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リズの瞳  作者: 朋永実久
序章
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変化



 三角谷の人々の魂を見送ったその時から、リズの身体に変化が起きた。かつてロキが言っていたように、リズにも人々の左胸に光が見えるようになったのだ。

 拳くらいの光は、天へと還っていった魂よりもずっと小さかったが、よく似ていた。


 それは常に見えるわけではなく、ふとした瞬間に目に飛び込んできた。

 エイデンと剣の稽古をしていて、リズの一撃を躱したエイデンが攻撃に転じた瞬間や、アンナがおやすみを告げてリズの手をぎゅっと握って微笑んでくれた時、ダールベック騎士団が馬を走らせて城を出ていく時や、ザビエルが城内の教会で祈りを捧げて聖歌を歌っている時等、様々だ。


 当初リズはこれが人の魂だと思っていた。オリヴァーの左胸の光が清らかな色をしていたからだ。

 しかし、三角谷で魔物と対峙した時、魔物の胴にも同様の光が見えたのだ。リズがそこめがけて剣を突き刺すと、魔物はあっけなく息絶えて、エイデンは急所に剣が命中したのだと教えてくれた。

 その時リズは思った。見えているのは魂ではなく、心臓なのではないかと。


 なんにせよ、なぜリズにそんなものが見えるようになったのかはいくら考えても分からなかった。

 しかし、これはロキがくれたものだと直感した。ロキが死んで天に還る時に、リズに委ねていったのだ。


 理由や方法は分からなかったし、魂や心臓が見えたところでリズは困らない。精々魔物を倒す時に役立つという程度なので、あまり気にしないようにしようと、その時は思っていた。



   ✴



 リズはしばらくダールベック城にお世話になることになった。本来なら春からは王立学園に通うはずだったが、しばらくの間休学することに決まった。


 葬儀を終えてからの始めの一ヶ月間は、心と身体の療養のために城で過ごしながら、毎日供養のために三角谷へ通った。


 ようやく気持ちが落ち着いて、皆の死を受け入れることが出来るようになると、今度はダールベックの領民や兵士達に混じって、瓦礫の撤去や建物の解体作業、片付けをしつつ、合間にはエイデンや兵士達と共に剣の稽古をして日々忙しく過ごした。身体を動かしていると余計なことを考えなくて済んで助かった。


 瓦礫が片付けられた三角谷は、殺風景だった。枯れた草木や木々は引き抜かれ、焼けた田園に緑が生えることはなかった。

 雑草すら生えてこないのでダールベック城の司祭に聞いてみると、濃い瘴気に当てられたせいで、未だに土や草木は回復していないのだと言われた。いつ回復するのかも分からないという。


 それでも、リズは田畑を耕して種や苗を植えてみた。アンナやエイデン、ダールベックの農民達も毎日のように馬を走らせて三角谷にやって来てはリズを手伝ったが、成果は見られなかった。



 ――そして春が過ぎた。

 

 リズは十五歳になり、マーシャル家の養女として正式に引き取られることが決まった。

 ダールベック辺境伯も養女にならないかと打診してくれていたが、血の繋がった叔父の元で暮らすのが一番だろうと、当初からリズはマーシャル家にお世話になることに決めていた。


 叔父のスコット・マーシャルは、現在国王の秘書官として忙しい日々を送っていたが、蝕貘が現れた三日後、金鳥騎士団と入れ替わるようにダールベック城に到着すると、リズを抱きしめて心から心配してくれた。


 大変な目に合ったが、私達がいるから大丈夫だとリズを励ますと、今後はうちに来ることになるだろうと、養子縁組み等の様々な手続きから、親戚や付き合いのある貴族等への説明に奔走してくれた。


 その間、リズへのフォローも忘れなかった。マーシャル家の執事をダールベック城へと派遣し、何かあればすぐにスコットに連絡が取れるようにしてくれた。

 また、スコットの妻であるサマンサも王都から会いに来ると、リズのことを気遣ってダールベック城に滞在してくれた。


 そして養女になることが決まった今も、スコットは三角谷を離れ難く思っているリズの心情を慮って、心の準備が整うまでは、ダールベック城でお世話になってもいいと辺境伯の許可を得てくれた。サマンサも一緒に滞在すると言ってくれた。


 リズは迷っていた。

 このままここにいるわけにはいかないと分かってはいたが、住み慣れた土地を離れるのが寂しくて、全く違う環境へと飛び込んでいくのが怖くもあった。


 すでに周囲の環境やリズ自身も大きく変化しているというのに、このままここを離れたら、三角谷で過ごした思い出が薄れていってしまうのではないかという大きな不安があった。


 一度は皆の死を受け入れたけれど、リズはまだ気持ちの整理がついていなかった。明るい気持ちで前に進もうと思う日もあれば、突然沈み込んで孤独に苛まれて涙が出る日もある。

