双子
初春に入り日照時間が延びて少しずつ暖かくなってきた。真っ青な空には雲一つない。柔らかな太陽の日差しを浴びながら、リズはオレンジの木々の間を走り抜けて行く、双子の兄であるロキの背を追いかけていた。
オレンジの最盛期。辺りはオレンジの瑞々しい香りが漂い、木にはたくさんの実がなり、溢れるように地面に落下している。それらを器用に避けながら、ロキは跳ねるようにどんどん先へ進んでいく。
内心焦りながらも、リズはここ最近体調を崩しがちだったロキが、元気に走り回っていることが嬉しくて仕方がなかった。
「ロキ!待ってよ!」
「リズ!早くしないと稽古に遅れる!」
「ロキが寝坊したのが悪いんでしょ!」
「起こさないリズも悪い!」
もう!と怒ったリズは、走る速度を上げた。ようやくロキに追いついて肩を並べたところで、果樹園をぐるりと囲む石塀が見えた。ここを越えれば近道になる。
背丈の倍を優に超える石塀をよじ登り、なんの躊躇いもなく飛び降りた。難なく着地した二人の前には低い丘が広がっていて、更に丘を越えた先には魔物が棲息する樹海が鬱蒼と広がっているのが見えた。
「あ!先生もう来てるよ!」
「当たり前じゃないの!」
走り出したロキとリズを、丘の丁度真ん中で、腕を組み口を真一文字に結んで待っている人物がいた。
上背があって筋肉質で、一見して屈強だと分かる男の歳の頃は五十前後。髪の半分は白髪に染まり、顔は老けているのに肉体は若々しく、眼光も鋭い。
男の名前はエイデン。騎士団に所属していたこともある元軍人だ。現在は、ロキとリズの武術の先生であり、ガーランド領の私兵であり、二人の護衛も兼任している、見た目通りに厳しい人だ。
リズは頭の中でどう謝ろうかとあれこれ思案していたが、うまい言い訳が見つからないままエイデンの下に辿り着いてしまった。
荒い呼吸を整えようと必死な二人を、冷めた目で見下ろしたエイデンは、それで?と地鳴りのように低い声で問いかけた。
「あ、あの、その!」
「先生すみません!寝坊してしまいました!」
狼狽えるリズを尻目に、ロキは馬鹿正直に言って拳骨をくらった。次いでリズにも拳骨が降ってきた。連帯責任だと言われて、リズはそんなぁと泣きそうな声を漏らした。頭を抱えて涙目でエイデンを見上げると、エイデンは目を細めた。
「遅刻した罰として、今日は午前いっぱいは素振りのみとする!」
「ええ?!そんなぁ……!」
今度は実践好きのロキが不満の声をあげたが、エイデンは無言で木刀を差し出した。二人は渋々それを受け取ると、黙々と素振りをはじめたのだった。
クロサイト国の最東に位置する三角谷と呼ばれる二等辺三角形の形をした谷が、ガーランド領である。
低い山間を南に向かって緩やかな川が流れる三角谷は、狭いながらも四季折々の草花があちこちで見られ、オレンジ等の柑橘類の果樹園や、透明度の高い美しい湖を所有している自然豊かな土地であった。
それと同時に、東の隣国ルチルとガーランドの国境付近には、魔物が多く棲息する東の樹海が広がっている。
三角谷は樹海からクロサイト国への入口となる要所だ。三角谷が魔物の侵入を許せば、クロサイト国に魔物がなだれ込む。
それを阻止するため、樹海の防人として子爵位を与えられたのが、ガーランド一族である。
ガーランド一族が隣接するダールベック辺境伯領と協力して三角谷を治めるようになってから、一度も魔物の侵入を許したことはない。その功績が認められて、数代前に新たに伯爵位を授与され今に至る。
ガーランド領の者は、兵だろうが農民だろうが、幼い頃から魔物に対抗するべく戦闘訓練を受ける。武術だけでなく、魔物に対抗する知識も幼少学校から教えるという徹底ぶりだ。
そうでもしなければ、この三角谷では生きていけない。それ程、この土地には魔物が多く出没する。
ロキとリズは、十四歳のガーランド家の双子の姉弟である。
領主を継ぐのは弟のロキだが、リズはロキと同様の戦闘訓練に日々明け暮れていた。
エイデンは、ガーランド家の者は三角谷の誰よりも強くなくてはならないという両親の方針に従って、女のリズにも容赦がない。訓練と称して、魔物が割拠する樹海に平気で放り込む鬼である。
リズは何を考えているか分からないエイデンのことが苦手であった。反対に、ロキはエイデンを慕っている。ロキは幼い頃から騎士に憧れていて、かつて騎士であったエイデンのことも尊敬しているようだ。いずれは領主になるロキが騎士になることはないけれど、ロキは度々騎士について熱く語ってみせた。
