瑠璃色の塔の伝承
マシロとホオジロは、旅の途中で、とある辺境の森の中を訪れていた。
周囲は若葉に覆われていることによる緑と、それに伴う薄闇とが満たしており、しかし、時々に差し込んでくる木々の隙間からの光が、不自然なまでに整えられた地面を微かに照らしていた。
奥からは、花の匂いの乗せられた風が絶えず流れて来ており、木々の葉を揺らして心地よい演奏を耳に運んでいた。
その森は、時々人のような何かの声が響き渡るという噂から、旅人の間では冥府へと繋がる道があるとか、或いは死者の集まる国があるだとか、眉唾ものの伝承が多い場所としても知られている。その所為かは分からないが、好き好んでこの場所を訪れようとする旅人は非常に少ない。
「ここは、本当に薄暗いですねー。木々は綺麗ですが、この場所にずっといると、気分が落ち込みそうです」
「同感。でも、この先に、例の美しい塔があると思うと、行きたくて仕方なくなるのよね」
「そうですねー。ここは暗いですが、奥に宝物が眠っていると考えると、ワクワクしてきます!早く抜けたいですね」
絵画の記録された写真を片手に旅を続けている二人も、その写真と同じ景色が見られると言う情報が得られなければ、今この時に訪れる予定は無かった。
奥に進むに連れて、風は徐々に緩やかになり、逆に差し込む日差しの量は増えていく。
あと、少々距離はあるが、前に開けている空間が見えている。こちら側が暗く、向こうは光の中なので、白く輝いている。
精方術による飛行術に頼れば、森を苦労して踏破する必要もなかったが、着実に歩むことで目的の場所にたどり着けるという実感は、二人に活力を湧きあがらせてくれた。
その先に何があったとして、それがもし、死者の国であれ、冥府への扉であれ、今、自分の足に感じている疲労感を消し飛ばしてくれる感動的なものが待っていることだろう。そう期待するがゆえだった。
二人は歩を進める。
先程、光で満たされた空間を視界に収めてから数えて、大よそで十五分ほど。
「せーのっ!」
「ゴールッ!」
二人は、その開けた空間の先へと、同時に飛び出していた。
薄闇の中から光の中へと急に出たことによって起こった生理反応で、マシロの目が一瞬だけ眩む。人間の生理反応に対処するため、目を細めて明るさに視力を慣らしていく。ただ人型自動人形であるホオジロには関係ないので、少しだけ足踏みしてしまったマシロよりもどんどんと先に向かった。
さて、目の眩みから回復したマシロは、すぐ前で佇んで居たホオジロの隣に立った。最初は何事かと思ったマシロだったが。
「わぁ…!」
目の前に開けた景色を一望して、その意味を察した。
そこにあったのは、一段下がった地形に展開する、天を衝くような高さを持つ、透明感のある瑠璃色の塔を中心として形成された、レンガ造りの家々が立ち並ぶ多数の集落だった。
それを見た瞬間。マシロは即座に鞄からカメラと三脚を取り出し、撮影を始めた。
マシロは、探検家であり、また写真家でもあった。彼女の目的は、風景画家ビアンカの遺した絵画の景色を実際に目で見て、カメラに記録として収めること。
カメラマンとしての知名度はそこそこ。だがマシロの名前は本名ではない。風景画家ビアンカの出自に合わせて、彼女がそれらしい名前として自分に設定したものに過ぎない。本名は同じように「白」色を表す単語が使われている名前だが、彼女はもっぱら仮名の方を名乗っていた。
「うん、良いね…」
カシャリと言う軽快な音と共に、次々に風景が写真として記録されていく。自分がいいと感じる角度、光量を、変化の中で見極め、シャッターを切る。
結局、そのまま十数分ほどを、撮影に費やした。これに時間が掛かるのは、受けた印象をより美しく記録することを信条とする彼女には、その瞬間が何よりも大事だったからだ。
そして、撮影のために椅子代わりにしていた岩から腰を上げ、少し離れた場所に見えている門に向けて歩き始める。
周りの家々がレンガであると同じように、その門も、遠目には家屋と同じ造りに見えた。ただ、近くでそれを見ると、門を囲う部分はレンガで造られていたが、門の扉そのものは、レンガではない別の何か。 それこそ金属のようなもので造られていた。
そっと触れてみる。
日差しに曝されているにも関わらず、門は熱など無いかのように、ひんやりとして冷たく、見た目から推測できる通りに、金属に触れた時のような感触が伝わった。
すると、ホオジロがポンと手を打った。
「これはマナマテルですねー。魔法技術で造られた、自然界には存在しない金属です」
「へぇ?魔法文明時代の人工物質ね?つまりこの場所は、あの時代でも重要な場所だった
ってことか」
