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リズの瞳  作者: 朋永実久
序章
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絶望



 クロサイト国は一神教である。

 太陽神とその妻である月の女神、その子供である星の神々を崇め、善良な人間は死ねば天へと還ると信じられている天燦(てんさん)教を国教としている。


「それでは神に感謝の祈りを捧げましょう」


 司祭のよく通る声が礼拝堂に響き渡った。

 リズは手を組み合わせて神への感謝の祈りを捧げると同時に、ロキの身体が丈夫になりますようにと願いを込めた。


 毎週末の早朝、湖の畔にある三角谷唯一の教会で、天燦教の集会が行われる。その日、リズは父のセスと母のリューナと集会に参加していた。ロキはまだ体調が戻っておらず、屋敷で留守番をしている。


 礼拝が終わると司祭の説教があり、全員で賛美歌を歌って集会が終わると、リズは司祭へ挨拶をしに行った。

 老齢の司祭はリズの元気がいいことを褒めた後、ロキの体調を気遣って心配してくれた。大丈夫。すぐに良くなりますからね。神は常に我々を見守ってくださいますからと添えて。


 ロキが一人で屋敷で待っていると思うと、リズは早く帰らなければいけないと思った。特に、ロキから悪夢を見ると言われてから、リズは言いようのない不安を感じていた。

 ロキが悪夢を通して何かを予見している気がして、不吉なことが起こるのではないかと心配で、ここ最近リズはマナーレッスンや訓練の時以外はロキのそばにいるようにしていた。


 リズは両親を急かして、早く屋敷に帰ろうと手を引いた。慌てるリズを、いつもは厳しい父のセスが困ったように眉を下げて、手を引かれるがまま馬車に乗り込んだ。穏やかな母のリューナは、ロキのことが心配なのよねと笑って席に着いた。すぐに馬車が走り出すと、セスが口を開いた。


「ロキなら大丈夫だ。先生がついているからね」


「でも……誰かがそばに居てあげないとダメなんです!」


「弟想いなのはいいことね」


 ふふ、と困ったように笑い合う両親は、政略結婚だというのに仲がいい。

 父は三角谷の生まれだが、母は王都出身の宮廷貴族、マーシャル子爵家の出だ。マーシャル家は代々優秀な文官を排出している実直な家柄である。それなのに、リューナはよくガーランドのような過酷な土地に嫁いできたなと、リズは不思議だった。

 ある日その疑問をぶつけてみると、それがお似合いなのよねと、リューナはいたずらな笑みを浮かべてみせた。リズの謎は更に深まった。


「リズはロキの身体が丈夫になりますようにと祈ったんでしょう?」


「どうして分かるのですか?」


「母親ですもの」


「お母様は何を願いましたか?」


「それはもちろん皆の健康と幸せよ」


「お父様は?」


「家族のことはリズとリューナが願ってくれるから、魔物が襲ってくることのない平和な世の中を願ったよ」


 領主らしい回答に、リズははいと頷いた。


「最近の三角谷は魔物が現れることが少なくなりました。お父様の願いが届いたのでしょうか」


 半分冗談混じりに言ったのだが、セスは眉根を寄せると、樹海の方を眺めた。


「……どうだろうね。魔物は謎が多いからね」


「人間同士の争いがないのは幸いなんですけどね」


 ここニ百年以上は国家間の争いは起きていない。その理由は魔物にある。

 魔物は樹海や山、海、森等に棲息し、強力な魔物は人間には毒となる瘴気を放ち、街を滅ぼす程の力を持っているために、人間同士で争っている場合ではない。国境沿いで魔物が出没すれば、隣り合った国同士で協力して魔物を討伐するし、そのための合同訓練も行う。それ程、魔物は人間にとって脅威だった。


「そろそろ前回の蝕から四年が経つ。警戒するに越したことはないしな……」


 セスがポツリと呟くと、リューナも顔を引き締めてそれに同意した。



 数年に一度訪れる日蝕と月蝕の日は、太陽神と月の女神の力が遮られる災厄の日と呼ばれ、強力な魔物が人里に現れては人々を襲っていた。


 中でも最も人々を恐れさせた魔物は「蝕貘(しょくばく)」と呼ばれた。


 蝕貘は日蝕または月蝕の日にしか現れない特別な魔物で、伝説上では蝕が産んだとされている。

 人語を理解して操り、変幻自在に姿を変え、瘴気を放って植物を枯らせ、空気を汚染し、人を飲む。太陽と月を喰らう程の力を持つとされる魔物は、五つの心臓を持つが故に、数百年間一度も倒されたことがないという。


 蝕貘は蝕が終わるとどこかへ姿を消してしまうが、蝕が起こればまたどこからともなく現れるという、謎の多い魔物だった。


 リズは三角谷で生まれて十四年間、蝕貘を見たことはない。元々蝕は約四、五年に一度の周期でしか起こらないため、蝕貘が現れたと聞いても、遠い土地で現れたとか、北の国境沿いで被害が出たと聞いたきり身近に感じたことはなかった。


 だから三角谷に蝕貘が現れるなど、考えたこともなかった。



 ✴



 屋敷に帰ると、ロキは机に向かって騎士の本を読み耽っていた。部屋に入って来たリズにも気付かないくらい集中しているので、リズがわっと声を上げると、飛び上がって驚いた。


