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リズの瞳  作者: 朋永実久
第一章
8/50

面影



 ようやく四日間に渡る夏期試験が終わった。

 リズは机の上に突っ伏すと脱力した。この二週間は苦手な勉強をこれでもかと頑張った。おかげで、終わった途端に精神的な疲労がどっと押し寄せてきた。エイデンとの訓練よりも遥かに疲れる。


「あらあら。令嬢らしくないわね」


 隣の席のスーザンに言われて仕方なく背筋を伸ばしたリズは、元から令嬢らしくないと言い訳を口にした。


「またそんなこと言って。……それで手応えはあったの?」


「分からないわよ……」


 まあとスーザンは笑った。


「試験が終わったんだから、もう来週からは夏期休みね。リズは避暑に出かけないの?」


「ええと……東部へ行く予定なの。知人の所で過ごすつもりよ」


 リズは夏期休暇の間はダールベック城でお世話になることが決まっていた。


「いいわね。東部は森林地帯が多くて涼しいものね。東部のどこ?」


「ダールベックよ」


「東部で一番の都会ね」


「そうね」


 リズは生まれが三角谷であることを言うべきか考えていたが、迷っているうちにスーザンが話し始めてしまった。


「私は父の生まれの南部へ行くのよ。南部は暑いと思われがちだけど、山間部の方だから割と涼しいの」


「それはいいわね」


 お土産を買ってくると互いに約束をして、話題は再び試験結果の予想へと戻った。リズは帰り支度をしてスーザンと一緒に教室を出ると、いつものように書庫室へ行くために途中で別れた。


 途中、リズは渡り廊下でジョエルとばったりと出くわした。どうやらブレンダをこっそりと追っていたようで、ジョエルは丁度いいとリズに付き添うように頼んできた。


「一人でいるとかえって目立つんだよ」


「なんだか犯罪に加担しているような気持ちになるわね」


「変な言い方するなよ!これはあくまで……」


「お役目なのよね」


「そ、そうさ!」


 やれやれとリズは遠目でブレンダを見やった。

 今日のブレンダは男子生徒と女子生徒に挟まれて三人で歩いていた。他の二人は同じクラスの友人なのだろうと思いきや、廊下の角を曲がる時に見えた横顔を見て、それが生徒会の役員だと気が付いた。


 女子生徒はリズがオリヴァーに手紙を持って行った時に現れた生徒会の書記のキムだった。

 ブレンダもまた生徒会の一員であり、現在は総務として活動しているが、追々は生徒会長を任されることになるはずだった。


 反対に男子生徒のほうはどこかで見たことがある気がするが、はっきりとは思い出せなかった。


「一緒にいるあの男子生徒は?」


「……エリック・ブラウニング。学園でブレンダ殿下の護衛を任されているんだ」


 エリックと聞いて、リズは思い出した。

 エリックは今年の春に玉兎騎士団に入団したことで有名だった。


 オリヴァーが十三歳の最年少で金烏騎士団に入団したのに次いで、エリックは玉兎騎士団に十六歳で入団した。学園に通いながら騎士として活動しているのは、この二人だけだ。


 ブレンダは廊下を曲がると中庭へと出て行った。書庫室とは反対の方向だが、リズはジョエルに付き合うことにして、階段を上がって第二図書室の隣にある図書準備室へと入った。


