表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リズの瞳  作者: 朋永実久
第一章
7/50

再会



 季節は夏へと向かっていた。あと二週間もすれば夏期休みに入る。しかし、その前に夏期試験がある。


 授業が終わると、クラスメート達は早々に帰宅する準備をしたり友人達と会話に花を咲かせている。そんな中でリズは、試験範囲の書かれた黒板を睨み付けながら、せっせと教科書をめくって頁に印を付けていた。


「リズ。そんなに慌てたって試験が簡単になったりしないわよ」


 背後からぽんと肩を叩いて声をかけてきたのは、同じクラスのスーザン・モルガンだ。


 明るいオレンジ色の長髪を緩く編み込み、薄茶色の瞳は涼しげで目尻にぽつんとほくろがある。スーザンは背が高くて手足が長く、十六歳にしては落ち着いていて大人っぽい。


 軍人の父を持つ男爵令嬢のスーザンは、学園に入りたてのリズが右往左往しているところを、気さくに話しかけてくれた学園で初めて出来た友人である。


「そうだけど……試験でいい点数を取れる気がしないのよ……」


「そんなの皆も同じよ。Dクラスに入った時点で勉強なんて後回し。のんびりマイペースにやっていこうって人ばかりだと思うわ」


 スーザンの言うとおり、このクラスの生徒達はあまり成績にこだわらない。幼少期から家庭教師をつけてしっかりと勉学に励んできた者は、大抵AクラスかBクラスに入れる。


 そのほとんどがお金持ちや高位貴族の子息子女ばかりで、Dクラスの生徒は家を継がない子息や、嫁にやればいいと呑気に考えられている子女等、親が勉学に力を入れていない者が集まっていた。


 だから試験の時期になるとAクラスはピリピリしているが、Dクラスは普段とあまり変わらないままだ。必死になって勉強しなければと息巻いているのは、リズくらいだった。


「リズがそんなに向上心のある子だとは思ってなかったわ」


「向上心なんてないわよ。私は二年生から入ってるから、それなりの成績を取らないと三年生に上がれないかもしれないのよ……」


「そうかしら?成績を落とさなければ大丈夫だと思うわよ」


「その落とさないようにするのが難しいから必死になっているの。……ねぇ、スーザン?」


「あら。私はだめよ。勉強は得意じゃないんだから。うちは勉強には力を入れてないのよ」


「そんなぁ……!」


 リズはあからさまにがっかりした。知ってると思ってたわと、スーザンはくすくす笑った。


「残念ながら教えられる程の学がないのよ」


「やっぱり自力で頑張るしかないわよね……」


「そんなにひどいの?休学している間の一年間は、家庭教師がついてたんでしょう?」


「そうだけど……」


 この一年間勉強ももちろんしていたが、最低限のことしかしていなかった。エイデンとの戦闘訓練や三角谷で田畑を耕すことに力を入れがちで、勉強が疎かになっていたのだ。

 そもそも、リズは昔からマナーレッスンや戦闘訓練は真面目にこなしていたが、勉強だけは苦手だった。年下のジョエルに解答の間違いを指摘されるくらいに。


「勉強熱心じゃなかったのね?」


「そうなのよ……」


 がっくり肩を落としたリズに、スーザンは微笑んだ。


「Aクラスの人に教えてもらえたら一番なんだけどね」


 Aクラスと聞いて、脳裏に浮かんだのはオリヴァーだったが、お礼を言うどころか話しかけることは未だに出来ていなかった。

 それどころか、中庭にいるのを目撃して以来姿を見ていない。きっと騎士の活動が忙しいのだろう。


 リズは自力で頑張ろうと決意すると、教科書とノートを鞄に詰め込んだ。


「図書室で勉強してから帰ることにするわ」


「あら。それこそAクラスの人達で溢れかえってるんじゃない?」


「書庫室へ行くから大丈夫よ」


「また?よくあんな埃臭くて薄暗い所で勉強出来るわね……」


「誰もいないから集中出来るのよ」


 にこりと微笑めば、スーザンは恐れ入ったわと言って肩をすくめた。



 王立学園には図書室が三つある。

 一番大きな第一図書室には主に新刊やよく貸し出しされる本が置かれていて、読書が出来る席が設けられており、自習室も併設されている。そのため最も生徒の出入りが激しい。


 第二図書室には大判の書物や地図等、授業で使用するような貸し出し不要のものが置かれているため、人の出入りは限られてくる。


 そして、最後に書庫室と呼ばれる第三図書室。ここには古い文献や書類等が置かれており、書庫室と皆から呼ばれるように滅多に人の出入りはない。

 しかし、リズは最近よくここを利用している。理由はもちろん蝕貘のことを調べるためだ。


 リズが王立学園に入って初めにしたことは、ジョエルに図書室に案内してもらうことだった。

 さすがというべきか、王立学園の図書室はダールベック城に比べて圧倒的に数が多くて種類も豊富だった。


 リズは入学式の当日、第一図書室に入り浸って蝕貘について詳しく記された文献がないか調べたが、これといったものは見付からなかった。

 そこで図書委員に尋ねたところ、第二、第三図書室を教えてもらい、ニヶ月かけて第二図書室を漁り、それでも見付からないので第三図書室へ辿り着いたのだ。


 第三図書室には小さな机が窓際にいくつか置かれていて、一人で読書や勉強が出来るようになっている。ただし、埃臭いのと校舎の奥まった所にあるために人の出入りはほとんどなかった。