「リズ!驚かさないでくれよ!」


「だって、あまりにも熱心に本を読んでいて気付かないんだもの。ロキが読書だなんて珍しいわね」


「エイデン先生が見舞いがてら持ってきてくれたんだよ」


「それは良かったわね」


 うんとロキは喜んでみせた。


「それに、思ったよりも元気そう」


「明日の制服の採寸には行けないけどね」


 リズとロキは、春から王都にある貴族の子息子女が通う王立学園へ入学することが決まっていた。

 一時、ロキは体調のこともあって三角谷に残ることも考えられたが、王都でいい医者が見付かり、本人の希望もあって学園に通うことになった。


 明日の午後からは制服の採寸合わせをすることになっていて、隣のダールベック辺境伯領にある仕立て屋へ行く予定だったが、ロキは体調を崩していて一緒に来れなくなった。


「リズとはそう背丈も変わらないし。僕の採寸表を持っていって適当に見繕ってきてくれよ」


 病気がちだからか、十四歳の育ち盛りだというのに、ロキとリズの身長はほとんど変わらなかった。皮肉げに笑うロキを見て、リズの胸が痛んだ。


「リズ。そんな顔をするなって!制服が出来たら、また入れ替わって遊ぼう!」


 ロキは度々リズになりすまして使用人を騙したり、またリズにもロキの格好をさせて入れ替わって遊んでいた。幼い頃から今に至るまで、飽きることなく続けてきた遊びだったが、これから明確な男女の差が出てきたら出来なくなってしまう、今しか出来ない遊びでもある。


「皆を騙してやろう!学園にだって入れ替わって通えるかもしれないぞ!」


 屈託なく笑うロキに、リズも思わず笑った。分かったわと返事をすると、ロキは眠そうに目を擦った。


「薬が効いてきたの?」


「いや……なんだか最近目が霞むんだ。たまにぼんやりとした光も見えるし。今もリズの胸の辺りに白くて丸い光が見えるんだ。……なんだろうね」


「あまり擦らないほうがいいわよ。先生には話したの?」


「疲れが目に出てるんじゃないかって言ってたよ」


「そう……」


 その後、本格的に眠そうなロキを寝台に寝かせると、ロキが眠るまで騎士の本を読んで聞かせた。ロキはすぐに眠りに落ちた。

 ロキの穏やかな寝顔を確認してから、額にそっと手を添えた。熱はなかったが、リズは胸騒ぎを感じずにはいられなかった。



 ✴



 翌日。馬車に乗り込んだリズに、リューナが心配そうに声をかけた。


「リズ、付いていけなくてごめんね」


「私は大丈夫です。それよりも、ロキのことよろしくお願いします」


「任せてちょうだい。しっかり診ているから」


「リズ、気を付けてな。何かあればダールベック辺境伯を尋ねるんだぞ」


「はい。お父様も橋の整備、お気を付けて」


 リズがいってきますと元気よく言うと、両親と使用人に見送られて、馬車は走り出した。



 そして、護衛のために付いてきたエイデンと、老齢の御者のザビエルに、二十歳になったばかりの侍女のアンナと共に、馬車で一時間とかからないダールベックへとやって来た。


 ダールベックは東部では一番広大な土地を有している。ダールベック城がある城下町は、市場や様々な商店が建ち並び、常に多くの人で賑わっている。東部で一番の都会だ。


 リズの乗る馬車は、賑やかな街をゆっくりと走り、王立学園と提携している仕立て屋へまっすぐ向かった。

 そして三十分程で採寸を無事に終えたリズは、さて戻ろうかと馬車に乗り込もうとしたところで、人々の悲鳴を聞いた。


「日蝕だ!!」


「日蝕が起きたぞ!魔物に備えろ!!」


「どうして?!報せはなかったのに!」


 日蝕と聞いて、リズは青褪めた顔を空へ向けた。

 先程まで燦々と輝いていた太陽に、黒い影が僅かに被さって欠けていた。やがて太陽が黒く塗り潰されれば、樹海から本格的に魔物が湧いて出てくるはずだった。


 しかし、普段ならば日蝕や月蝕が起こる日は、ある程度予知されて、王宮から各領地へと報せが入るはずだ。それが今回はなかった。突然のことに、リズは混乱した。


「リズお嬢様!急いで帰りましょう!」


「待て!今から帰っていたら道中魔物に遭遇するかもしれない。ダールベック城へ寄って、日蝕が収まるのを待とう」


 エイデンの判断で、リズ達はダールベック城へ向かうこととなった。その道中、ダールベック騎士団や兵士達とすれ違った。その物々しい雰囲気に、リズの不安は一層膨れ上がった。

 リズは城の門扉を潜る時に、車窓から空を見上げた。空は明るいというのに、太陽はじわじわと黒い影に覆われつつあった。


 リズは震えそうになる手を握りこんだ。

 ロキやリューナ、仕事のために谷にかかる橋の整備に向かったセスを思い出して、不安で押し潰されそうになった。

 三角谷の人々は、普段から樹海の魔物を相手にしている強者揃いだし、ダールベック騎士団も駆け付けてくれるだろう。


 しかし、日蝕になると普段では滅多に見ない、瘴気や火炎を放つ強力な魔物が現れる。

 皆は無事だろうかとそればかり考えていると、向かい側に座るエイデンが、大丈夫ですと声をかけた。


「閣下をはじめ、谷の者は皆強いですから」


「……はい」


 リズの口からは、いつもの元気な声は出なかった。




 そして二時間後の日蝕が終わる頃。ダールベック城の客間に通されたリズに、悲痛な報せが届いた。


「さ、三角谷に蝕貘が出現!谷は壊滅状態で、瘴気に包まれて入ることさえ出来ません!!」



 リズはその日、初めて絶望を知った。




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