湖の月は青色に映える Ⅰ
その建築物は、人々からは湖月城、或いは三日月城と呼ばれていた。その巨大な館を住まいとしていた伯爵の名前が、月に由来していることが主な理由とされているが、実際に現地に足を運んだ人間たちは、口々に別の由来を口にするようになると言われている。
実際に話を聞いてこの地を訪れていたマシロとホオジロも、洋上駅に着き、隣接した宿場から乗った連絡船から見られる景色に、最初に文献で知った由来を忘れかけているほどだった。
「おお…。これはやはり見事だね。記念に一枚…」
マシロは、船の揺れをものともせずに愛用のカメラを構え、気合で一枚を収める。
「手振れしそうですねー。でもそれも仕方ないですよね。何せ…」
「この綺麗な景色。収めない手はないからね」
カメラに、もう一枚風景を収めた所で、マシロはレンズにカバーを付けた。
「まあ、綺麗に撮れてなかったら自分用にするよ。依頼用には別の写真でも良いわけだから」
「それもそうですねー。んでは、私はお先に戻りますねー」
マシロが目的を果たしたと見たホオジロはデッキから離れ、手近の出入り口から客室へと戻っていく。
(私も大概だと思ってるけど。自由だなぁ、ホオジロも。オートマータとして大丈夫だったんだろうか、昔の彼女)
そのような栓無き心配などしつつ、マシロもまた客室に、戻る前にデッキで販売されていた食べ物を購入してから、手近な出入り口から中に入った。
それから少し後、ゆっくりと、連絡船が湖月城の船着き場に到着した。他の乗客と共に新設された桟橋を渡り、元から存在する渡し場を歩いて入城する。軽快にして賑やかしい足音や、思い思いに感想を述べる客の声が場に満ち、まさに観光地に相応しい騒々しさである。
門を潜り、壁の内部へと入った客を迎えるのは、鈍い白色の建材で造り上げられた美しい屋敷と、丁寧に管理が行き届いた広大な庭だった。水の多い立地を反映してか、必要な水路と噴水以外では内装に水の装飾を扱わっていないようで、洋上の建築物でありながら、豊富な自然の風景が演出されている。
マシロとホオジロは、他の客が屋敷へと急ぐ中を外れ、敷地内の庭や屋敷の撮影に向かい、すぐさま撮影機材を構えた。
「まずは、外の景色からが基本だよね。個々の一枚は押さえとかないと」
「周囲に人が居ないのも幸いですねー。皆さん中に急いで向かってしまいましたしー」
「まあ、ここは内装の方が有名らしいから、みんなそっち優先だろうからね。お陰で私はこうして…。撮影に集中できるわけだから感謝しないとね」
レンズの向こうに見える色取り取りの花壇や、垣根に囲まれた白亜の休息所や、それらの背後にどっしりと構える屋敷を、次々と写真に収めていく。当然、それらを同時に見ることの出来る写真も撮り、密やかな需要のある城壁の様子も写真に収めていく。
「取り敢えず、これだけ撮れれば十分かな?ある程度の需要にも応えられるでしょう」
カメラのレンズを軽く拭い、カバーを付ける。
「需要と言うものは良く分かりませんねー。廃墟の写真、遺跡の写真、街の写真、人の写真。被写体以外に違いがあるとは思えないのですがー」
「嗜好って言うのは、そう言うものだよ。同じ甘いものでも、アイスが好きな人も居るし、チョコレートが好きな人もいる。そんな感じだよ、これも」
「なるほど?」
「さ、それよりも…」
手早く撮影機材を収納ケースにしまい、コンパクトにしたうえで担ぐ。
「私達も中に入ろう。混み具合もちょうど一段落したころだろうし」
そして、他の客たちがそうしたように屋敷内へと足を運ぶ。
最初に聞こえていた、軽快で騒々しいまでの足音や声は遠くへと消え、マシロと同じように庭や外観を見る目的で残った少数の客以外の姿は見受けられない。
二人もまた軽快に、空間に足音を刻んでいった。