マシロも納得したようにポンと手を打ち、そのうえで、そっと押して隙間から中を見てみた。最初に見たレンガ造りの家々が並び立つ光景が広がってはいるが、人の気配はない。
二人は、周囲の安全を確認した後、精方術の防護術を、自分の体に簡単に施した上で中へと入った。そのまま、真正面にそびえる瑠璃色の塔を目指すように通りを歩いていく。
辺りを見回しても、何処にも人は居ない。ただ風に乗って、何処かから聞いたこともないような言語で話す、何者かの声が聴こえるだけだ。
結局そのまま、瑠璃色の塔に着くまでに誰かと出会う事はなかったが、人同士が話し合うような声や、歌うような声だけは、頻繁に聞こえ続けた。非常に奇妙で、興味を惹かれる現象ではあったが、二人は真っ直ぐに瑠璃色の塔の内部へと向かう石畳を歩いていく。
少し前に、亡者の巣窟となっていた遺跡に足を運んだことのある二人からすれば、事前の噂通り、この場所が死者の国や冥府に近いのならば、人の気配の無さが、そのままアンデッドのような黄泉帰りとの遭遇を想起させられる。
それを抜きにしても、彼女らの目的は、あくまで目の前にそびえる瑠璃色の塔を探索し、写真に収めることであって、集落の事情を調べることではない。足を止めこそすれ、本来の目的を忘れてそちらに向かう理由は無かった。
程なくして塔の足元に到着。近くで見上げてみる。やはり高い。雲を突き抜けているのではないかと思えるほどに高い。
もしも、この塔に屋上があるとして、そこから見える景色はきっと目が眩み、視界が霞むほどに綺麗なのだろうな、と、マシロは夢想した。
「さあ…。いざ進入!」
「何が出るのか、だね」
心躍らせながら中へと入る。
そして、二人を出迎えたのは、廻るには些か広過ぎる空間に造られた、大きく吹き抜けた構造に合わせて組み上げられた空中回廊と、格子状の柵に防護され、空中回廊や塔の中心を貫くように太く伸びた、無数の歯車がかみ合わさることで成立している、磨き抜かれた金色の歯車の柱だった。
「おぉ。これは美しいですね。マシロ様!」
「これ、予想以上に壮大な仕掛けね…」
二人ともが思わず感想を投げ、息を呑んだ。
勿論、歯車を用いた絡繰り構造の機械などは、当然目にしたことがあったし、ホオジロに至っては、目の前の仕掛けとほぼ同じような技術が用いられた自動人形である。
しかし、今二人が見ている、天を貫くように高い塔の中身として、巨大で精緻な絡繰り構造などと言うものには、未だ巡り合ったことがなかったし、その存在も、古い話くらいでしか聞いたことがなかった。それが今、目の前に確かに実在している。
次に、辺りを見回してみる。柱と、瑠璃色の壁以外は特にこれと言ったものは存在していない。強いて言えば、古代魔法文明時代の文字や、記号が彫られた金属板が、壁や土台に埋め込まれているくらいだった。それでも十二分に、二人の心は高揚していた。
更に見回すと、上の階層へと続く階段を見つけたので、逸る気持ちをどうにかこうにか抑えながら足早に向かった。その階段は、壁の湾曲に合わせて螺旋状に備え付けられており、備え付けられている手すりには、何やら模様が刻まれていた。意を決して足を掛け、一段一段、踏みしめる様に上る。すると、まるで上の階に誘うように、手すりの上を淡い光が昇って行った。
階段は、歯車の柱を周回するように続いており、上へと昇っていく過程で、多方向から眺めることが出来るようになっている。歯車一つ一つがかみ合わさった柱は、その全てが、別々の職人の手によって組み立てたられたかのように、一ヵ所として同じ景色を作ってはおらず、しかし、その全てが一つの構造体として、美しいまでに調和し、成立していた。
二人は、その光景を心の底から楽しみつつ階段を昇っていく。勿論、途中途中で休憩を取りつつ、絵画の写真を確認し、カメラで風景を撮影する事も忘れない。
そして、レンズ越しに景色を収めた後は、再び自分の目で、景色を眺めて楽しむ。
この時、一度見たものも、レンズ越しに眺めるのと肉眼で直接見るのとでは、印象が違っているなと、マシロは感じていた。さらに階段を上がる。
塔へ進入してから、それなりの時間が経過した。
二人は、途中にあったベンチに座り、水筒のお茶で一服していた。
流石に階段を上り続けると言う行為は、想像以上に疲労する。持ち込んでいたルーボスと言う名の赤味のある茶をカップに注ぎ、一息つく。
その茶葉は、とある西方の行商人から入手したもので、今朝煮出して、冷やしたうえで水筒に詰めて持ち込んでいたものだった。味はほんのりと甘く、後味が爽やかで渋味等の癖がほぼないことが特徴。そのためか、原産地周辺では、牛乳や山羊の乳に砂糖を加えて飲むのが一般的らしい。
