敬愛
リズは図書準備室の窓際の席に座っていた。机の上には教科書とノートが開いたまま。今日出された課題はあともう少しというところだが、進まずそのままになっている。
リズの視線は窓の外へと向けられていた。
窓の向こう側には円形の中庭が見えた。庭のあちこちにある花壇には様々な初夏の花が植えられており、中心には噴水がある。それを取り囲むように長椅子が等間隔に設置されていて、そこに座って談笑する生徒達の姿がちらほら見られた。
その中でも一際目立つ集団がいた。
現在、王立学園で最も有名な女子生徒、この国の第一王女であるブレンダを中心とした四人の生徒の集まりだ。
そのほとんどが生徒会に在席している生徒だったが、リズが見つめていたのはその中にいるオリヴァーだった。
昼下りの太陽を浴びて輝く金色の髪は、初夏の風に靡いてさらさらと揺れている。透き通るような青い瞳はきらきらと輝き、見ているだけで吸い込まれそうだ。完璧な位置に配された高い鼻と、綺麗に弧を描いた薄紅色の唇。
オリヴァーは相変わらず整った顔立ちをしている。一年前はまだあどけなさが残る少年といった感じだったのに、背はぐんと伸びて顔付きも大人の男性に近付きつつあった。
リズはオリヴァーの左胸をじっと見つめた。そこには何の光も灯っていない。リズは学園に入ってからというもの、周囲の生徒や先生の左胸に光が灯っているのを見たことがない。
光の正体が心臓か魂か未だにはっきりとは分からないが、光が見えるようになってから一年以上経っても、どんな時にどんな理由で光が見えるのかも判明していない。
もう一度オリヴァーに会えば三角谷で見た時のような光が見えるだろうかと思ったのだが、学園で見かけるオリヴァーには何も見えなかった。
「あんまりじっと見てると、視線で気付かれるぞ」
向かい側に座る男子生徒、ジョエルが淡々とした調子で言ったので、リズは視線を戻した。
「金鳥騎士団の騎士なのよ。とっくに気付いてるんじゃない?」
「この距離なら分からないさ。それに、金鳥騎士団は玉兎騎士団とは違って戦闘集団というよりも、瘴気を祓うほうを重視している。殺気とか視線とかには鈍いんじゃないか?」
「そんなの分からないわよ。ジョエルの視線が熱くてバレてるかもね」
「なっ……?!」
「そんなに熱心にブレンダ様を見てたら、バレないものもバレるわよ」
「リズ!」
顔を赤くして怒ったジョエルは、立ち上がってわなわなと震えていたが、やがて怒りを収めて腰を下ろした。
「別に好意があるとかそういうわけじゃないこれはあくまで役目なんだそして尊敬だよ王女殿下への尊敬だ」
早口で言い訳を始めたジョエルを、リズはそっと観察した。
襟足までの緩く波打つ明るい茶髪に、色素の薄い灰茶色の瞳。鼻はそこそこ高いし唇は薄いが、ジョエルはそれなりに整った顔立ちをしている。
ただ、特徴のない顔をしているために優男といった印象を受けてしまう。実際に、ジョエルは優しくてとてもいい奴だが。
ジョエルはリズと同い年の王立学園に通う一年生で、リズの従弟であり、マーシャル家の嫡男だ。
つまり、リズとジョエルの現在の関係は、戸籍上では姉弟ということになる。血も繋がっているし、二人は見た目も多少似ているので、姉弟と言われても誰も義理の姉弟だとは思わないだろう。
リズは再び中庭に視線をやった。ブレンダが噴水の方を見て皆と笑い合っていた。どうやら鳥が水浴びをしているのを見付けてはしゃいでいるらしい。可愛いものだなと思った。
ブレンダはさすが王女、可愛らしい顔をしている。ハーフアップにして編み込んだ淡い色の金髪に、王族特有の紫色の瞳は爛々と輝き、鼻と唇は完璧な形をしている。
オリヴァーと二人並んでみると、さすが従兄妹同士とあって目元が似ている。
ブレンダは一年生で、周りと比べると少々背が低いが、そこがまた可愛らしかった。
「あれだけ可愛いんだもの。毎日見てたらそれは好きになっちゃうわよね」
「いや、だから私は王族を護るためにだな!」
「はいはい。分かってるわよ」
ガーランド一族が魔物の侵入を防ぐのが役目だったように、マーシャル一族の役目は、代々王族を陰ながら護ることだ。
当代のスコット・マーシャル子爵は、表向きは国王の秘書官をしながら護衛を務めている。
そしてジョエルは、追々は次代の女王となるブレンダの秘書官になる予定で、学園に在席している間は、遠巻きに見護るようにとスコットから言われていた。
そういうわけで、ジョエルはブレンダを護るという大義名分を掲げて、こうして飽きもせずに毎日眺めている。正確には、ブレンダの周囲で何か問題が起きてないか目を光らせている。……らしい。
