雷鳥
「ダールベック辺境伯から金烏騎士団の派遣要請が出たよ。大型の魔物が出現したそうだ」
王宮の金烏騎士団の執務室に呼ばれたオリヴァーは、春に副団長になったばかりのリチャード・メルバーンから開口一番にそう聞かされた。
「大型の魔物とは?」
「雷鳥だそうだ。討伐はダールベック騎士団で出来るだろうが、瘴気を吐かれたら困ると、うちにサポートを頼んできたんだよ」
「なるほど。分かりました。出立はいつですか?」
「明日の夜明け前」
「毎度のことですが、急ですね」
「魔物はこれから行きますよと事前に教えてくれないからね」
ふふっと笑ったリチャードは、オリヴァーに資料を手渡して言った。
「雷鳥の資料だよ。間に合えば討伐も協力して行うから、一応目を通しておくように。学園のほうには私から連絡しておこう。試験は終わったんだね?」
「ええ。もう明日は終業式のみです」
「試験結果は?」
「総合十位でした」
「ろくに学園に通っていないのに、さすがは優秀だな」
オリヴァーは照れ笑いを浮かべると、それでは明朝にと挨拶をして寮の自室へと戻った。
それから荷造りを済ませて資料を読み込み、寝台に潜り込んだ。
眠りにつく前に天井をぼんやりと見上げていると、ふとダールベック領のことを思い出した。
騎士になって一年も経っていない頃、日蝕の直後に訪れたガーランド領の三角谷は、蝕貘に襲われて緑を失い、瘴気と灰にまみれていた。
オリヴァーは瘴気の濃度の高さにまず驚いた。ただ人ならばこの瘴気の中では数分で身体を蝕まれて、長く居座れば死に至る程の濃い瘴気だった。
これでは瘴気を祓ったとしても、植物や土地が回復するにはかなりの時間を要するに違いない。数年、あるいはもっと。なんにせよ人が住めるような状態ではなかった。
オリヴァーは蝕貘を直接目にしたことはない。蝕貘を目にした者は生きて帰れないというのが定説であったが、三角谷の様子を見てそれが真実なのだと悟った。
東の樹海の魔物の侵入を防ぐガーランド領には、強者が揃っている。ガーランドの私兵はもちろん、普段は鍬を持って田畑を耕す農民や女子供も戦闘に長けていると聞く。
そんなガーランド領を日蝕が起こっている二時間と少しの間に、蝕貘が滅ぼしてしまった。
オリヴァーは谷が壊滅した様を見て、直に瘴気に触れてみて、蝕貘に対して畏怖の念を抱いた。
オリヴァーは王族の血を継いでいるため、瘴気を祓う高い能力を持って生まれたことから、十三歳という若さで金烏騎士団へ入団を果たした。
周囲から期待されてそれに確実に応えてきた。金烏騎士団の中でも、実力は上位に位置すると自負していたが、蝕貘の瘴気は強烈だった。
同行していたリチャードは、今まで経験したことがない程の瘴気の濃さだと言った。並の神官では祓うことは不可能だと。オリヴァーもまた、新人の自分にどこまで出来るか不安だった。
しかし、とオリヴァーは目を閉じた。
三角谷に集まった人々の悲痛に耐えようとする顔が思い浮かんだ。あの人々の顔を見たら、何が何でも祓わなければと決意したことを思い出した。
そういえば、ひとり生き残ったというガーランド一族の令嬢は今頃どうしているのだろう。自分と同じ年頃の令嬢で、一度だけ手紙のやりとりをしたきり、その後の消息は聞かされていない。
オリヴァーは令嬢の顔は覚えていないが、名前ははっきりと覚えていた。
リズ・ガーランド。
――三角谷の瘴気を祓い人々の魂を救ってくれて、ただひたすらに感謝しています。ありがとうございました。それ以上の言葉を知らぬ私をお許しください。
と書かれた丁寧で痛々しくもある手紙は自宅に保管してあって、たまに読み返すこともあった。
