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難民を積極的に受け入れる事で兵力にする。
この当時の戦争は、農民を戦争の時にだけ兵士として、
金で集め戦うのが主流だった。
当時の農民は農奴と呼ばれ、
戦争時には兵員として徴集されていたのである。
当時の国々は兵士を常に雇い養うだけの、
食料も国力もないため、この様な方法が常識であった。
民が100人いて兵士を常に20人雇うと、
100作れる米が80になる。
そこから兵士を養たり戦争のために使う米を
30として減らすと、
80人で作った米80が、50になる。
入ってくる米は50。
単純計算で国家予算が半分になってしまう。
こんな方法をとれる国は当時なく、故に、
戦争の時だけ農民から銭で兵士を徴収するのが
当時の主流であり常識であった。
戦争のさい乱取り(略奪)が黙認されていたのも、
農民は金品や女を合法的に奪える為に、
命をかけて戦場におもむく所が大きかったからである。
このため作物の収穫時期には、
どの国でも戦争はしてなかったのである。
(この当時の税金は米であり、
作物が取れないと言う事は税収が減るだけでなく、
餓死による人口減少をも伴う)
後に信長が始めて戦争専属の軍をつくるまでは。
これが出来たのは信長の政策で国力が大幅に増え、
億万長者の国になった為であり、
当時それが出来たのは信長だけである。
こういった問題点を解決するために、
今川義元は難民を受け入れたと考えるのが妥当だろう。
それまでに戦争に必要な食料を備蓄し、
難民を受け入れ兵士にする事で、
収穫期にも戦争が出来る。
そして戦争で兵士が死ねば食料問題の解決になり、
勝って領地が増えても解決する。
戦争をするため難民を受け入れ、
生きたくば自分の食いぶちは、
自分の力で奪い取れと言う。
我が領内に難民を食べさせて行くだけの
食料はないと言えば、
後のない難民は士気の高い兵士になる。
そしてこの当時、
戦死者は最も武功が高く、
その近者(家族)には田畑が貰えた。
自分の土地を持たない難民にとっては、
生きて行くのにこの上ない報酬である。
後の無い難民兵は家族を養う為に、
その命を投げ出して戦うしかなかったのである。
また戦争で農民が減れば農地を耕す人員が減り、
国力は衰退する。




