繊細に見えた。
エドガーは、ため息をつきながら、「王の自覚を持ってください。風格はあるのですから」と、駄々をこねるラピスラズリを玉座まで案内した。
ヤーナ王国に妃は居ない。王一人が君臨するからか、ラピスラズリは退屈だったのであろう。その様子を微笑ましそうに見守る召使たち。ヤーナ王国に不穏な空気などこれっぽっちも流れていなかった。
隣国のダレス王国との百年続く友好の印としてのパーティが起こるまでは……。
◇◆◇
パーティは、ヤーナ王国の広い客室で行われた。赤い絨毯にステンドグラス風の大きな窓ガラス。壁には王の象徴である、藍色の紋章が規則正しく彫られていた。天井には水晶のようなシャンデリア。まるで、宝石箱のような空間の中で、ラピスラズリは様々な人と交流をしていた。
しかし、王は不服そうだ。
「エドガー。護衛はよせと言うのに」
「何があるか分かりませんから」
必要最低限の返事も癪に障ったようだ。ラピスラズリは、ワイン代わりのブドウジュースをわざとテーブルクロスに垂らして、その後始末をエドガーにさせた。周囲の者は彼の意地の悪さを「若さ」という理由で無視していた。
ただ一人の女性を除いて。
「……大丈夫ですか」
その女は、周囲の貴族の女性たちと比べて、あまりにも質素な服装をしている。だが、瞳の色はラピスラズリに負けないほど美しく、見ていると吸い込まれそうな魅力があった。しかし、それ以外は何の印象も残らない不思議な女性だった。
同じような眼を持つラピスラズリは、特に相手にもしなかったが、エドガーの目に映るその瞳の輝きは一瞬の火照りに変わった。
「大丈夫です。失礼、貴方は……」
「こちらこそ失礼致しました。私はダレス国王の八女、アイリスでございます」
その名を聞いて、ヤーナ王国の者たちが目の色を変える。「まさか」という声があちこちで響き渡り、パーティ会場をざわつかせた。何も知らないのか、ダレス王国の者は呑気にワインやらパンやらを口に含みながら二人の様子を伺っていた。
「おぉ、お前が私の命を奪いに来た令嬢か」
再びラピスラズリがエドガーの元へと戻ってくる。命を狙われているとは思えないほど興味津々の顔でだ。彼の言葉を聞いて動揺するアイリスという女性。
「誰かの悪戯なのではないでしょうか」
アイリスは瞳をラピスラズリから逸らして、彼にブドウジュースを注ぐ。その時の動作を、エドガーは隈なく見ていた。彼のように注視して見れば、彼女が少量の何かを盛ったことがすぐにわかる。
「それはこの国自慢のブドウからできたジュースです。是非、貴方から順に味わっていただきたい」
「……」
エドガーの誘いに、アイリスは目を伏せてしまった。両手に握られたワイングラスの中にあるブドウジュース。エドガーは確信した。彼女は毒を盛ったのだと。
「罪を犯す前ならば、このまま見逃しましょう」
「……違うのです!」
「?」
突然大声を上げたアイリスに、エドガーは驚いた。一体何が違うというのか。彼女の言い分を聞こうというまでには平和ボケした王と騎士団長。そして周囲の付き人。
◇◆◇
「――はっはっはっは!」
パーティ会場に響く大きな品のないラピスラズリの笑い声。この時だけは彼の品位は大きく下がっていた。アイリスの頬は真っ赤だ。
「惚れ薬?」
エドガーは、内心呆れつつも彼女の品格を保つために真面目に応答していた。どうやら、幼い頃にラピスラズリとティーパーティで出逢い、恋をしたのだという。そして、自身で研究し惚れ薬を造ったとか。
「両国間との揉め事にはならずに済みそうで良かったです。では、伝書バトは一体誰が……」
「……きっと、私が惚れ薬の研究をしていた事を知った誰かが、王の暗殺であると勘違いしたのだと思います。ずっと、【ラピスラズリ様】と呟きながら造っておりましたから」
「ずっとですか」
エドガーの綺麗に纏まっている金色の毛に乱れが生じた。とても純粋でまっすぐな恋心。しかしお騒がせなことだと、エドガーは思った。
「そうだ!」
ラピスラズリが思い立ったようにエドガーの肩を小突く。
「お前が毒見して見せよ」
「なっ!?」
得体の知れない物の入ったブドウジュースを飲めと言われ、すんなりと頷く者は居ない。しかし王の命令。平和な国でもヒエラルキーはある。「毒見」と言われたら、飲むしかなかった。また、アイリスの言葉を鵜吞みにするほど、ヤーナ王国とダレス王国は仲が良かった。
「では……」
「待ってください!」
――ごくっ……。
エドガーは最後まで飲み切った。これで目の前の女性の気持ちと、王の機嫌を取れるのならば。そう思っていたのだが……。
「――如何なされました。アイリス嬢」
ぼーっとした目でエドガーを見つめるアイリスの頬は、ほのかに赤く染まっていた。「まさか」と周囲の者たちがはやし立てる。ラピスラズリも、興味が湧いたのか、彼女のことを口説き始めた。しかし、
「煩い黙れボケナス」
「ボケナス……って、わ、私は王だぞ! 口を慎め」
今まで惚れていたはずのラピスラズリに、暴言を吐きまくるアイリスが居た。兄弟喧嘩のような二人を止めようとしたエドガーの腕をつかんで、アイリスが「愛しております……エドガー様」と猫なで声で言う。他人の物が羨ましいと思う性格のラピスラズリには、それが何より悔しかった。
「いいか、絶対だ! 絶対アイリスを俺の嫁にする!」
「……ましたね」
「ん?」
空気が変わる。
アイリスが「くっくっく」と、不敵に笑った。
「言いましたね、ラピスラズリ様! 皆様も、お聞きしましたわよね。私。ラピスラズリ様と結婚致しますわ!」
「なんだとーー!」
ラピスラズリは、ここで初めて騙されたことを知る。周囲の者たちは、平和にパンやつまみを食いながらニコニコと三人の様子を見ていた。
「……利用してごめんなさい。エドガー様」
アイリスが、「てへっ」と、舌を出して綺麗な瞳を片方だけ瞼で閉じた。急なウインク。くらったエドガーは、真っ赤になった頬を片手で隠して、そっぽを向いた。
(思わせぶりな女性は苦手だ……)
こうしてパーティは平和に終わったのであった。両国はずっとこれからも平和に暮らしていったという。
おしまい。