湖の月は青色に映える Ⅳ
※少し長めとなっています
自分たち以外の誰もが存在しない都市を歩き進む三人。
見える街並みは、最初に感じていた画一的の印象の通りに、色や形状の統一感による美しさと不気味さとを、同時に発信していた。
建物には窓と言えるものは存在しておらず、出入り口の扉以外には外との接点は無いように見える。
「建物の内部は、照明も空調も、独自に設置された器具によって常に最良の状態が維持されていますから、窓は必要ないのです。まさに技術力の恩恵というわけですな」
「この巨大な居住区全てに、それがあるんですか?かなり膨大な維持力が必要になると思いますが…」
「すぐエネルギー切れ起こしそうですねー。並の供給源だとすぐに枯渇しますよー」
マシロとホオジロは、クレセンテの話す夢のような話や技術の紹介と説明を聞きながら、ほぼ同時に中央に見えている菱形水晶を見やった。それは変わらず輝いている。
この都市に足を踏み入れた時から、そこに近付いていくたびに増していく強大な力の気配を放っているそれに、二人はどうしようもなく意識が引っ張られていた。
「もうお気づきかと思いますが、中央に在る巨大水晶“パシフィック・コア”の周囲に造られた動力供給設備から送られているエネルギーによって、この都市の機能は半永久的に使用できるようになっておりましてな。つくづく先祖の技術力の高さには驚かされますよ」
「なるほど。本当に凄まじいですね」
その言葉に、マシロはホオジロの姿を見やり、うんうんと頷いた。
人の形を模して、生殖に依らない手軽な労働力を作り上げ、食事等の有限の燃料消費に依らないエネルギーの確保と安定供給を、人間大の大きさの中心に小型化して搭載する技術力の結晶が彼女のようなオートマータである。
それだけ取っても、現在の文明からは比較にならないものがあったと言える。それを考えれば、都市規模の全てを維持できるだけの技術を開発できたとしても、何ら不思議ではないと、そう思わされる程度には説得力があった。
三人はさらに歩く。徐々に中央区に近付くと、居住区と中央区とを隔てる関所のような建物が見えてくる。菱形水晶もより大きく、その威容を誇示している。
「次は、いよいよ中央区に入りますが…」
しかし、その建物の前まで辿り着いた段階でクレセンテは足を止め、穏やかながらも神妙な面持ちで、二人を止めた。
「この先、何が見えたとしても、決して気にしてなりませんよ。宜しいですか?」
「それは良いんですが、一体、どういう…?」
「何やら意味深ですねー。それほどまでにとんでもないものが有るとー?」
首を傾げるマシロと、楽しげに微笑むホオジロ。
「ええ、まあ…。ご覧になれば、その意味がお分かりになると思います。何故、私がこの都市に近付いたことを父が戒めたか。その理由をここで知りました。では…」
クレセンテが門の横に備え付けられている小窓に手を入れ、何やら操作を行うと、目の前の門が、まるで水に溶けるように消えていった。中は明るいようで、白く眩んでおり、何も見えない。
「さあ、行きましょう」
静かに二人を促すと、クレセンテは先に光の中へと入っていった。
二人がその背を追って中に入ると、そこには賑やかな世界が広がっていた。
構造としては、居住区とそう違いはなく、統一感のある窓の無い建物と、理路整然とした計算の下で造られていると分かる通路によって構成され、上を見上げれば、遥か高い位置にある透明な天井から変わらず海が見えている。ただ大きく違う点が一つだけあった。
そこには、生活している人々の姿があり、今もなお生きているように往来していた。
いずれも親子連れの家族で、外の静寂からは想像もつかない程に明るい世界がそこにはあった。
しかし、それらの人々はマシロ達を認識していないかのように振舞っており、それでいながら、三人を障害物として避けてもいた。