 ジョエルがいつもの窓際の特等席へ座ると、リズはその隣に立って窓越しに中庭を見下ろした。


 ブレンダは噴水の周りにある花壇を見ながら、ゆっくりと三人で会話をしながら歩いていた。


「秋に植える花を何にするか相談しているんだ」


 聞いてもないのにジョエルが説明したので、リズはなるほどと頷いた。

 この位置からならば三人の顔がよく見えた。リズはエリックを観察した。


 日に焼けて少し浅黒い肌に、襟足までの短めの黒髪。きりりとした眉に灰色の瞳は切れ長で、鼻筋の通った高い鼻。真一文字に結ばれた唇からは無口そうな印象を受けた。


 それでいてエリックは背が高くて手足が長く、細身に見えてしっかりと筋肉があり、バランスの取れた体躯をしていた。

 歩き方一つとっても訓練を受けた軍人であることは一目瞭然だった。まだ十六歳だというのに、この歳で軍人の風格があるのがなんだか可笑しかった。


「エリック……。顔はよく見えなかったけど、背が高いのね」


 はあ?と首を傾げてジョエルが怪訝そうな顔でリズを見やった。


「背はここ一年でぐんと伸びた印象があるけどって……何で?」


「別に……。それで、彼も護衛なの?」


「エリック・ブラウニングは学園にいる間だけでいいから殿下のことを気にかけてくれと、陛下からそれとなく頼まれているんだ。それはオリヴァー様も同様で、だから二人は生徒会室への出入りも認められている」


「なるほど。彼らは騎士だから堂々と殿下の護衛として振る舞えるのね」


「その言い方はなんだか腹が立つな」


「本当のことじゃないの」


 そうだけど、とジョエルは不満げだ。その解りやすい態度に、リズはくすりと笑った。

 影の護衛としてジョエルが活動していることは、ブレンダ本人も知らない。私はあなたを護る護衛なんですと声を大にして言えたらと、何度も思ったのかもしれない。


 恋する男は複雑だ。リズはそんなジョエルが可哀想で、そして少しだけ羨ましいと思う。


 そんな風に一心にブレンダを見つめるジョエルが、騎士に憧れて夢中になっていたロキと重なって、リズの胸は鈍く痛んだ。

 不意打ちの痛みに、胸に手を当て目を閉じることでやり過ごす。唐突にやって来る懐かしさを、リズはいつもこうしてやり過ごしていた。


 試験結果について考えることでなんとか気持ちを落ち着かせて目を開けると、中庭の景色が視界に飛び込んできた。

 そして、こちらを見上げている人物に気が付いた。


 エリックがまっすぐにこちらを見上げていた。かちりと視線が合うと、灰色の瞳は驚愕したように大きく見開かれた。開かれた唇がゆっくりと動いたのを確認するなり、リズは素早く背を向けていた。


「……今エリック・ブラウニングがこっちを見てなかったか?」


「そうだった?」


「リズを見てたんじゃないか」


「こっちの視線に気付かれたのかしらね。これ以上ここにいると不審がられるから、私はそろそろ行くわ。書庫室に用事があるの」


「蝕貘か?」


「そう」


「じゃあまた家で」


「ええ」


 ジョエルにそれ以上追求されないようにと、リズはさっと部屋を出た。階段を降りると誰もいないことをいいことに足早に廊下を歩く。


 つかつかと足を動かしながら、何を焦っているんだろうと思う。僅かばかりに動揺していることに気が付いたリズは、追いかけてくる足音に気付くのに遅れた。


 ようやく人の気配に気付いて振り返った先にいたのは、エリックだった。

 中庭から走って来たのだろう。エリックは肩を上下させて息を整えると、真正面からリズを見据えた。


 二人の視線が交わる。エリックは誰かと見比べるようにリズの顔をまじまじと見つめた。その誰かがロキだろうことは言われなくても分かる。


 リズは十三歳の頃にエリックと会ったことがあった。リズもまた思い出の中の十三歳のエリックと、目の前にいる十六歳のエリックを比べていた。


 十三歳のエリックはまだまだ子供といった雰囲気が抜けず、背も低かった。それこそリズと同じくらいだったが、今では見上げなければいけない程背が高くなり、眉目秀麗で鍛え上げられた青年へと変貌を遂げていた。


 しばしの沈黙の後で先に口を開いたのはエリックだった。


「ロキ・ガーランド……ではないな……」


「私はリズと申します。ロキの姉です」


「双子だったのか」


 掠れた声でエリックが言った。それはまるで独り言のようで、答えるまでもないことのように思えたが、リズは首を縦に振った。


「ええ」


「突然話しかけてすまない。私はエリック・ブラウニングという。私は以前、ロキ・ガーランドと対戦したことがあるんだ。騎士を目指す貴族の子息が集まり、騎射、槍、剣の腕を競う武術大会で一緒になったんだ」


