湖の月は青色に映える Ⅱ
※前回の続きとなります
屋敷の中に入った二人は、直ぐにエントランスの壮麗さに目を奪われた。表が白亜だったのに対し屋内は濃い蒼。深い海の色をしていた。そこに質実な大理石や、厳選されたガラス細工や絵画が飾られている。他の観光客は奥に向かったのか既に居らず、二人以外は、身なりの整った老紳士が一人居るだけだった。
最初、二人は広大な空間の各所に鏤められた芸術の数々を見て回っていたが、直ぐに興味は先の身なりの整った紳士へと移っていく。
「あの方、全然奥に向かわれませんねー。観光客ではないのでしょうかー?」
「身なりからして旅人って感じでもないから…。そうなると、もしかして?」
そう二人が観察した所見を述べあっていると、その紳士が二人の視線に気が付いたようで、ゆっくりと顔を向けると、柔和な笑顔を浮かべて軽く会釈を行った。
「あ…」
思わぬほどに見つめていたらしいことに気が付き、マシロも礼を返した。
「ごめんなさい。これはとんだ失礼を…」
「ごめんなさーい」
「ははは、いやいや、何の」
少しだけ近づき、マシロとホオジロが謝罪を述べると、紳士はやはり柔和な笑みを浮かべたまま、応じた。
「むしろ、私の方こそ。貴方がたのように、お若い方が、この場を興味深そうに見て回る様子を意外に思っておりましたから」
そう言って笑うと、自然と話をする態勢に移った。
これを幸いと捉え、マシロは話を振ってみることにする。
「ところで。貴方は奥に向かわれないのですか?他の方は向かわれましたけど…」
「いや、私は。その方々や、貴方がたのような人々を見ることが楽しみでして。それが仕事でもありますからな」
笑顔で話す老紳士の言葉に、その正体を察したマシロはポンと手を打った。
「…ああ!もしかして、貴方がクレセンテ伯爵ですか?」
「ええ、よくお分かりで。私で四十代目になります。まあ今は“伯爵”の称号は返上しましたので、貴族ではありませんが」
「えっと。では、財団の長という事で、クレセンテ会長とお呼びしますね」
「ははは。くすぐったいですな」
そう言うと老紳士、クレセンテは、照れ隠しなのか頬を掻いた。
そこからは特に他愛のない会話が交わされることになる。クレセンテ本人が、もともと旅が好きだったことから意気投合すると、湖月城の話を始め、クレセンテの仕事の話や、マシロの仕事や旅へと話が広がっていった形だ。
「なるほど。カメラマンをなさっているのですか。旅をしながら、となると、大変では?」
「ええまあ、確かに。でも、楽しくてやっていることですし、趣味と実益を兼ねてるので」
そう言って、マシロは笑った。
「良いですなぁ。楽しいかどうかは大切です。私も同じですよ。そう言えば、あそこに居る、ホオジロさんでしたね。彼女は…」
「はい?」
クレセンテは、離れた位置で無邪気に広間を見て回っているホオジロを見ている。
「こう申し上げては何ですが、彼女、もしかしてオートマータですか?」
「え?あ、はい。むしろ良く分かりましたね?入念にヒトに見えるようにしてたんですが」
唐突ではあったが、その眼力から発せられた一言は、マシロを大いに驚かせたと同時に、緊張させもした。
かつての古代技術の結晶とも言えるオートマータは、通常であれば遺跡や研究機関でようやくお目に掛かれるものであり、その大半は休眠しているか暴走しているかである。ホオジロのように通常の、魔物化していない本来の形でのオートマータの姿は、冒険者でも滅多に見ることが出来ない。馴染みが無さ過ぎるどころか、一般的な認識で考えれば、危険度の高い存在を供としているという事になる。
迂闊と言えばそれまでだが、邪気や悪意の無いクレセンテの物言いに思わず認めてしまったため、その緊張はより強い物となっていた。
しかし。
「ははは、いやなに。うちにも居るのですよ。暴走していないオートマータが。今は見えないところで、家事を担当してくれていますがね」
このクレセンテの一言で、一瞬で緊張は解け、むしろ興味が首をもたげてきた。ただ、マシロの言葉が出るよりも前に、クレセンテの問いが続いた。
「それにしても、他にも暴走していないオートマータを見られるとは。マシロさん、彼女とは、どこで?」
「ホオジロとは、旅先の、空の民の遺跡で出会いまして。彼女、ケージの中で休眠状態だったんですが、私が、その前を通った瞬間に目覚めて…」
その時の状況は、わざわざ思い出すまでも無く、今も鮮明に彼女の頭にしまい込まれている。
ケージから目覚めたホオジロは、すぐには状況を把握できず、加えて自分の名称を何故か忘却してしまっていたため、混乱に混乱を重ねた結果、近場に居たマシロに襲い掛かった。しかし、目覚めたばかりで性能を十全に発揮できなかったホオジロは、マシロの精方術によって鎮圧された。
「容易くはなかったですけど、どうにかこうにか、鎮圧出来ました。それからは記憶探しも兼ねて、私の護衛をしてくれています。ホオジロと言う名前は、その時に送った仮のものです。最初の彼女が身に着けていた、ぴったりした衣服に鳥の紋が描いてあったので」
「なるほど。そう言う事でしたか。侍女服は、彼女の意向で?」
「はい。彼女本人の製造目的に合致しているという事で、彼女自身が。なので、護衛兼世話係のように、周囲には認識されているようです。もちろん、他の衣服も所有していますが」
「ふふ…」
楽しそうに話すマシロを微笑ましそうに眺めるクレセンテ。
「ところで、貴方に一つ提案があるのですが…」
すると、彼はマシロに向けて、意味ありげに微笑むと、通常の順路とは違う方の通路に目をやった。
「どうでしょう?マシロさん。あの奥…」
その視線を追うと、その通路は他より少し暗くなるよう作られており、周囲の壮麗さに目を奪われた人の目線からは、非常に外れやすく細工されていることが分かった。実際、マシロは視線を追うまで、そこに通路があること自体に気付かなかった。
「通常では、私や関係者くらいしか入れませんが、実はあの奥にも、この建物の歴史において欠くべからざるものが有るのです。彼女の、ホオジロさんの記憶探しの一助となればと思うのですが」
「それはとても興味がそそられますね。しかもホオジロに関することであれば、なおのこと。それで、あの奥には何があるんですか?」
微笑して返すマシロの言葉に、クレセンテは柔和に微笑んだ。
「簡単に申し上げれば。この城が何故、島ではなく海の上に生えるように建っているのか。その理由が、あの奥にあります。要は、城の秘密の一端ですな」
そう言われて、マシロの心が躍らないわけがなく。一も二も無く動向を申し出た。
そして、城の秘密があると言う通路の奥へと向かう事になるのだった。