「これは…」
光景に少し戸惑いを覚えたマシロが、横を歩くホオジロへと視線を向ける。すると。
「ほうほう…?これは…。ああ、これらを気になさらない方がいいですよ、マシロ様」
「う、うん?」
ホオジロは何か心当たりがある様子で、周囲の景色に頷くと同時に、マシロに向けて優しく微笑んで見せた。
混乱するマシロを余所に、さらに奥へと進んでいく。更に近付いた菱形水晶からは、より強く、密度の濃い力の気配が放たれている。
「そろそろ、見えてきますな。この都市を支えている力の根源が…」
そうクレセンテが口にすると、菱形水晶を囲むように造られた構造体の近くに来ていたことに気が付いた。
「おお…」
「これはまた壮大なー…」
パシフィック・コアと呼ばれる菱形水晶を囲み、そこからのエネルギー供給を都市全体に行き渡らせている設備の数々。そのいずれもが太陽のような意匠の輝く装飾を持ち、それらが輝きを放っている様子から、今もなお役割を果たしていることが分かった。
「…着きました。ここがこの都市の心臓部。パシフィック・コアのエネルギー循環設備。そして…」
そこでクレセンテは言葉を切り、目の前に佇む菱形水晶を見上げた。マシロ達もつられて見上げる。
「えっ!?」
「あらあらまあまあ、これはまた…」
そして気が付く。その構造体の中心。核となる部分に、二つの影があることに。その一つは巨大な蛇のような影だ。しかし、もう一つは。
「魔神“海嘯竜”。地の民の言葉で、クリピデウス“リヴァイア”の封印装置と、それを制御するセプター“陽月の円環”と契約した者の、生命維持装置です」
もう一つの影は人間。それも、ここに来る前の壁に描かれてあった、あの女性に似ていた。
周囲が賑やかな中で、存在が無視されている三人の間にのみ沈黙が流れている。
「クレセンテ会長…。これは一体?それに、この空間に行き交う人々は…」
最初に沈黙を破ったのはマシロだった。背後にある道を行き巡る“それら”を見やりながら、静かに疑問を口にする。
クレセンテは柔和な笑みを浮かべて、マシロを見やる。
「戸惑うのも無理ありません。私も最初はそうでしたから。しかし、さて。何からお話ししたものか…」
菱形水晶を見上げ、そこに在る人の影へと視線を移した彼は、神妙な、どこか達観したような表情を浮かべる。
「事の起こりは、海の民の持ち込んだ、守護神パシフィクスが機能停止に陥った事件だったと言われておりましてな」
そして物語が始まる。
事は、海の民が、地の民の王、地王ノアテラから独立する際に、その庇護を脱するための守り神として独自に生み出したとされる魔神。“海王”パシフィクスが、ある事件を境に機能不全を起こしてしまったことが原因で始まったと言う。
都市区画のルナミスを生み出して制御し、生活の、防衛力としての、その他全てのエネルギーとして循環させていたパシフィクスが事実上の機能停止状態に陥ったことは、海の民全体の存亡に直結する問題であった。そのため、都市政府は一刻の猶予も許さない速やかなる解決を求められた。
そして、その解決方法として、都市の研究者から提出された解決法が、“海王”パシフィクスを素体とし、その力を受け継いだ新たなる魔神の創造だった。
現在、都市の封印装置の中で眠る魔神である“海嘯竜”リヴァイアは、そのような経緯から生まれたものだった。これの誕生により、機能不全を起こしかけていた都市機能は全てが回復。滞りかけていたルナミスの循環も正常に行われるようになった。
しかし、これでめでたしめでたしと終わることはなかった。
「もしかして、暴走しましたかー?」
ホオジロが、さも当たり前と言わんばかりの軽い調子で予測を述べた。
「暴走?ああ、そっか。確かに何も終わってないね…」
一瞬首を傾げかけたマシロだったが、ざっと話の流れを思い返し、そこで言葉の意図に気が付いた。ホオジロはにこりと笑い、クレセンテに目線を戻した。