「存じております。私も会場におりましたので」


「そうか……。ロキはとても強かった。騎射でも槍でも勝てなくて、最後の剣試合でなんとか勝てたんだが、ロキは剣試合の直前から身体の具合が悪くなったようだった。完全な勝利とは言えなくて、悔しかったよ」


「そうでしたね」


 エリックは懐かしむように目を細めた。リズもまた懐かしさで、火が灯ったように胸の奥が温かくなった。それに気が付いて、慌てて顔を引き締めた。


「だけど……ガーランド領は蝕貘に襲われたと聞いた。……壊滅状態だとも」


「その通りです」


「とても残念なことだ。お悔やみ申し上げる」


 丁寧に頭を下げたエリックの後頭部を見下ろして、リズは礼儀正しいところは変わっていないのだなと思った。


「お心遣い感謝致します」


 それ以上何を言えばいいのか分からずにリズが沈黙していると、エリックは頭を上げてもう一度謝った。


「突然声をかけて時間を取らせて悪かった。中庭から君の姿が見えて、あまりにロキ・ガーランドに似ていたからつい追いかけて来てしまった」


「いえお気になさらず。ただ、一つお願いがあります。私のことは他言無用でお願いします」


「それは……ガーランド領と関係が?」


「はい。いずれは分かることかもしれませんが、私がガーランドの生き残りだと知られて周囲に無用な心配をかけたくないんです。今の私はリズ・マーシャルですから。周知されるまでは内密にしてくださると助かります」


「そうか……分かった。約束する」


「ありがとうございます」


 礼を言いながらも、リズは心のどこかで隠す必要があるのだろうかと自身に問いかけていた。

 いっそのこと全てを話してしまったほうがいいのではないか。そうすれば、オリヴァーにもスーザンにもすんなりと話すことが出来るかもしれない。


 考え込みそうになったところで、エリックが口を開いた。


「……ところで君も二年生か?」


「はい。Dクラスです」


「そうか……」


 それきり会話が途切れたので、リズがそれじゃあと別れを切り出して頭を下げると、エリックもそれじゃあと小声で呟いて背を向けた。

 廊下にエリックとリズの足音がかつかつと響き、やがて自分の靴音だけになってようやく緊張が解けた。


 ほっと息をついて後ろを振り返ると、もちろんエリックの姿はすでになかった。それでもリズは、しばらく廊下の先を見つめて立ち尽くしていた。


 ロキの名を呼ぶ者が、この学園にいた。

 リズがガーランドの生き残りだと知られるよりもずっと、それはリズの心を大きく揺さぶっていた。


 エリックの登場で、普段は堰き止めてあるはずの温かな思い出が、胸の奥から少しずつ流れてきてはリズの心を湿らせていた。


 いつものようにやり過ごそうとしたが、剣を振り戦うロキの姿が鮮明に思い出されて、リズは堪らずに駆け出した。こんな顔を誰かに見られる前にここから立ち去らなければいけない。


 懐かしいという感情は、普段は気丈に振る舞っているリズの心を脆くした。



 書庫室へと逃げ込んだリズは、荒く扉を閉めていつもの席に鞄を置いて机に突っ伏した。そのまま腕に顔を押し付けて、思い出に浸る。


 一年経ってもリズは沈み込んでしまう瞬間がある。普段は何事もなく過ごせるのに、何かをきっかけに過去を思い出すと、寂しさがとめどなく押し寄せてくるのだ。

 特にロキのことを思い出すと、身体が強張り心が軋んだ。


 ロキとはいつも一緒だった。リズにとって半身のようなものだったから、未だにロキを失った喪失感は抜けていない。ふと、何かが足りない感覚に陥って、それがロキだと気付いて胸が苦しくなる。


 何度繰り返しても、苦しみや悲しみが薄れることはない。いつも同じ所にはまって動けなくなる。


 リズは気持ちを落ち着かせようと深呼吸した。

 埃と紙とインクの匂いが、ここに誰も来ないことを証明してくれているように思えた。


 ここがあってよかった。

 リズは孤独を恐れながらも、独りでいられることに安堵して自分を慰めた。


 大丈夫、大丈夫。

 なんの説得力もない言葉をただひたすらに繰り返して言い聞かせた。


 そうして、いつものようになんとか痛みに耐えた。



 

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