「なあリズ。騎士って最高にかっこいいよな!」
「そう?」
「そうだよ!主君や弱き者を守るんだ!最高だよ!……僕は騎士になれないけど、どうしても憧れるんだよな。……そうだリズ!僕の代わりに領主になってくれよ!」
「何馬鹿なこと言ってるのよ?私は女だから跡は継げないわよ。それに私は素敵な人と結婚してお嫁さんになって幸せになるのよ!」
「幸せな結婚を夢見てるだなんて、リズもまだ子供だな。現実的じゃないよ」
「なんですって?騎士に憧れてるロキも現実的じゃないでしょ!」
ロキはちぇっと口を尖らせた。
「だとしても、リズが領主になってくれたら、心おきなく騎士になれたのにな。……それじゃあ、リズが騎士になってくれよ!それで、騎士の話をたくさん聞かせてくれ!」
「それも無理よ。私女なんだからね。大体ロキは三角谷で魔物と戦っていくことになるんだから、騎士も領主も似たようなものじゃないの」
「それとこれとは全然違うんだよ!僕は玉兎騎士団に入りたいんだ!」
クロサイト国の騎士団は大きく分けて三つある。
王族の警護にあたる近衛騎士団と、魔物の吐く瘴気を祓うことが出来る神力を持つ貴族や神官を中心とした騎士で構成される金烏騎士団、かつてエイデンが所属していた魔物退治を主な任務とする戦闘集団の玉兎騎士団だ。
どの騎士団も騎士を目指す者ならば、一度は入りたいと憧れるものだが、完全な実力主義の狭き門であり、入団試験を通過出来る者はほんの一握りである。
リズは呆れたが、ロキの騎士になりたいという想いは本物だった。
ロキは十三歳を迎えると、騎士の登竜門とも呼ばれる貴族子息が集う武術大会にエントリーしたのだ。この大会でいい成績を残せば騎士になるのに有利になるため、腕に自信のある国中の貴族令息達がごぞって参加するのだが、ロキは両親の許可を得ずに勝手に参加することを決めてしまった。
ロキは両親にこれでもかと叱られたが、意外にもエイデンがこれを庇った。若いうちに何でもやらせてあげましょうよ、と。それからだ。ロキがエイデンを尊敬の目で見るようになったのは。
リズは熱心に素振りを続けるロキを横目で見やった。
エイデンに憧れて騎士になりたいと熱く語るロキを、リズは羨ましく思う。リズにはそんな風に夢中になれるものはない。戦闘訓練もマナーレッスンもきちんとするけれど、周りが見えなくなる程熱中したことはない。
ロキとリズは双子だから見た目はそっくりで運動神経がいいのは同じだが、性格はまるで違う。ロキは明るくて行動力があって頭もいいのに対して、リズは真面目だが勉強は苦手だ。
やや垂れ目がちの深緑の瞳と、緩やかに波打つ緑がかった濃茶の髪。ツンとした鼻に小さめの唇。ほとんどリズと同じパーツで構成された顔をしているというのに、ロキのほうが自信に溢れて魅力的に見える。
対するリズはやや華やかさに欠けていて、ロキと並ぶと存在感が薄くて地味に思えて仕方がない。双子なのに性格は似てないねとよく言われるし、リズもそう思う。
「リズ、集中しろ」
あれこれ考えて集中力が途切れたリズは、目敏いエイデンに注意されて、はいと返事をした。返事だけは元気がいいなと苦笑したエイデンに、リズは内心で舌を突き出した。
ああ……お腹空いた。早く帰って料理長の作ったオレンジのジャムをたっぷり塗った白パンを食べたい。それから食後にはフルーツたっぷりのゼリーと、オレンジティーを飲むのだ。
リズは勉強や訓練よりも食べ物、特に果樹園で採れたオレンジが大好きで、結婚を夢見るまだ未熟な十四歳の女の子だった。
✴
翌朝。リズがロキの寝室の扉を叩くと、中から老齢の執事が現れた。
「今朝はロキ様は体調が悪いようで、訓練には参加することは出来ません」
「またなの?ロキは大丈夫?」
「大丈夫ですよ。お医者様がついておりますから。丘まで爺がお送りしましょうか?」
「大丈夫よ。一人で行くわ。帰ったらロキの顔を見に来るから」
「伝えておきます」
扉の向こう側からロキの咳が聞こえてきて、リズは心配になった。本当に大丈夫だろうかと、後ろ髪を引かれる思いで一人屋敷を出た。
ロキは生まれつき気管が弱くて、風邪を引くと拗らせて長引くことがあったのだが、ここ二年で体調を崩すことが多くなった。すぐによくなるからと本人は明るい調子で話しているが、一度体調を崩すと治るまでが長い。リズはロキのことが心配で堪らなかった。