「ふー…」
「はー」
一口だけ飲み、二人同時に体から力を抜く。
心地のいい疲労感で満たされており、マシロは、ともすれば眠ってしまいそうだった。自動人形であるホオジロには、マシロと違って、このタイミングでの休息は必要ないのだが、体の内燃機関が生み出すエネルギーの効率が悪くなるという事で、お茶等もマシロからもらって摂取していた。
もう一口飲み、大きく息を吐いた、その時。
「?」
歯車の動く音とは別に、集落の中でもたびたび聞こえていた人々の声が、塔内でも聞こえ始めたのだ。
マシロは耳を澄ませ、ホオジロは腕に武装を展開し、警戒態勢を取る。
「……」
音が聞こえてきた距離は、最初は遠く、一瞬だけ気のせいかもと疑ったが、確かに、誰かの声が聞こえていた。
それは会話のようであり、歌のようでもあった。加えて物静かで有りながら、場の空気を震わせているように感じられた。
「何だか急かされているみたいね…」
「お気を付けください、マシロ様。この塔全体にマナの気配が感じられます。ここは、大規模な儀式魔法を行使するための施設だったのかも知れません。ただ、守護機銃が居ないのが気になりますが」
「確かにね。もしかすると、もう居ないのかもしれない」
マシロは一度首のストレッチをし、もう一回茶を口に運んだあと、水筒をしまって立ち上がる。ホオジロは武装を展開したままそれに従い、そして二人は、声を追うように階段を上り始めた。
そして、音の導かれるように階段を上っていくと、聞こえ続けていた声が、歯車の柱に接している広場のように形作られている空中回廊の踊り場から聞こえて来る事に気が付いた。
柱をぐるりと一周し、最初に居たところと反対側まで階段を上ってから、そこを見てみると、狭いが、柵に囲まれた休憩用と思しき空間が設けられており、多数のベンチとテーブル席とが備えてあるのが分かった。中央には、経年を感じさせない冴えた輝きの金属板が嵌め込まれた土台もあり、声も、その土台辺りから聞こえてきているようだった。
休憩所と思しき空間に足を踏み入れる。
その時点では特に何もなかったので、早速中央の土台に近付いてみることにした。そこで初めて、声がそこから出ているという事を確信した。
次に、埋め込まれている金属板に目を通す。
「えっと…?」
そこには、二行程度と短いものの、見慣れない字体の文字が彫り込まれている。
「これは、確か…。ごめんホオジロ。バッグから、言語をまとめたノートをちょうだい」
「はーい」
ホオジロから手渡された、使い込まれた跡が随所に見えるメモ帳を開き、内容と金属板の文字を照らし合わせる。メモ帳の表紙には「ヘーリニック語圏用語逆引き辞典」と手書きされていた。
すると、幾つか見覚えのある文字を見つけることが出来た。早速、共通語翻訳を行うために書いたページを広げた。
そのうえで、例文や単語から、文章の内容を分析していく。
数分後。
「…『この歌と声を円盤として刻み……空と共に暮らす我が子たちに捧ぐ。悠久の時を経ても…思い出せ……我らは今も共に在る』?」
判明した単語を、継ぎ接ぎするように口に出していくと、金属板にはそのような文章が彫り込まれていることが分かった。メモ帳にしっかりと情報として書き込んでいく。
「不思議な印象の文章ですねー。まるで自分の子孫に話しかけているような」
「と言っても、この文章だけだと、良く分からないことだらけなんだけどね。まあ、雰囲気は分かる気がする」
刻まれている言葉の意味するところはよく分からなかったものの、それらの言葉が、ここを登ってきた何者か、或いは、この塔を利用していた何者かに対して語り掛けているのではないかという印象を、マシロは受けた。
マシロはメモ帳を閉じて鞄にしまう。
「さあ、次に行こうか」
「はーい。まだ上がありますしねー」
そうして、階段に足を掛けた、その時だった。
突如、中央の歯車の柱が唸るような音を発し、柱を保護している格子の展開と共に変形、壁面や、階段に見えている一見無意味に独立していた歯車と、新たな噛み合わせが組み上げられ始めたではないか。
「わぁ!?」
「おー?何か始まりましたねー」
思わず足を止め、歯車の柱の変形を見据える。
どうやらそれは、塔の全体で起こっている現象らしく、遥か下や上の方からも、機械の動く音が響いて来ている。その大規模さにもかかわらず、階段の振動はほぼ無かった。
安全のため、しばらくその場に足を止めていた二人が、音が収まり始め、現象が沈静化した後に辺りを観察すると、展開した歯車達は、自分たちが使っている階段や空中回廊の通行性を維持した絶妙な配置で組み上がっており、仮にこれらが一斉に動き出しても、移動に支障はないことを確信できた。
