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 噂はあっという間に広がった。


 引きこもりレックスは人の心を持たない。

 ファーラン家は国への忠誠を裏切った血族。


 他にも中傷する噂がいくつも流れた。


 つい数時間前のことがもう王都全域に行き届くなんて。


 仕事出来ない貴族も、そういう噂を流すのだけは早いな。


 噂の出処が誰にしろ、私は自分のしたことが間違ってるとは思いたくない。


「ははは。元より僕達は忠誠なんか誓った覚えはないんだけどね」


 お父様は涙を流しながら笑った。


 お母様も困ったわなんてため息をつくけど困った感じはない。


 噂を伝えに来てくれたグランゾン伯爵は戸惑っている。


 今更何を言われても気にすることではないのだろう。


 そういう態度は私のためでもある。


 こうなったのは私の行いが原因。多少のお叱りはあってもいいはずなのに。


 というかせめて嘘でもいいから忠誠は誓っていたと言って。この際、過去形でもいいから。

 お父様のブレない姿勢に感服だよ。


「僕達への風当たりはいつものこととはいえ、グランゾン家も穏やかではないだろう?」

「正直に言えば。ですが!ファーラン家には恩があります。そんなことで見限るほど落ちぶれてはいません」


 グランゾン家、ソフラの家も元々はファーラン家を敵視する派閥だった。


 特に嫌う理由はなく周りに流されていただけ。

 それをおかしいと異議を唱えたのはソフラだった。


 その人と直接接してもいないのになぜ決めつけられるのか。噂に惑わされるのは愚かだと。


 娘にそこまで言われたら流されるわけにもいかず、噂の的でも公爵家でもなく、一人の人間として接した結果、自分達のしてきたことを恥じた。


 間違いを認めたのだ。


 根は良い人なんだよね。


 グランゾン伯爵は小心者のとこはあるけど揺るぎない意志も持っていて。


 こっち側につくとなると伯爵家といえど肩身の狭い思いをする。それを回避するために敵視していると思わせるように敢えてその派閥に残ることを薦めた。


 本人は納得いかないと顔をしていたけど、お願いされると従うしかない。


 命令ではなくお願い。いかに自分達を心配し、身を案じてくれているのかがよくわかる。


 過去にファーラン家を庇ってしまったこともあり一部の貴族からの風当たりは強い。


 私とソフラが会えるのも学校でのすれ違いを除けば月に数回。


 表だってあまり互いの家に行くわけにもいかない。家紋の入った馬車も使えず顔を隠して徒歩で出向いてくれる。


 下町にあるお父様のお店でなら堂々と会うことはできた。ソフラも店のお菓子は気に入ってくれていて、定期的に購入してくれている。


 グランゾン家は過去に事業に失敗して一家で首をくくる寸前だった。


 それを救ったのがお父様。投資という形で負債を肩代わり。


 そのおかげもあってグランゾン家の風評は世間は免れた。


 救って欲しいと手を伸ばした人を突き放さないのはお父様の良いとこ。


 以来、グランゾン伯爵は忠義を立てた。


 ファーラン家が沈むときは共に沈むと。


「私はソフラがいじめられないか心配」


 女好きのルカや貴族絶対派のハティなら手は出さないだろうけどクロックやリンが問題。


 何をやらかしてもハティが後ろ盾にいる以上はやられたほうが悪者になる。


 目標は友情ルートだったけど百%無理だとわかった。


 リンはハティを攻略している。


 次期公爵や有望な騎士より、王様のほうが魅力的。


 残された道がバッドエンドしかなくても抗うことはやめない。


 ソフラとルーナには私がいじめられてることを秘密にしてもらっている。


 嘘の証言をしたと罰せられて欲しくないから。


「サミールくん。しばらくの間、僕達とは距離を置いたほうがいい。家族が大事なら」


 こんなときまで他人の心配か。優しすぎるよ。お父様は。


 もしお父様が王になれば長い歴史の中で永遠に語り継がれるだろう。


 優しくて民を第一に考える国王として。



 ソフラ達が帰るとお父様は「さて」……と私と向き合った。


 使用人を全員集めて、私の大事な話を聞いてくれる。


 ──大丈夫。


 ここにいるのはレックスの味方。あんな目をする人はいない。


 深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。


 いつもならこの辺でマリーが前置きが長いと茶々を入れてくる頃だけど私の真剣な雰囲気に空気を読んだ。