「はい。素体の、パシフィクス不調の原因が分かってませんし。そうですね?」
「ええ、お察しの通りです。そもそもの問題は何も解決しておりませんから」
クレセンテは、その反応は予想通りと言うような雰囲気の苦笑を浮かべ、話を注いだ。
「まあ、暴走と言うよりは、動作の不調から不具合のようなものが起こったわけですな」
ある時、順調に見えた魔神“海嘯竜”リヴァイアの運用に、暗雲が立ち込めた。
最初は些細な、ルナミスのエネルギー変換効率のブレとして表れ、次にエネルギー供給の乱高下に悪化し、明確な不調を示し始めたのだ。そして、不調の原因を調査しようとした矢先に、魔神を安置するための装置がエネルギー量の乱高下によって破損。都市の一部機能が動作不良を起こした。
その後の調査によって、素体であるパシフィクスの不調と同じ推移を辿っていることを突き止めた研究者たちは、以前の不調についての再調査も並行して行う事となった。
しかし、その調査もまた、別の事件の発生によって急展開を迎えることになる。
「別の事件、ですか?」
「ええ。しかも、その事件が、魔神の不調を機に起こるようになったことが判明したものですから、研究者たちは大慌てだったと言います」
そう言うと、クレセンテは背後を行き交う人々の姿をゆっくりと見やった。そしてすぐに目線を菱形水晶に向けて戻す。
「その事件と言うのが、これがまた不思議なものでして。聞こえますか?この音…」
「音?」
マシロは耳を澄ます。ホオジロはただ微笑んでいる。すると。
「これは、拍動する音?」
「ええ。まるで心臓が鼓動するようでしょう?」
二人で、聞こえてきた音に耳を澄ましながら、じっと菱形水晶を見上げる。
「例の事件は、この拍動が大きく響いたときに起こっていたことが、追加で判明したのです。その事件と言うのが…」
魔神の安置所から拍動音が響くと、その付近を行く親子連れが消息不明になる。
それはパシフィクスの時にも少数ながら発生していたという報告が上がっていた。
この一つの事件から判明した一つの事実が、皮肉にも、事態に対する応急処置として確立してしまう。
それは。
「人身御供…ですか?」
「ええ。まあ、当時の価値観から、クリピデウスを生む人身御供は、王から名誉称号を与えられる程度には、称賛されていたようですから」
クレセンテは、そこで一旦話を切り、呼吸を整えたうえで話を継いだ。
「かつての海の民は決断を下しました。都市全体を護るという名目の下、一つの家族を贄として捧げる。ただし、ただ捧げるのでは、パシフィクスの動きを長期的に抑制することが出来ない可能性を考慮した当時の研究者たちは…」
視線が動く。そこには、あの絵の女性の影。
「封印装置の贄にもルナミスを循環させ、パシフィクスに存在を誤認させるための技術を並行して開発しました。それが、あの封印装置というわけですな」
「なるほど…」
そこでマシロはあることに気が付き、背後を楽しそうに歩き回っている人々を見やった。
「もしかして…。この人達は、魔神に贄として捧げられた人々ですか?」
クレセンテは静かに、マシロの言葉を噛み締めるように聞いた後に頷く。
「そう考えるのが妥当でしょうな。私も、当時を見たわけではありませんから、断言できかねますが、ね…」
少しの沈黙。ただホオジロだけは、優しい表情で全てを見回していたが。
「ともかく。その応急処置によって、この都市は平穏を得ることが出来たそうです。ただまあ、ここに居る人々の数を見るに、全てが順調というわけでもなかったようですが」
「そうですね…。あ、そう言えば、まだ伺っていませんでしたね。例の、秘密の話を」
「ああ、そう言えばそうでしたな。これはうっかりしておりました。とはいえ、そう大層なものでもないのですよ。それに、もうじき、その秘密が顔を出しますから」
