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こうして溢れた難民を各国が拒否するのも、
この当時飢饉や紛争で領土を失った難民が、
各地に放浪、し領主が受け入れを拒否していたのに近い。
この当時の大名も、
難民問題に頭を悩ませていたのである。
ただそれを受け入れる国もあった。
この当時難民を多く受け入れたのは今川氏である。
海道一の弓取りと呼ばれ、
【海道とは東海道を指す】
後に桶狭間で信長に討たれる事となる今川義元である。
弱小の信長に負けた事から無能と評価される事の
多い義元だが、果たして無能だったのか。
混沌の時代、全国に先駈け日の本からの独立を宣言し、
【日本で一番始めに公式に独立を宣言】
自国で独自の法律を制定した人物である。
そんな今川義元の難民受け入れ政策を読み解く時、
そこから今川義元の戦略が見えてくる。
この当時、米の生産量が現代の税収と言うことになる。
その税収は民の数で決まる。
人口が倍ある国は税収は倍である。
難民を受け入れ人口を倍にすれば、
生産量が倍になるだろうか?
答えは否だ。
簡単に考えれば難民を受け入れでば、
食料の生産が倍になりそうだが実際にはそうはならない。
米を作るには田畑が必要で、
新しく入った人が耕す田畑を新しく開拓するとなれば、
すぐには作物が育たない。
すぐに作物が育つ土壌にはならないのである。
2~3年は土地が肥えるのをまってからの収穫になる。
その間、今までの生産量で難民を食べさせなければ、
みな飢え死にする。
新たに土地を開拓しなければ、
現存する土地から採れる米の量は変わらない。
単純に食いぶちが増えるだけで税収は減るのだ。
難民を受け入れれば生産が倍になるどころか0になるのだ。
この当時の人間にとって農業知識は常識であり、それ故に
どこの国も難民を受け入れたがらなかったのである。
今川義元がそれでも難民を受け入れる政策に
踏み切った訳はなんだろうか。
自国の農民を減らさずに戦争に従軍させる兵員とする為に、
難民を受け入れた可能性が高いのである。
それこそが義元の狙いではなかっただろうか。