その過程でジョエルがブレンダを好きになってしまうのは、自然なことだったのかもしれない。
「なあリズ。まだオリヴァー様に礼を言ってないのか?」
ジョエルが話題を変えてきた。リズはうんと小さく返事をした。
リズが王立学園に通い始めたのは二年生の春からだ。
一年間休学をしていたのだから、本来ならば留年しなければならないところを、リズはダールベック領で家庭教師をつけていたので、二年の進学試験に合格したら進級出来ることになった。そして、なんとか合格して二年生から入学を果たしたのだ。
それから三ヶ月が経過してようやく学園に慣れてきたのだが、未だにオリヴァーとは話したことがない。
そもそもオリヴァーはあまり学園に来ることはない。学生でありながら金鳥騎士団の騎士としても活動しているので、多忙を極める。
それでもリズはお礼を言いたくて手紙をしたためた。そして、思い切ってオリヴァーのクラスを訪ねた。
するとオリヴァーは休みで、生徒会の書記だというキムという黒髪黒目の女子生徒が、恋文がたくさん入った紙袋を持ってきて、リズに言ったのだ。
「彼、あまり学園に来ないから、皆手紙を持ってくるんですよね。はじめは机の中に入れておいたのだけど、あまりに多いから引き出しからばさばさ落ちちゃって。それで紙袋に入れるようにしたんです。ですから、この中に入れておいてください。生徒会で保管しておきますから、登校してきたらまとめて渡します。多分持って帰ってくれるでしょう。……執事か侍女か知らないけど……誰かが。……多分ね」
随分と雑な説明だった。そうじゃないこれはお礼の手紙なんですとリズは言いたかったが、渋々手紙を紙袋の中へ入れた。
すぐに紛れてどれがどれだか分からなくなりそうだった。何通あるのか分からないが、おそらく同じような紙袋はまだ他にもあるに違いない。きっとこの手紙はオリヴァーに読まれることはないだろうと悟ったその日から、リズは手紙を渡すのを諦めた。
とはいえ、リズは一度ダールベック領からお礼の手紙を送っていた。それはザックと連名で書いたものだから、きちんとオリヴァーのところへ届けられて返事もあった。
――今はただ傷付き悲しんでいることでしょう。お身体を大切に。どうかご自身を労ってください。
こちらを気遣い慰めてくれるような、短いが優しい手紙だったが、それはダールベック辺境伯とガーランド子爵令嬢に宛てたものだ。リズは自分の言葉で面と向かってお礼がしたいと思っていた。
しかし、今も出来ないままだ。
オリヴァーは人気者で、登校すれば必ず周りに人が集まってくるし、休んでいた分勉学に励まないといけないといって、休み時間も勉強に追われていることが多々あった。
そんなところに手紙を持って行って、三角谷の瘴気を祓い皆の魂を救ってくれてありがとうございましたと、涙ながらに重すぎる話を始めたら、それこそオリヴァーの迷惑になりそうだった。
そもそも学園でする話ではないと気付いたリズは、
どうしたものかと頭を悩ませ、気付けば三ヶ月が過ぎていた。そして現在、ジョエルと共に遠巻きに見ていることしか出来ないでいる。
「オリヴァー様……かっこよくなったな」
ポツリと呟いて、リズはブレンダに優しく微笑むオリヴァーを見つめた。
こんなにも素適な人がいたら、それは皆こぞって恋文を書くだろう。リズだって、お礼ついでに尊敬していますと書いてしまいそうだった。書かなかったけれど。そして書いたところでどうせ読まれないだろうけど。
リズはオリヴァーを敬愛していた。どん底から救ってくれた恩人として。
「まあ、まだ二年生なんだ。そのうち機会があるだろう。二人きりになれる時がくるかもしれない」
そうかなと、リズは集団を見て思う。オリヴァーの周りはいつも派手な高位貴族の子息ばかりが集っているので、近寄ることすら躊躇するというのに。二人になる日なんて永遠に来ないかもしれないと、諦めつつあった。
リズはため息を吐き出すと、ようやく課題を再開した。
「ところでリズ」
「何?」
「その問題間違えているんじゃない?」
「ああ……もう!」
休学していたせいもあって、リズは授業について行くのに必死だった。というか、遅れがちだった。
王立学園のクラスはAクラスからDクラスまで成績順に振り分けられる。
オリヴァーは学園を休みがちだというのに、一年生の頃からAクラスのままで、リズはDクラスだった。
これじゃあ卒業まで本当にオリヴァーに話しかけることなど出来ないかもしれないと思うと、リズの口からはため息しか出てこなかった。
「もっと勉強しておくんだった……」
リズはがっくりと肩を落として項垂れた。