そう言うと、クレセンテは遥か上の方に視線を向ける。すると、まるでそれを待っていたように周囲が暗くなり始め、まるで日没直後のような状態になっていく。
視線の先を追うと、そこには三日月が見えており、穏やかな光を都市に向けて届けていることが分かった。
「あれ?」
「おやおやー?」
ふと、そこでマシロとホオジロは、周囲の様子にも違和感があることに気が付く。
なんと、肩がぶつかりそうになるほど混み合っていた往来が、周囲が暗くなると同時に全て消え失せ、ただ光の粒子のみが漂う空間に置き換わっていたのだ。
「これは?」
「ああ、この都市に“夜”が来ただけですよ」
「夜?」
マシロは素早く懐中時計を確認する。しかし、懐中時計の針は、夜にはまだ早い時間帯だという事を伝えていた。
「実際の夜には、まだ早い感じですねー」
ホオジロもまた腕に内蔵されている時計を確認し、表示されている時間ににっこりと笑顔を浮かべた。彼女は何故か状況に察しがついているらしく、全ての事象を、にこにこと見守っていた。
「それにしても、この暗さは…。あれ?」
改めて周囲を見回したマシロは、エネルギー供給施設にあった太陽の意匠の輝きが大幅に減衰していることに気が付いた。
「夜って、そう言う事ですか?」
「ええ。本来は外の時間と同期した時の流れをしておりますが、あれに時間を誤認させるため、周期をわざと早め、より長く時を刻んでいると錯覚させる目的で、このような運用になっておるのです。あの城は夜の代弁者であり、封印の片翼を担っているのです」
「敢えて伺います。これは、何のためにですか?」
マシロの問いには、何処か悲しげな空気が宿っている。
請けたクレセンテは、実に穏やかな、しかし諦めにも似た表情を浮かべている。
「人の命には限りがあり、あれになったものに終わりはない。自分で終わらせない限りは。つまり、そう言う事ですな…」
ゆっくりと、述べた。
その後の沈黙の中、マシロは頷き、ホオジロはただ微笑んでいた。
「クレセンテ会長。もう一つ、質問しても良いですか?少し、お聞きし辛いのですが」
少しの後、マシロは再び問いを投げることにした。
「構いませんよ。何でしょうか?」
「有難う御座います…。何故、会長の娘さんは、あの役目を負う事になったのですか?先ほどの話から推測するに、贄には、家族連れがなっていたようですが?」
むしろそれこそが、彼女にとって一番の謎と言えるものだった。
絵に描かれていた彼女の姿。そして今、封印装置の中に見えている彼女の姿は、どう見積もっても十代後半の姿だ。子どもがいるようでもなければ、結婚しているようでもない。到底、封印の贄に選ばれる条件を満たしているようには思えなかった。
「……」
クレセンテは少しの間沈黙し、何かを思い出すように考え、そして。
「マシロさん、私達の先祖は海の民ではないという話、憶えておりますか?私達の一族は、地の民としてこの地に移り住んだと言います。その理由に、関係があったのです」
「どういう事でしょう?」
「そうですね。敢えて遠回しな言い方を選ばせていただきますが…」
そのように前置きしたうえで、話を継いだ。
当時の地の民の王、地王ノアテラは、海の民の派閥が独立することを、たいへんに憂慮していた。
その理由は、海の民が有する魔神“海王”パシフィクスが、魔法の制御に長けた古代人をして強力な術者と謳われる一族の子どもを、その素体として利用し生み出した存在だったからだと言われている。
魔神、地の民の呼び方でクリピデウスと言うものは、その形態を問わず、使い方を誤れば、都市の一つや二つ程度は簡単に消し去ってしまえるほどの力を有している。加えて、素体に使われているものが、その力の根源であるルナミス制御者として強力であったとあれば、当時において比類なき力を持つ地王であったとしても、警戒しないわけにはいかなかったのだろう。