「十一年前。フィリックス家で私のある噂が流れた。でもあれは真っ赤な嘘。どうしてあんなことになったのかわからないけど」


 全てを話した。


 どうしてもこの屋敷の人間にだけは知られたくなかった十一年前の出来事を。


 当時はまだそれほど自分が恵まれている環境にいるなんて思ってもなかった。


 公爵家の令嬢として生まれただけ。


 私という存在は無価値。親が手に入れた功績は私のものではない。


 だがらなぜルカにあそこまで嫌われているのか見当がつかなかった。


 私は純粋に仲良くなりたかっただけなのに。


 お茶会に招待されたときは純粋に嬉しかった。


 これで友達になれるのだと。


 気合いを入れて着飾って、失礼のないようにマナーも学んだ。


 順調……のはずだった。



 でも、悲劇は訪れた。



 突然ルカが大声で泥棒と叫んだ。


 その言葉が私に向けられているのだとわかったのはすぐ。


 ルカの視線はしっかりと私を捉えていた。差された指の先にいたのは紛れもない私。


 私のバスケットから取り出したのは拳ほどある大きさの深みのある緑色の美しい宝石。


 あれは隣国オーシャン王国の貿易商から買った一品。フィリックス家の家宝でもあった。


 私には身に覚えがない。


 そもそもそんな宝石があること自体知らなかった。


 何度も訴えた。


 私じゃない。私は盗ってない。


 信じてはもらえなかったけど。


 それどころかフィリックス家当主、ディーラ・フィリックス公爵までもが出てきた挙句に殴られた。


 痛かった。


 男の、それも大人の力で思い切り振るわれた暴力。


 頬が赤く腫れ、転んだ拍子に手は擦り切れた。


 そこで初めて、血というものを見た。


 でも、それ以上にルカからの心もとない言葉の数々のほうがもっと痛かった。


 ルカの言葉はナイフに形を変えて私を刺し続ける。


 敵意なんて優しいものじゃない。


 完全なる悪意。


 私を笑い者にして晒して、その上で私の言葉も聞かずにぶたれて……。


 ──私が何をしたというの!?


 叫びたかったのに感情がぐちゃぐちゃになって声が出なかった。


 他の令嬢も助けてくれるどころかただ笑うだけ。


 その瞬間わかってしまった。


 公爵家ではなくファーラン家に生まれた私の味方になってくれる人などいない。


 みんなどこかでファーラン家の失脚を願っている。これは好機。


 噂で潰れるのであれば罪にはならない。


 ここにいる皆は口裏を合わせることだろう。真実はどうでもいい。キッカケが必要なのだ。


 引きずり下ろすだけの材料が。


 みっともなく泣く私にルカは最後に一言




「お前みたいな薄汚い奴はさっさといなくなってしまえ!!」




 それは言葉の通り。目の前からでなく、この世からという意味。



 そこから先のことはよく覚えていない。


 どうやって帰ったのかさえ。


 ただハッキリしていることがあるとすれば私に向けられる視線が言葉が凶器となる。


 何も信じてもらえないなら噂を否定する必要はなく、部屋に引きこもった。


 目から光を失いボロボロとなった私を見て、小さな悲鳴も聞こえた。


 私を心配する声には耳を塞いだ。


 だってこの世界に私の味方はいない。


 初めから独りぼっちだった。


 聞きたくない。見たくない。


 独りの時間は外の世界と違って息がしやすく心地良かった。


 何日も何日も……何日も息をして眠って目を覚ますだけを繰り返した。


 このまま死んでしまえばいっそ楽になれるのになぁと思いつつも死への恐怖は拭えない。


 陽の光と鳥の鳴き声。吹かれる風。時折、降る雨。絶えることない人の声。


 私がいなくても世界は平和に回る。


 それなのに静かだった。屋敷の中は。


 恐る恐る閉ざした扉を開けると目の前に広がった光景は衝撃だった。


 お父様とお母様が、使用人達が廊下で眠っていたのだ。


 私が閉じこもってからずっと何日も何日も……何日も同じように食事を摂らずにいた。


 胸が締め付けられる。でもそれは痛いからじゃない。


 今までに感じたことのない温もり。


 涙が溢れた。視界が弾けたように輝く。


 私は独りぼっちではなかったのだ。


 部屋を出ると何事もなかったようにみんなは「おはよう」と言ってくれた。


 私は恵まれている。


 ファーラン家の子供として生まれたこと。

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