身体が弱いのに騎士になりたいというロキを見ていると、リズはなんとも言えない気持ちになる。領主になるからという理由以上に、身体が弱いロキは騎士になることは出来ないだろうとリズは思っている。
それなのに、ロキは騎士への憧れを捨てることなく、真剣に訓練に励み続けている。きっとロキ自身も分かっているのだ。だからこそロキは剣を振り続ける。
果樹園の近道を通る気になれなくて、リズは一人陰鬱な気分で丘へと続くあぜ道を歩いた。相変わらずのいい天気。空には雲一つなく、鳶が円を描いて飛んでいる。リズは空を仰ぐと、大きく息を吸い込んだ。
ロキが健康で、リズが男に産まれてこればよかったのにと、ふと思う。そして長男のリズが跡を継げばロキは騎士になれたかもしれないし、ついでにリズは大好きなこの地にずっと居ることが出来たのに。
それが出来ない自分が歯痒くて仕方がなかった。リズは無理だと思いながらも、ロキの夢を叶えてやりたかった。
とぼとぼ歩いて遠回りをしたせいか、またもや遅刻しそうなことに気付いたリズが走って丘へ到着すると、エイデンは目を細めてリズを見下ろした。
「毎度思うが、伯爵令嬢らしからぬ登場の仕方だな」
「三角谷で生まれ育ったんですもの。貴族令嬢らしく振る舞っていたら、魔物に喰われて終わりです」
三角谷では平民も貴族もほとんど関係がない。協力して魔物と戦っていくのに、身分は気にしていられない。
だからリズは三角谷では平気で一人で出かけるし、平民の子供達と外を駆け回って遊ぶこともある。
かと思えば、隣のダールベック領や王都の貴族の子息子女達と会う時は、外面をよくして伯爵令嬢らしく振舞っていた。
「ところで、今日はロキは体調不良か?」
「はい」
「そうか。すぐに良くなるといいな」
エイデンがリズの頭をそっと撫でた。分厚くてごつごつとした硬い男の手だったが、優しい手付きだった。ロキのことで不安になっていた心が少し慰められた気がして、リズは顔を上げるとよしと自分に言い聞かせた。
「ロキの分まで頑張ります!今日もよろしくお願いします!」
「よし。それじゃあ今日は、朝から魔物狩りとしよう。ただし、武器は短槍のみだ。さあ行ってこい!」
短槍を差し出されて、頑張ると決めたばかりの心が折れそうになったが、リズははいと声を上げて心を奮い立たせると、槍を掴んだ。
✴
訓練を終えてへとへとになって屋敷に帰って来たリズは、着替えを済ませるとまっすぐにロキの寝室へ見舞いに行った。寝台に横たわったロキは青白い顔をしていた。
「ロキ大丈夫?」
「大丈夫だよ。休んでしまって悪かったね」
「いいのよ。先生が早く良くなるといいねって言ってたわ」
「そっか……。ところで今日はどんな訓練をしたの?」
リズは寝台の横に椅子を引っ張ってきてそこに座ると、今日の訓練の話を聞かせた。
樹海の入口で短槍一つで魔物を狩ったこと。途中で中型の魔物が出てきて驚いたけどなんとか倒したこと。エイデンはリズが手こずっても一度も手を貸してくれなかったことを、笑いを交えながら面白可笑しく話すと、ロキは声を上げて笑った。
「先生ってば本当に鬼だよ!」
「でもさ、かっこいいよな……」
「またそれ?」
「うん。憧れるよ……」
ロキは力なく微笑んだ。リズは無意識にロキの手を掴んだ。ロキがその手を弱く握り返してきた。
「なあ……リズ」
「なに?」
「最近体調を崩すと決まって悪い夢を見るんだ」
「悪い夢?」
「そう。真っ黒な闇に飲み込まれる夢だよ。そこにはリズはいなくて、お母様やお父様はいることは分かるんだけど、見えるところにはいなくて……。それで、苦しくて怖くて不安で暗闇の中を歩き回っていると、一筋の光が刺すんだ……」
「それで?」
「辺りが眩い光で包まれて……。ああようやく救われるんだと思ったら、身体が軽くなるんだ。よかった。助かったと安心して、それで目が覚めておしまい」
「何か……意味があるのかしら?」
「どうかな……。でも、最近よく見るんだよ」
ロキが眠そうに目を擦った。昼に飲んだ薬が効き始めたのだろう。リズはそっとロキの手に力を込めた。
「今は私がついているからね」
「うん」
「安心して眠っていいよ」
「うん」
穏やかに微笑んだロキに笑みを返すと、やがてロキは眠りについた。リズは握った手を布団の中へとそっと入れると、首まで布団を引き上げて、エイデンがしてくれたようにロキの頭をそっと優しく撫でた。
「いい夢が見れますように」
呟いて、リズは視線を窓の外へ向けた。昼下りの太陽が、燦々と輝いて美しい三角谷を照らしていた。