結果として、海の民にその気はなかったが、内乱を警戒した地王の命令による監視が付けられることになった。その諸事情から、他の人々が監視役を請けることを渋る中、快く引き受けたのが、クレセンテの先祖、初代城主ムーライズ・クレセンテであった。
ムーライズはすぐに海の民との交渉に入り、その末、海の民の都市の上に人工島を造り、海の民の都市へと繋がる出入り口を、他の地の民や空の民から守る窓口とするという約束で、人工島にのみ作ることを海の民に提案。パシフィクスの不調による都市機能弱体化の露見を避けたかった海の民は、これを承諾した。
その後は、地王からの援助の下、城と屋敷とを造り、文字通り外交の窓口として恥ずかしくないよう立派に整備を施し、今の湖月城として完成させたのだという。
「何故、先祖がこれほどまでに迅速に事を運んだか。その理由、お分かりになりますか?」
「魔神の製造者」
「え?」
クレセンテが、次に何かを言おうと口を開いた瞬間に、ホオジロは優しく、しかしはっきりとした口調で、言い放った。
「初代城主ムーライズ・クレセンテが、パシフィクスの魔神化に関与していたから。そうですよね?」
「どういうこと?ホオジロ…」
首を傾げるマシロ。しかしホオジロは、やはり何処か確信めいた微笑を浮かべつつ、マシロを見返す。
「そのままの意味ですよー。そうでもなければ、ここまで大規模の海底都市を半永久的に維持できるような力を有する魔神や、それを狙う空の民との対峙の危機は望まないでしょう。誰だって怖いのは嫌ですしー」
片や驚きで、片や見守るように沈黙する中で、ホオジロは周囲の光の粒子を見やりながら、話を継いだ。
「何より、当時の地王陛下の援助があったのがその証拠でーす。普通なら、上手い具合に擦り付けるでしょう。当時は戦争中ですよ?なら意図は明白です」
「…地王ノアテラは、あわよくばパシフィクスを取り戻したかった?」
「ま、そう考えるのが妥当では?そうですよね?クレセンテ会長」
そこで一呼吸、ホオジロは言葉を止め、そして。
「いいえ。ムーライズ・クレセンテさん?」
マシロは、全身に衝撃が走ったように感じた。そしてそれはクレセンテも同様で、非常に驚いた顔をしていた。少なくとも、マシロにはそう感じられた。
「不思議なことを言われる。何故、そう感じられたのですかな?」
しかし、その表情には驚きはあっても、焦りとか、そう言った負の側面に由来する表情は無かった。
「そうですね…。マシロ様も、もうお気づきでは?会長さんには、不可思議な点が多いですよね?」
「……」
その言葉に、マシロは考えを巡らせ始める。クレセンテの言葉の一つ一つ。単語の一つ一つ。そして、それらが持つ意味の一つ一つについて。
直後、彼女は気が付いた。
「そうか。今の研究者でもほとんど知り得ない“地の民”や“海の民”の政治事情を、海の民でもないはずの人物がここまで詳しく知っている。もしもそれを語ることが出来るとすれば、それは海の民と直接触れ合った本人だけ…?」
「ご名答です。まあ、これも屁理屈と言えば屁理屈ですけどね。受け継いだ情報にそれが無いとも限りませんし」
そう言うと、ホオジロは微笑み、マシロと同時にクレセンテを見やった。彼は微笑みを浮かべ、清々しいまでの明るさを宿した瞳で、二人を見返した。
「…ふふ。これはこれは。参りましたな。ええ、そうです。ご明察の通りです。ただ一つ違う点を挙げるとすれば、私は彼に後事を託され、彼の術によって、彼を模して造られた何体目かのコピーであって、本人と言うわけでもない、ところですか」
そしてそう言うと、クレセンテは再び菱形水晶の、自分の娘が収められている封印装置を見やった。
「さて…。何故、私が事を急いだかについて、お話ししていませんでしたね。まあ、と言いましても。その理由は単純なのですがね」