あの手紙を読むと、金烏騎士団の騎士としてもっとたくさんの魔物と戦って瘴気を祓わなければいけない。苦しむ人々を少しでも助けてあげたいという気持ちが沸き起こる。
「手紙といえば、もらった手紙をまだ読んでなかったな……」
学園に行く度に生徒会書記のキムから渡される、大量の手紙の入った紙袋を思い浮かべながら、オリヴァーは小さなため息を吐いた。
女子生徒からの恋文は、毎度後回しにしがちであった。申し訳ないと思いつつも、どうにも読む気が起きないのだ。
ごめん、と誰にともなく謝って、オリヴァーは眠りについた。
❇
明朝オリヴァーはエリックと早馬に乗って出立した。瘴気を祓うだけなので、騎士は二名で充分とのことだった。
王都を出て中央と東部の境を流れる河を船で渡り、対岸で騎士団が常備している早馬に乗り換えて東部へ入った。
ダールベック城に到着するなり、出迎えた辺境伯から、今朝方雷鳥討伐にダールベック騎士団が出立したことを聞かされた。
「樹海付近にはよく雷鳥が出没するのですが、今回の雷鳥は広範囲に濃い瘴気を吐くので、うちの神官では手に負えず、派遣要請をしました」
辺境伯は更に、それでも雷鳥の討伐はそれ程難しいことではないが、雷鳥が出没した場所が東の樹海と三角谷に挟まれた渓谷付近のために、他の魔物が樹海から湧いて出る可能性があるため、長引かせたくないという。
「三角谷の入口には、兵士達の詰所と見張り台が建設されたばかりなんです。まずそちらにお連れして、状況確認をしてもらってから、現場に向かってもらう手筈となっております」
それからダールベック騎士団の騎士に連れられて、二人は最東端の三角谷へ向かった。
そこには以前来た時にはなかった見張り台と兵士達の詰所が建てられていた。まだ建設途中なのか、多くの資材があちこちに山積みになっている。
オリヴァーとエリックは、詰所の前で待機していた騎士に出迎えられると、すぐに現場に向かって欲しいと頼まれた。
「雷鳥の吐く瘴気で近寄れずに、苦戦しております。討伐に協力していただけますか」
「承知しました」
二人は騎士に連れられてすぐに現場へ向かうこととなった。先導する騎士は銀杏並木を通り抜けると、三角谷の中を突っ切って行った。
三角谷は折れた木々や空き家がポツポツとあるだけだった。夏だというのに緑はなく、灰茶色の殺風景な景色は、見ているだけで寂しい気持ちになった。
一年経過しても三角谷には雑草一つ生えていないことに、オリヴァーの胸は痛んだ。やはり、この土地が回復するまでにはまだまだ時間がかかるだろうと痛感した。
丘を越えると東の樹海が見えた。騎士は樹海の横を流れる川に沿って緩やかな山を登って行った。
どうやら丘で仕留めようとした雷鳥は、山へと逃げて行ったようだ。山道を馬で登って行くと、待機していた騎士が吊り橋の方へと雷鳥を追い込んだことを教えてくれた。
そこからは山道が険しくなるので馬では登れないため、馬を木に繋ぐと後は騎士に任せて、小走りで山道を駆け上がった。
そうしてしばらく道なりに行くと、段々と瘴気が濃くなっていった。濃度は高くないが、長時間吸えば身体に触る。
瘴気を祓いながら進むと、深い谷を繋ぐ吊り橋が目に入った。渓谷に渡された吊り橋の真ん中で、黄色い巨体の雷鳥が、威嚇するように羽根を広げて甲高い声を上げていた。
雷鳥の身体には無数の矢が刺さり、あちこちから血が流れて身体の半分を赤く染めていた。雷鳥は黒い嘴を開けてギィーと鳴くと、灰色の瘴気を撒き散らした。
橋の両岸で槍や剣を手にした騎士とダールベックの神官が、盾で瘴気を防いでいる。瘴気のせいで近寄れないようで、盾の隙間から矢を放つしかなかったようだ。
