国で一番怒らせてはならない人
「とりあえず……あのガキは抹殺ということで」
「意義なし!!」
「あるよ!!?」
話し終えるとクリークとマリーがメラメラと燃えている。手には凶器も持っていた。
──どっから出したのそれ!?
本気でやりかねない。
「落ち着きなさい。二人とも」
殺気立った二人を制止してくれたのはお母様。
良かった。冷静で。
「死体は処分したらダメよ。見せしめに残しておかないと」
そっち?
お母様こそ落ち着いて!!
まずは殺してはいけないと諭して。
冷たく笑うお母様の背後には吹雪が吹き荒れる。
その頭の中でどれだけ残忍な殺害方法を考案しているのか。
痛みに苦しみ、泣いて許しを乞うても聞こえないふりをするだけ。
「あの能無し当主の首を民衆の前ではねればいいんだな?」
「違う!ジル!!」
一番極悪人面になっていた。
人を殺すことを楽しむなんて狂ってるよ。
聞かせる人選を間違えたな。
公爵夫人とその使用人の言葉とは思えない。
料理長はどうにかフィリックス家の食事に毒を盛れないかと呟く。
料理長の腕ならあの家に採用されることは簡単。ファーラン家で働いていた経歴を抹消すれば疑われることなく潜り込める。
毒殺の罪はフィリックス家の使用人に被せるつもりだ。ああいう人間の元には一人は二人、必ず同族が潜んでいる。汚いことをして特別報酬を貰っているのなら、お金関係で揉めて殺しても誰も不思議に思わない。
リッヒは事故を装って馬車で轢き殺そうとしている。
走っている馬車を避けるのが歩行者のマナー。例え、誰かに突き飛ばされ場所の前に倒れ轢かれても、それは飛び出した側の責任で、馬車には一切の責任はない。
それも家紋の入った上級貴族の馬車なら尚更。
百%、歩行者の過失となる。
みんなお馴染み裏設定で、実は暗殺稼業でもやってるの?生き生きしすぎなんだけど。
ルカを殺したらハティが黙ってないよ。きっと。
王族の権限とか言い出して、私達に地下牢にでも閉じ込める。
頼みの綱はお父様だけど……。ああ、さっきから一言も喋らずに微笑んでるだけ。
それが怖すぎてつい目を逸らしてしまう。
「リン・シナーの件はレックスに預けた」
「は、はい……?」
「ではフィリックス家の件は僕に預けてくれるね?」
「………………はい」
いつもと同じ、穏やかだからこそより一層怖かった。
本当に怒っている人は怒りをあらわにしない。こうして笑っているものだ。
「みんなは私を信じてくれるの?」
「もちろんだ。愛しい娘の言葉を信じずして親とは言えない」
話したことは間違いじゃなかった。
「ねぇレックス。どうして十一年前には教えてくれなかったんだい」
「それは……」
もしも当時に全てを打ち明けていたら今頃フィリックス家は没落し、レックスは救われていたかもしれない。
こんな面倒なことにはなっていなかっただろう。
言えないのは、言えなかったのはたった一つの理由。
この後に及んで隠し事をするつもりもなくレックスの胸の内を明かした。
「私のせいでお父様やお母様が、他の人までもが悪く言われるのが嫌だった。優しい人達に知られるのが恥ずかしかった」
みんなが優しいと知っているからこそ真実を語ってしまえば、事態の収拾に尽力する。
盗人の娘を庇うために公爵の力を使ったのだと陰口を叩かれる。
そんなの耐えられない。
「僕達が君をこんなに苦しめていたんだね」
閉ざした扉の向こうにいた陽だまりのような優しさに触れてしまうと、絶対に死ぬまで真実は語らないと決意した。
墓場まで持っていく。この苦しみは。
お母様は私を抱きしめた。
もう大丈夫たと言ってくれてるような気がする。
お父様は私の手を強く包み込んでくれては何度も「ごめんね」と謝った。
泣いてしまいたいのを我慢して俯かないようにするのが精一杯。
この家に生まれてくる子供は世界一恵まれている。
愛されて大切にされて。
何度失敗しても、一緒にやり直してくれる優しい家族。
レックスに転生した私も運が良かった。もしかしたらあのリンに転生にしていた可能性もあった。
しかもそのまま、薫としての意識を取り戻さないままゲームの通りにストーリーを進めてしまう。
考えただけでもゾッとする。
リンになっていたらヴィザの正体もわからないまま三人の誰かと結ばれないといけない。
罪のないレックスを裁いたあとに。
運命って怖いな。どこでどんな風になるのか予想もつかない。
神様はレックスを救えと言ってるんだ。
ゲームというシナリオから抜け出せないこの女の子を。
「お父様。あまり酷いことはしないでね」
「庇うのかい?彼らを」
「いいえ。フィリックス家の領民には何の罪はないから」
「……そうだね」
なんで間が空いたんだろ。
フィリックス家がどれだけ非道な人間の集まりでも、彼らの領地で暮らす領民は精一杯頑張って生きている。それを奪うのは心が痛む。
領民が領主を選べるシステムなら、フィリックス家の領民は全員、我が領地で引き取るのに。
お父様に今日はもう遅いからと、マリーと一緒に部屋に戻された。
「家族に手を出されても尚、大人しくしているほど僕は優しくない」
なんてことを呟くお父様の声は私には届いていない。
ただ……扉が完全に閉まり切ると部屋の中は先程と違い、冷たく息をすることさえ忘れてしまう殺気が渦巻く。