少しの間。長く短い瞠目。そして開眼。
「私は、つまり彼は、自分の間違いを清算したかったのです。大変に自分勝手ではありますが。私が、人身御供として差し出さざるを得なかった、私の娘である“パシフィクス”を、守るために」
彼が語り始めた理由は、単純にして、達成に膨大な時間を要するものだった。
彼の娘であるパシフィクスは、自分の力で人々を護りたいと考え、憚らずに口にするような子どもであったらしい。そして、そこに目を付けた人間が居た。
元から力のあった彼女は、それらによって見初められ、地の民を守護するための人柱となった。当時、彼女は若干九歳だったが、その意味について理解したうえで人身御供に賛同したという。
結果、ムーライズの一族はクレセンテの姓を受け、パシフィクスは地の民に捧げられる身となった。しかし、その力は派閥独立のために用いられ、彼女の願いは違う形で叶えられることになる。
娘の人身御供の定めを、一度は受け入れたムーライズだったが、海の民の出現は彼にとって予想外であり、少々受け入れがたいものであったという。
「そしてパシフィクスの不調と制御事故。パシフィクスを素体とした新たなる守護神の創造。私からすれば悪夢のようなものですな。そして彼女は、どのような気持であったのか」
そう言うと彼は、封印装置の女性を見やった。屋敷の絵画に在った、彼が「自分の娘」と称した人物。
マシロは、ハッと顔を上げた。
「では、あの女性は一体、どなたなのですか?」
「奥さんですか?それならそっくりでも違和感は…」
「ははは、いえ、残念ながら違いますよ。あの子は私の、ああいえ、彼の娘で間違いありません。姉なのです、パシフィクスの。名はレヴィアと言います」
じっとその女性レヴィアを見据え、寂しげに微笑む。
「これは私の一族の男性には無く、女性全員にある特徴ですが、彼女にも、強大な術の力があったのです。そこで封印装置の、セプターの契約者となり、パシフィクスを見守ることを選択したのです。それが、ほぼ永遠と言っても良いほどの時間に縛られるとしても…」
「……」
マシロとホオジロは静かに、ただ静かに、それを聞いた。クレセンテの発する言葉の一つ一つが重く、沈んでいるように感じられたからだ。
「ええ。このセプター“陽月の円環”を作り出すヒントを与えたのは、私です。少しでもパシフィクスの負担を減らしてあげたくて。ですが、結果は先ほどお話しした通りです。それもこれも、私が不調の原因を突き止めることに手間取ったことが原因ですが…」
「手間取った…という事は、今はもう、判明しているという事ですか?」
「ええ。パシフィクス不調の原因は、彼女の、寂莫からくる感情の発露が原因でした。要は、寂しかったのです、彼女は。ですがレヴィアがそばに付いてからは、彼女は落ち着きを取り戻しました。守護者として、正確に…」
しかし、そこでマシロはある疑問に行き当たった。封印装置、エネルギー供給装置を作り上げ、その後、リヴァイアはまた不調を起こしていた。クレセンテの話が本当であれば、それは起こりえないはずだった。
「ええ。リヴァイアの不調は、リヴァイア本体の不調ではなく。“装置側の不調”だったのです。レヴィアの…」
不調は、最初は寂しさから、では次は何だったのか。
「レヴィアの、静かな怒りでした」
感情によって異変が起こるのなら、またそれも不思議ではないことだった。
「彼女は、彼も含め、パシフィクスを奪った全てに怒っていたのでしょうな。だからこそ、彼女は海の民の親子連れを、ルナミスを、喰らっていたのでしょう。本当、私が言えた義理ではありませんが、一族総出で、自分勝手でした…」
そう言って、彼は苦笑した。
マシロとホオジロは、そんな彼を、菱形水晶の向こうに見える魔神とレヴィアの姿を見つめ、ただ静かに、彼の独白を聞くのだった。