 リズは十五歳になったばかりで、精神はまだ子供だった。


 悩んだ結果、マーシャル家に行くのはもう少し待って欲しいと願い出た。これには、ダールベック辺境伯やスコットも快く了承してくれた。

 そして、リズは一年間の猶予をもらうことになった。来年の春になったらマーシャル家へ行く。それまでは、ダールベック城でお世話になることにした。


 ダールベック辺境伯に甘え過ぎていると分かってはいたが、リズはもう少しだけここにいたかったし、いなければならないと思った。

 ――蝕貘のことを調べるために。



 そうと決めた翌日から、リズは蝕貘の調査を始めた。


 三角谷が蝕貘に襲われた時、命からがら生き延びた者がいた。三角谷に行商として出入りしていた中年の夫婦だ。


 夫婦は日蝕が起きてすぐにダールベックへ向けて馬車を出していて、馬車を操る夫は蝕貘の姿を目撃していなかったが、荷物と共に馬車に乗り込んでいた妻は、蝕貘を見ていた。


「大きな雷雲のような塊が、樹海の方から現れたかと思うと、四方から蜘蛛の足のようなものが突然生えて、丘を越えて坂の上の果樹園の方へと、驚く速さで移動しました。それから形が歪んで小さくなり、真っ黒な塊が石塀を崩してお屋敷へと突っ込んでいったのです……!」


 妻は蝕貘を見たことはなかったから、あれが蝕貘なのかは分からないといったが、リズはその変化する黒い塊が蝕貘に違いないと確信した。


 他にも蝕貘を目撃した者がいないか探しつつ、ダールベック城の図書室で蝕貘のことが載った本がないか手当たり次第に漁った。

 結果、蝕貘を目撃した者は見付からず、蝕の時に現れる変幻自在の強力な魔物といった以上のことは本にも記載されていなかった。


 それでもリズは諦めなかった。城だけでなく、街の古本屋や教会へ赴き、本や資料を漁り、老人達に蝕貘について何か知らないか尋ねて回ったが、皆一様に変幻自在の化け物だと口を揃えるばかりだった。



 そうこうしている間に夏が過ぎて秋を迎えると、三角谷はダールベック領と統合されることが決まった。


 三角谷の入口には、樹海を見張るための見張り台か塔を建設することがほぼ決定していて、兵士が寝泊まり出来る宿舎や訓練施設も併設することになりそうだった。



 リズは三角谷の坂の上に出来た、真新しい大きな墓石の前で立ち尽くしていた。


 未だに緑は一つもない。遠くに見える樹海の木々が灰茶色をした葉を擦れ合わせてざわめいているだけだった。瘴気はなくなったがここは寂れたままで、人が住める環境ではなくなってしまった。


「リズ。一人でここに来るなと言ったろう。樹海から魔物が来たらどうするんだ」


 振り返るとエイデンがいて、リズはええと返事をした。


「剣を持ってきました」


 腰にさした長剣を示すと、呆れてエイデンがため息を吐いた。


「強力な魔物ならば命はないぞ」


「大丈夫です」


「あんなことがあったんだ。あまり心配させるな」


 すみませんと答えると、エイデンはついでに剣の稽古でもするかと言ったが、リズは首を左右に振った。


「……それよりも先生。なぜ蝕貘は何年も倒されぬままなのでしょうか?」


 エイデンはまたかというようにため息を吐いた。


「蝕貘は蝕が終われば姿を消す。ということは、蝕が起こっている数時間のうちに倒さないといけない。しかし、蝕貘はどこに現れるのか予測がつかないから、対策も取れない。それに、強力な魔物には心臓が複数あると言われている。蝕貘の場合は心臓が五つあり、魔物の中でも最多だという」


 それはリズも調べて知っていた。


「そもそも、強力な魔物の心臓は分かりづらい。同種の魔物でも、心臓の位置が違ってくる。弱い魔物のように首を撥ねたり急所を突けば死ぬというわけではない」


「何年も蝕貘を相手にしているのに、心臓の位置が分からないというのですか?」


「もう何十年も前に、人型をした蝕貘の首を撥ねた兵士がいたらしいが、蝕貘は死ななかった。手足を落とすと同時に変化して、そのまま飲み込まれた。蝕貘は変化する。心臓の位置も常に変化しているから、誰にも分からないままだ」


 リズは黙り込むと、墓石に刻まれたガーランドの名前を見つめた。墓なのにここには誰の遺体もない。魂は天へと還り、静まり返ったこの土地には誰もいない。いるのは、生きているリズとエイデンだけだ。


 虚しいと感じると同時に、空っぽになった胸の中で復讐心が広がっていく。


「もしも……蝕貘の心臓の位置が分かったなら?心臓が、見えたのならどうです?」


「……どういう意味だ?」


 エイデンは目を細めた。


「あの日から私には見えるのです。ロキが見えるといったように、人や獣、そして魔物の魂……いえ、恐らく心臓が。今もエイデン先生の左胸にほんのりと赤く灯る光が見えています」


