昨夜の出来事
「もう辞めてもいんじゃないかな」
新学期の準備が終わったと報告に行くとお父様は不安そうな声と顔でそんなことを言った。
辞める?
あ、学園をか。
「淑女の嗜み、経済や歴史の勉強は……」
「そんなもの家庭教師でもつけるさ」
我が家にはそれぞれの分野に合ったスペシャリストの先生がいる。
元は貴族の子供を対象に教えていたんだけど、やはり皆、お父様とお母様の人となりに惹かれて今ではファーラン家の専属となった。
貴族の子供はワガママな性格が多い。問題が解けなければ教え方が悪いと物を投げ付けてくる人もいる。
誰の目から見ても教え方はわかりやすく、本人に考える力がないのだと、後からフォローを入れてくれるけど、危険度高めの子供に教えるのなんて命がいくつあっても足りない。
その点、私はそんなことをしないし使用人共々、良い人しかいないファーラン家は居心地が良いのだ。
それだけで二人のカリスマ性が伺える。
公爵家だからと驕ったり偉ぶったりしない姿は平民からの好感も高いし、平民だけの支持なら国一番かもしれない。
実質、国の半分が味方と言っても過言ではないだろう。
ある意味チートとも呼べるその手腕は本来であれば主人公クラスのキャラが持っていなければならない。
むしろハティだね。必要なの。
ハティは優秀ではあるが物事を強引に押し進めることもあり評判はあまり良くない。
それに加えて平民の言葉には一切、聞く耳は持たないという暴君。
元平民の言葉は何でも信じてるみたいだけど。
陛下の心配の種はまさにそれ。
ハティが国王に就任したとき、国が貴族派と平民派に分かれてしまうのではないかと。
当然、貴族派が有利ではあるが、国が割れるというのはロフィーナ国始まって以来の不始末。
きっとハティは歴史書の中で“愚王”と記される。
そんな王に仕えていたガラル家は衰退。もしくは没落。
ロフィーナ国は敵国に侵略されるかもしれない。
考えればわかることなのにハティは考えることを放棄しきっている。
誰かの操り人形で国がまとまるなら王なんていらない。
「大丈夫よお父様。殿下とはあまり近づかないようにするから」
「違いますよお嬢様。旦那様がご心配なさっているのはバカのことではなくフィリックス家のほうです」
「……今バカって言った?」
その呼び方は決定してたんだ。
あれは冗談じゃなかったのか。
しかも使用人にさえ言われるなんて相当だな。そしてそれをハティだと認識してる私も大概だ。
「もしかしてみんな。殿下が嫌いなの?」
当たりだったらしく、穏やかに流れていた空気が歪んだ。
お父様とお母様はともかく、クリークやマリーまでもが。
ここまでくると血筋が理由じゃない。もっと他に明確な何かがある。
「お屋敷にいる人は全員あんな奴、大大大嫌いです!!」
「メイドも執事もシェフも御者も?全員?」
「全員です」
「えーっと。その理由を聞いても?」
マリーとクリークは目を伏せて首を振った。それは自分達の口からは言えないという表現。
目が据わっているお父様にそれとなーく視線を向けた。
んーー。これは……うん。あれだ。怒るを通り越して殺意が芽生えている。
お母様は完成間近の刺繍に勢いよく針を突き刺してダメにした。
手元が狂ったわけでなく明らかに誰か特定の人の顔を突き刺したようだ。
その誰かは敢えて推測しない。
「僕はね。すごく心配していたんだ。中身は最低最悪だけども外見だけは、周りから騒がれているからね。レックスがもしあんな見てくれ男に騙され唆されたかと思うと……」
「嫌いな理由を教えて欲しいんだけど」
「安心してくれ。あんな男にレックスを取られたりしないから。大事な娘を守るためなら王家を根絶やしにしたって構わない」
構うよ!!反逆罪だよそれ!!
貴族だからといって必ずしも国に忠誠心があるわけではないけど、ハッキリと殺意を口にするだけでも不敬とみなされる場合もある。
外部に漏れたらたけど。
生憎、うちの人間は口が堅いから内部情報は手に入れられない。
みんなお父様の期待に応えようと努力し勉強をしている。褒められたいのではなく、認められたいのだ。
他の貴族ならたかが使用人の分際で、と、嘲笑うけどお父様は違う。
努力を否定することなく、頑張れば認めてくれる。時に厳しくなるのは全部、彼らを思ってのこと。
褒めるのはお母様の役目。
努力と勉強をたえまなく続けた結果、人を殺して死体から凶器まで処分してしまうほど優秀になってしまった。
完全犯罪を成立させてしまう実力派。
そんな向かう所敵なしのファーラン公爵家を怒らせるなど、ハティは何をしたの?
私が覚えていないだけでどこかで会った?それはないか。
ゲーム内で会ったのも二年からだ。
王宮に呼び出された日にお父様が怒り出したのと関係ある?
そうだと仮定すると直接何かをされたわけではないのかもしれない。
ハティにはどんな命令にも従う従者がいる。
その線が濃厚かも。
自分の手は汚さず……か。お父様が嫌そうなやり方。
お父様は悪魔でも鬼でもない。
誠心誠意心を込めて謝り反省さえすれば許してくれる慈悲深さを持っている。
「クリーク。毎日の登下校の送迎をリッヒに頼んでおけ」
「かしこまりました」
「いいよ!別にそこまでしなくて」
「学校に通いたいレックスの想いを汲んでのことなんだ」
「そうね。フィリックスのバカ息子が何をしでかすかわかったものじゃないわ」
「そんなことしたら友達出来なくなっちゃうじゃん!!」
力の限り叫んだ
四人はポカンと口を開けたまま固まった。
かと思えば、お父様とお母様が口元に手を当て涙を流した。
なぜ!!?
「ここ数年。外に出たがらなかったレックスの口から友達という言葉か聞けるなんて」
あ、そっち。
感動してるのね。
友達百人……は無理だから十人を目標に頑張ろう。
もちろん出来ることなら権力に擦り寄ってくるのではなく、過去の噂に引かれて興味本位で集まってくるでもなく、私の中身を知った上で仲良くしてくれる子がいいな。
性別は問わない。友達の枠に男も女も関係ないから。
「じゃあ送迎はやめよう。その代わり、殿下やフィリックスに何かされたらすぐ僕達に教えると約束してくれるかい」
「はい」
この場合の選択肢に「はい」以外はない。
溺愛している娘にさえ、ナチュラルに脅迫してくる辺り、お父様の親バカっぷりは相当なもの。
当の本人に脅している自覚はなく、お母様のニッコリ笑顔に全員が口を噤むことを決意した。