 リズはこれ幸いとばかりに放課後に通っては蝕貘のことを調べている。そしてついでのように勉強もして、たまに掃除までしていた。



 リズはいつも座る一番奥の席へ鞄を乗せると、窓を開け放った。風が吹き込んできた。気温は高いが風があるのでそれ程暑さを感じない。

 心地よくてしばらく風を浴びてから椅子に腰掛けると、窓から外を見やった。そこからは小さな林が見えた。


 林は学園の校舎の中にある。それ程広くはないが小動物が生息しているようで、たまに生物学の教師が足を踏み入れるくらいで、生徒達は入るどころか近寄ることもほとんどない。リズも同様だった。


「さて、と」


 鞄から教科書を取り出してパラパラと頁をめくりながら、リズは頬杖をついて教科書を読み始めた。



 しばらく集中して教科書を読んでいたのだが、やがて目では教科書を読みながら、頭では別のことを考え始めていた。


 スーザンやクラスメート達には、自分がガーランド一族の生き残りであることは話していなかった。一年間休学していたのは病欠で、ジョエルとは本当の姉弟だと思われている。


 あえてそう思わせておこうと決めたのはジョエルの父スコットで、リズも周囲から同情されたり変に気を遣われるのは嫌だったので、異論は唱えなかった。


 三角谷が蝕貘に襲われたことは誰もが知ることだが、リズが生き残りであることやマーシャル家の養女になったことは、一部の者にしか知らされていない。


 幼少期からの知人には説明してあるし、ジョエルと付き合いのある人達は、ジョエルに突然姉が出来たのには何か複雑な事情があるのだろうと、勝手に解釈してくれているようだ。


 しかし学園に通うのは貴族の子息子女しかいないのだから、いずれ親から聞いてリズがマーシャル家の養女になった経緯を知る者も出てくるはずだ。そうなったら、あっという間に学園中にリズの事情は知れ渡るだろう。


 それまでに、スーザンに打ち明けるべきだろうかと、リズは教科書を読むのを諦めて窓の外へ視線をやった。


 言って、それでどうする?

 重い過去の話をされてスーザンは困惑するのではないか?


 今までのように気さくに話しかけてくれなくなったらどうしよう。スーザンとは友人になってまだ三ヶ月だが、すでに冗談や愚痴を言い合える仲で、一緒にいるととても楽だった。


 それなのに、事情を話して離れていかれたらと思うと、胸が痛んだ。せっかく出来た友人を失くすのは寂しい。でも、後でガーランドの生き残りだと知られて、なぜ話してくれなかったのと言われるのも辛い。


「いつか話さないとね……」


「何をかな?」


 独り言に返答があって、びっくりして肩が跳ねた。勢いよく顔を上げると、驚いた顔と目があった。


「ごめん。驚かせるつもりはなかったんだけど……」


 本を片手に少し離れた場所に立ち、困ったように微笑んでいるのは、オリヴァーだった。

 リズは驚きのあまり固まった。


 オ、オリヴァー様がいる?!

 こんな埃臭くて薄暗い書庫室に、きらきらしたオリヴァー様がいる。ミスマッチ過ぎて信じられない。これは夢なのか?!


 リズは手の甲をつねってみた。

 痛い。現実だ。嘘でしょ。嘘……!

 リズは気が動転していた。


「あの……?」


「あ、あ、ごめんなさい!まさか人がいるとは思わなくて……!」


「ああ。ごめんね」


 オリヴァーは呑気に笑った。その笑顔があまりに柔らかくて優しいものだから、リズは赤面した。

 いつまでも見ていられるような綺麗な顔だった。とはいえ、ぼうっと見惚れているわけにもいかない。リズは平静にと自らに言い聞かせて、声を振り絞った。


「あの、なぜこのような所に?」


「ん?ああ……本を返しに来たんだ」


「本を?しかし、ここは貸し出し不要の資料しかございませんが……」


「え?そうなの?」


「ええ……」


 首を傾げたオリヴァーはぐるりと書庫室を見渡すと、そういえばと言ってリズに目を留めた。


「ここはとても狭いね。私が本を借りた図書室はもっと広かったように思うよ」


「そうですよね……。それは多分第一図書室だと思います」


「それじゃあここは?」


「古い書物や資料が置いてある第三図書室です」


「図書室と書いてあったからてっきり……。また間違えてしまったみたいだ」


 また?またとは?

