赤い花一本
その日は、いつもより早く目が覚めた。
陽が昇っていない空は暗く、今の私にはもう見慣れた光景。
向こうの空はもっと暗かった。ずっと暗くて闇の中にいるみたい。
朝がこなければいいと何度も願った。光が指すことなく静かな夜のままなら、どれだけ良かったか。
残念ながら明けない夜はなく、差し込む朝日を恨めく思う瞬間も、確かにあった。
解放されたかった。あの地獄から。
「おはよう。もう起きたのかい」
廊下を歩いているとピシッと着替えたお父様とすれ違った。
──この人は……寝ているのだろうか?
私が知る限りでお父様は日本時間で夜中の2時ぐらいまで書類仕事。
で、今の時間はだいたい四時。
睡眠っていうか仮眠じゃないかな!?よく体壊さないよね!?
朝一番で爽やかスマイルを頂けるなんてハッピーな予感しかしない。
「本当に今日行くのかい?例年通り僕が行ってもいいんだよ」
「いつまでも逃げるわけにはいかないから」
「それはフィリックス家のことを言っているのかな」
「うん」
大きくうなづいた。
「だからお父様。今日の夜は大事な話があるの」
「早く帰ってくるよ」
「ありがとう」
お父様に抱きついてほっぺにキスをした。
するとどうだろう。
時が止まったように動かなくなった。
顔の前で手を振ってみるも無反応。
というかこれ息してなくない?
しまった。やりすぎたかも。
子供ならともかく十七歳が取る行動ではない。
え、待って。死んでないよね!?
誰か呼ばないと。
「姫さん?どうした?」
プチパニックになってオロオロしてると首にタオルをかけたジルが声をかけてきた。
手には木刀。
訓練ですか。真面目だな。
「ど、どうしようジル。お父様が息してなくて。私が殺しちゃったのかな!?」
「落ち着け。大丈夫だ」
肩に手を置いた瞬間、ジルの頬からツーっと血が流れた。
何が起きたの?
振り向くとお父様は蘇生していた。
手には何も持っていない。どうやってジルを傷つけたかは深く考えないようにしよう。
触れてはいけないことなんだ。うん、きっとそうだ。
「僕の娘に気安く触れるな」
「申し訳ありません。そういうつもりは」
「なら早く行け」
「はは……。怖っ」
苦笑いをしながら一目散に退散した。
二人になると気まずい空気が漂う。
「今のをユリウスにもしてあげると喜ぶよ」
「う、うん。あのお父様。お母様の名前って何だか男の人みたいだね」
「それはね。間違えたからだよ」
首を傾げる私にお父様はお母様の家のことを話してくれた。
お母様は双子だったらしく、名前を付ける際に弟と間違えてユリウスと名付けてしまったらしい。
本来であればユーリと女の子の名前が付くはずだったのに。
そんな裏設定あったんだ。
やめてくんないかな。そういうの。
忠実にゲームの設定だけにしようよ。
じゃないと毎日不安に押し潰されそう。
お母様も弟さんも名前にさほど興味はなく、そのまま生きていくと決めた。
お母様の双子の弟か。きっとお母様と同じで綺麗な顔してるんだろうな。
いつか会ってみたい。
「ユーリくんは我がファーラン家の味方でいる数少ない貴族だ。日頃の感謝を述べるのもいいかもしれない」
私の考えを読み取ったお父様は独り言のようにボヤいた。
時間が合えばお母様の実家に連れて行ってくれると指切りをしてくれる。
その後、お母様までもが起きてきてお父様と同じことをすると左胸を抑えてながら床に膝をついた。
──なぜ!?
淑女の鏡とまで呼ばれたお母様が崩れ落ちるなんて。
愛情表現が嫌ってわけじゃないんだよね?
事態の収拾がつかなくなり困ってると何事かとクリークが駆けつけた。
状況を見て全てを理解してくれるクリークには流石と拍手を送りたいぐらいだ。
こんな朝っぱらから騒動を引き起こした割に王宮に行く時間になると、いつものようにカッコ良いお父様と素敵なお母様で見送ってくれる。
不安な思いが膨らみながらも馬車に揺られて、あまり良い思い出がない王宮へと確実に向かっていた。
今日王宮に集まるのは陛下に気に入られたい人ばかりだけど、私ももう一目会いたい。
あのどストライクすぎる顔と声で癒されたいんだよ。
──私も充分欲まみれだなぁ。
「お嬢様。到着致しました」
「ありがと。あれ。私が最後なのね」
「も、申し訳ありません!!ついいつもの癖で」
なに。いつもの癖って。
「旦那様は他の家と話すことはないからと、一番最後に到着して花をたむけてすぐにお戻りになられていました。てっきりお嬢様もそうかと……」
それも嫌われる要因の一つでは?
お父様の場合わかっててわざとやってそう。
けどよかった。
私がやろうとしていたことを先にお父様がしてくれていて。
それに早く入って好奇の目に晒されるのはごめんだ。
長居をするつもりはない。
サシリア様に花を、陛下に言葉を贈るだけだから。
「おい。あれ……」
「人前には出られないんじゃなかったのか」
「学校には通ってるらしいぞ」
どうでもいい憶測が飛び交っている。跡取りが全員学生ってわけでもない。成人した人もいる。
そんな彼らは耳に届く噂でしか真実を見ようとしない。
ハティを含めた四人が睨んでくる。
おー。怖い怖い。
私が来るべき場所じゃないとでも言いたそう。
忘れてるようだけど私は公爵家令嬢。
それだけでここに来る資格はある。
クロック。私はあんたのそのどっちつかずの態度が気に食わない。
仮に私を選んでも突き放すけどね。
「あれは……っ!!」
ハティの驚きの声と共に貴族達はザワついた。
原因はもちろん私。
赤い花を一本サシリア様に捧げたから。
この国で赤い花は愛の印として恋仲に贈るもの。
逆に死んだ者へは手向けてはならない。
私のしていることは今ここで首をはねられてもおかしく愚行。
「陛下のお心が癒えることを切に願っております」
片膝をついて左胸に手を当てた。
十秒の黙祷を終えて、笑顔で退室した。
あーあ。明日から不名誉な噂が流れるのか。
そうなるとわかっていてもこの展開はこうするしかなかった。
愛妻家である陛下がサシリア様の死をもう悲しんでいないのだから。
家に帰ったらすぐ土下座でもしよう。
お父様なら笑って許してくれるだろうな。