「もう力はほとんどないので稲妻は吐かないのですが、最後の悪あがきというやつで、瘴気を吐き出していて近寄れないのです。このまま力尽きるのを待っていたら、瘴気にあてられてこちらが保たないし、他の魔物が寄ってきます」
「分かりました。ここはおまかせください」
「橋は揺れます。お気を付けて!」
小さく頷いて、リチャードが橋を渡り始めた。その後をオリヴァーが静かに付いていった。
吊り橋は木と弦で出来ていた。造りを見る限りはしっかりとしていて、それなりの強度がありそうだが、いかんせん揺れるし古びていた。
グラグラと揺れる橋は結構な長さがあった。ゆっくりと渡りながら視線を下に向けると、流れの激しい川が見えた。吊り橋は高さがあり、横幅もあるが足場の部分は狭く、所々板の隙間から下が見えた。
その丁度真ん中に大きな雷鳥が待ち構えているので、あれが暴れたら橋が落ちるのではと心配になった。しかし、近付かないことには雷鳥は倒せないし、いざとなった時にリチャードをサポート出来ない。
「オリヴァー、後ろから瘴気を祓ってくれるかい?私が斬り込んでとどめを刺す」
「承知しました」
言うなりリチャードは剣を構えると、自身に瘴気を跳ね除ける結界を張って、ゆっくりと歩を進めた。その後をオリヴァーが追った。
少し歩いただけで吊り橋は左右に揺れたが、この程度なら大丈夫だろう。
雷鳥はリチャードから逃れようと飛び上がろうとしたが、羽根が傷付いてうまく飛べないため、嘴を大きく開くと瘴気を吐き出した。
オリヴァーは剣を引き抜くと雷鳥に切っ先を向けた。オリヴァーの瞳が金色に変わり、剣先から光が溢れ出すと、リチャードに向けられた瘴気を跳ね除けた。
次いでオリヴァーは呪文を唱えた。辺り一帯が光に包まれると、瘴気は一掃されていた。
光が収まった直後、雷鳥が悲鳴のような鳴き声を上げた。雷鳥の胸には、リチャードの剣が深々と刺さっていた。
大型の雷鳥の心臓は首と胸にあるといわれている。胸の心臓は突いたが、まだ首が残っている。
雷鳥は羽根をばたつかせた。リチャードは剣を引き抜いて後退しながらそれを躱した。それから体勢を整えると、大きく跳躍して首めがけて真一文字に剣を振った。
バツンと雷鳥の首が撥ねられると、孤を描いて川下へと落下し、激流に飲まれて消えた。
両岸で見守っていた騎士からわっと喝采が上がった。
しかし、雷鳥の巨体が倒れた衝撃で、橋は左右に揺れていた。みしみしと板が軋む音がしたかと思うと、板が外れて雷鳥の身体も川下へと落下していった。
橋は大きく揺れた。
オリヴァーとリチャードは手すりにしがみ付いて揺れに耐えていたが、突然樹海の方から烏に似た魔物が集団で現れた。
ケエケエと奇妙な声で鳴くのは、黒鳥だった。小型だが、素早くて火を吹くので厄介な魔物だ。
雷鳥の鳴き声を聞きつけて集まって来たのだろう。
オリヴァーは嫌な予感がした。早く戻ったほうがいい。
揺れに耐えながらもどうにか立ち上がると、元来たほうへ向き直った。
対岸に近い場所にいたリチャードも同じことを考えたのだろう。対岸へと飛び移ると、早く!とオリヴァーを急かした。
しかし、黒鳥のほうが早かった。三歩程進んだところで急降下してきた一匹の黒鳥が火を吹いた。吊り橋の弦に火が付き、それはすぐに焼け切れた。だらんと吊り橋が垂れ下がる。
まずいと思った時には、オリヴァーの身体は空中へと投げ出されていた。
手を伸ばしたが何も掴むことは出来ぬまま、真っ逆さまに落下していく。
ケエケエと鳴く黒鳥と、矢を放つ音、リチャードのオリヴァーと叫ぶ声を最後に、オリヴァーは激流の中へと飲み込まれていった。