「何を言ってるんだ……?」


 リズが順を追って説明すると、エイデンはようやく理解して、腕を組んで考え込んだ。


「王族に連なる者や強力な魔力を持つ者には、なんらかの魔を祓う力が宿ると言われているが、魔物や人の心臓が見える力は聞いたことがない……」


「私もです。そもそもこの光が心臓なのか魂なのか、他の何なのかも分かりません。でも、ここ数日魔物を退治していて思ったのです。ロキが私に力を与えてくれたのではないかと」


「……なんのために?」


「もちろん、蝕貘を討つためにです」


 きっぱりと言い切ると、エイデンは息を止めた。そして、馬鹿なと小さく呟いた。


「誰にも倒せなかった蝕貘を倒すと……?」


「……ガーランド一族は魔物を倒すためにこの三角谷の領地を賜り、今の今までこの地を護ってきました。それを蝕貘に絶たれたのです。これ程悔しいことがあるでしょうか」


 リズは樹海の方へ視線を向けた。やや冷たい風が頬を撫で髪を揺らした。リズは固く拳を握りしめた。


「私は女ですから領地を継ぐことは出来ません。婿養子を取ろうにも年齢が達していません。それに、今の三角谷は人が住める状態にありません。この地はダールベック辺境伯にお任せする他ありません」


 リズは悔しくて顔を歪めた。大好きなこの地を手放さなければいけないのが辛くて、そうさせた蝕貘を許せないと思った。


「私は……この手で蝕貘を倒したいのです」


「どうやって?心臓が見えたところで、そんな小さな身体で何が出来るんだ?そもそも、蝕貘が現れた場所に居合せなければ倒すことなど不可能だ」


「それは……」


 リズの脳裏にオリヴァーの姿が思い浮かんだ。リズと同じ年頃のはずなのに、オリヴァーはたった一人で瘴気を祓い、三角谷の人々を天へと還してしまった。

 リズはその姿に憧れ、尊敬した。自分もオリヴァーのようになれたのならば蝕貘を倒せるだろうかと、ロキのようなことを思った。

 だが、そんな簡単な話ではないことはきちんと理解している。


「難しいことは分かっています……。方法だって分かりません。だけど私は諦めたくありません。……絶対に」


 エイデンの瞳をまっすぐ見据えると、エイデンは額に手を当てて長いため息を吐き出した。


「一度決めたら中々聞かないのは、ロキもリズも同じだな……」


 顔を上げたエイデンは薄く笑うと、リズの頭に手を置いて、がしがしと強く撫でた。リズはわっと声を上げた。髪の毛がぐしゃぐしゃになってしまう。

 手を離したエイデンを非難するように見上げると、エイデンはぽつりと呟いた。


「私もこの先どうするか悩んでいたんだ」


「先生……?」


「この三角谷に来て、ようやく終の住処を見付けたと思っていたんだがな……」


 エイデンは眩しそうに目を細めて、辺りを見渡した。エイデンの瞳には灰茶色の殺風景な景色が映っているはずなのに、懐かしいものを見るように微笑んでいた。


 エイデンはきっと、思い出の中の三角谷を見ているに違いない。そう思うとリズの胸は熱くなった。


「これまでに蝕貘に立ち向かい、何も出来ずに飲まれていった人は数え切れない程いる。リズ……覚悟はあるのか?」


 それは、死ぬ覚悟はあるのかという問いかけだった。リズは迷いなく頷いた。


「あります」


 エイデンは諦めたように額に手を当てた。長い沈黙の後、エイデンは静かに言った。


「……リズがその気なら、私も協力しよう」


「協力?」


「そうだ。今から樹海に入って魔物狩りだ」


「えっ……?!」


「蝕貘を倒すんだろ?強くなければ話にならんぞ」


 リズは一瞬躊躇ったが、勢いよく頷いた。

 覚悟はすでに出来ていた。どんなに辛くても、死んでいった人々のほうがずっとずっと辛い。そのことを思えばきっと耐えられると思った。


「はいっ!よろしくお願いします!」


 返事だけはいいなとエイデンが薄く微笑んだ。


「それじゃあ今日は短剣だけで戦うこと」


「ええ?!そんなぁ……?!」


 決意した端から情けない声を上げたリズに、エイデンのげんこつが降ってきた。リズは涙目になりながらも、決意した。

 

 絶対に、蝕貘を倒す。そのために自分に出来ることはなんだってやってやる。


 リズは短剣を鞘から抜くと強く柄を握りこんで、樹海に向かって走り出した。




 

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― 新着の感想 ―
[良い点] やはり先生は… 相変わらず思わずキャラや風景が浮かぶほど物語に引き込まれますねぇ [一言] リズまさかの魔眼持ちの物理タイプ!? 更新を心待ちにするか 心を殺して一気読みするか 揺れま…
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