 リズの疑問に察したように、オリヴァーが答える。


「私は学園に来ることが少ないから、どこに何があるか未だによく分かってないんだよ。だから、たまに来ると迷ってしまうんだ」


 まあよく行く場所でも迷う時は迷うんだけどと、オリヴァーが頭をかいた。そんな仕草の一つ一つがかっこよくかつ可愛く見えてしまい、リズは困って目を逸らした。


 それにしても、今照れている場合ではないように思う。

 今こそ千載一遇のチャンスだ。お礼を言うなら今しかない。もうこの先二度とオリヴァーと二人きりになれる機会はないかもしれないのだ。


 言うべきだ。いや、でも待てよ。オリヴァーが気安く話しかけてくれたというのに、いきなり魂を救ってくれてありがとうとか言い出したら、おかしい女だと思われるのではないか?

 今は言うべき時ではない。でも、それじゃあいつ言うべきなんだ?

 やはり今しかない。いや、でもそんな空気ではない。

 それじゃあどうしたらいいんだ?


「……ところでもうすぐ日が暮れそうだね。君はそろそろ帰るのかな?」


 自問自答を繰り返していたリズに、のんびりとオリヴァーが尋ねた。リズは反射的にはいっと勢いよく答えた。


「それなら丁度いい。ついでに私を図書室まで送っていってくれないかな?帰り道が分からないんだよ」


「は、はいっ!」


 リズは勢いよく席を立つと、急いで教科書やノートを鞄に詰め込んだ。それを見たオリヴァーがくすくす笑った。


「そんなにも慌てなくて大丈夫だよ」


 ぶんぶんと首を左右に振るリズに、オリヴァーは小さく微笑んだ。


 廊下に出たオリヴァーはゆったりとした歩調で歩き出した。真逆の方向に。

 リズは慌ててオリヴァーの肩を掴んで引き止めた。


「あの、こっちです!」


「え?ああ。ごめんね。方向が分からなくて」


「いえ……」


 とは言ったものの、オリヴァーがかなりの方向音痴であることを、リズはこの数分で悟ったのだった。


 気を取り直して、二人は廊下を並んで歩き始めた。

 リズはオリヴァーの左胸をちらりと盗み見たが、そこに光は灯っていなかった。やはり何も見えないかと、リズは肩を落とした。


 それに、オリヴァーはリズのことを覚えていないようだった。


 三角谷で会ったのはかれこれ一年前のことだし、あの時リズは瘴気を防ぐためにストールを巻いていたから無理もない。


 覚えていないほうが当然だと思いつつ、リズはどこかでがっかりしていた。覚えていてくれたならば、すんなりとお礼を言えたかもしれないのに。

 仕方ないと、リズが靴先に視線を落とした時だった。ふいにオリヴァーが口を開いた。


「この本、実は一ヶ月以上借りっぱなしなんだ。私は学園を休みがちだから……という言い訳は通用すると思うかな?」


「どうでしょう……」


 リズはオリヴァーの手にした本の表紙を見やった。それは、子供向けの絵本だった。


金鳥玉兎(きんうぎょくと)の本だよ」


 金鳥騎士団と玉兎騎士団の名前の由来となった金鳥とは太陽の、玉兎は月の別名である。

 太陽神の力を借りて瘴気を祓う金鳥騎士団と、月の女神の力を借りて魔を殲滅させる玉兎騎士団の名前の由来となっている。


「子供の頃から読んでいてね。図書室で見付けてつい借りてしまったんだ」


 リズもその本は知っていた。教会に必ず置いてある太陽神と月の女神、そしてその下僕である烏と兎が活躍する神話を土台とした子供向けの絵本だ。昔、挿絵が綺麗で絵を見たいがために何度も読んだ。


「私も子供の頃はよく読んでいました」


「そうかい?」


「はい。女神様と月の兎がとても可愛らしくて、それを見たくて」


「私は杖を振り上げる太陽神がかっこよくて好きだったんだ。偉大で人を導いてくれる圧倒的な強さと温かさに惹かれて、子供の頃夢中で読んだよ」


 そうですかと笑うと、オリヴァーもにこりと微笑んだ。リズはまたもや赤面して、慌てて前を向いた。


 胸がドキドキしてどうにかなりそうだった。それ程オリヴァーの笑顔の破壊力は凄まじかった。これではまともに顔を見られない。

 この調子ではおそらく一生お礼を言うことは出来ないと、リズはこの時悟った。



 それからオリヴァーを無事に第一図書室へと送り届けたリズは、オリヴァーと会話をしたことが夢だったのではないかと、頬や手の甲をつねりながら帰路についた。


 家に到着しても現実味はなくて、互いに名乗ることすらしていなかったと気付いたのは、寝台に潜り込んだ直後だった。

 それでもリズは、その日は幸せな気持ちで眠ることが出来た。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