「これは、何と言うか凄いね。凄いという言葉しか出てこない。こんなに複雑な構造なのに」
マシロがカメラを回す。
「私を造った文明ですから、凄い技術を有しているとは思っていましたが、まさかこれほどとは!もうワクワクが止まりませんよー!」
「本当、楽しみになってきた」
改めて移動しようと一歩を踏み出す。すると、案の定というべきか、今度は展開した歯車達が一斉に回転を始めた。
「これ、下手に動かない方が良いかも知れないね」
「大規模に動いてますからねー。それに、この音。さっきのものと少しだけ違っていますから、何かあると考えるべき、かもですねー」
階段を上る足を止め、再び先ほどの広場へと戻る。ベンチに座り、再びお茶休憩の準備を整えた。
そうして待っていると、歯車の構造とは関係ない壁がゆっくりと横へスライドし、外の様子を直接見られるようになっていく。同時に手すりの光源が消えていき、外の明るさが直接内部に差し込み始める。
二人が居る場所からは、塔の周辺に広がる集落と森、そして空を同時に見ることが出来る。
「まるで、この場所が初めから展望台になるようにつくられていたような…」
「これはもう、ここを造った職人さんの腕ですねー。ただの儀式場かと思ってましたけど、予想以上に凝ってますよー、ここ」
そのままお茶を一服しつつ待っていると、今度は自分たちよりも遥か上の方から、今まで聞こえていた音とは違い、しっかりとした意味を感じられる静かな旋律が聞こえ、しかも、それに合わせて歯車達の回転が少しずつ緩やかになっていく。
何となく、マシロは目を閉じ、静かに耳を傾け始める。ホオジロはにこにこしたまま、周囲の音に集音装置を澄ませている。
その旋律は、塔全体を通じて響き渡っており、しかし耳障りには決してならず。実に滑らかに耳に入り、そして体の奥へと沁み込んで行く、透明感のある不思議な旋律だった。
聴けば聴くほどに、体がふわりと浮かび上がっていくような感覚さえ呼び起こし、その場で眠ってしまいそうになる心地良いものだった。ただ、曲を聴きたい欲求がある以上は眠るわけにいかないので、たまにお茶を口に含んだり、お茶請けとして用意していたクラッカーを食べたりして、抗った。
そして気が付く。最初に聞こえていた声達が、その旋律に合わせてヘーリニック語による歌を歌い始めたことに。曲に合わせて声達が歌い、塔全体へと音を染み渡らせ、そして、最後には、塔だけではなく、集落全体からも音が、歌が聞こえ始めた。
それは子守歌のようで、母親が、まどろむ子どもをそっと撫でるように、優しい歌だった。
マシロは目を開け、そっとテーブルの上を片付けると、鞄の中から一枚の写真を取り出し、カメラを持って静かに立ち上がる。
「マシロ様?どうしました?」
マシロは答えない。代わりに、写真を確認するように見てからホオジロに手渡し、一方で、カメラを手に、その場の景色を収め始めた。
その場で、歌に耳を傾けるのも悪くはない。しかし、そのまま聞き流すのももったいないと、彼女は考えていた。ホオジロは写真を見て納得したように微笑むと、マシロの行動を静かに見守る体勢に入った。
「取り敢えず、これで良し」
満足そうに頷くと、マシロはカメラをしまった。
「目的は達成ですねー、マシロ様」
「ええ。あの絵画にあった景色の一つは、これの事だったんだね」
「開けた風景。見える集落。空。まさかこんな途中から見える景色だったなんて、思いもしなかったですよー。てっきりもっと高い場所からかと」
「でも、助かったかもね。上見て」
視線を上げる。先が霞むほどに続く柱と螺旋階段。展開した歯車による壮大な構造物が広がっている。
「これを全部登ろうとは思えないですねー。興味はありますけどー」
「そうね。ただ、もしも上るなら、途中から精方術で飛行しないと…。光源が手すりしかないから、真っ暗になりそうね」
二人は互いのカップに注いであるお茶を飲み干すと、テーブルの上を片付ける。衣服に付いたクラッカーくずを落とし、マシロはストレッチを行い、ホオジロは装備したままの戦闘用装備を確認する。
「戻ろうか。ホオジロ」
「そうですねー。それに、一番下の土台も、調べてなかったですしねー」
「そう言えばそうだった。何で忘れてたんだろ?」
互いに準備が出来たことを確認し合うと、ここまで登ってきた階段を下り始めた。最初と違って下の階が見えるため、自分たちがどれほど高い階層に上っていたかを知ることが出来た。ついでにカメラで、各階の風景を写していくことも忘れない。
意外なことに、それから一番下に降りるまで、それほど時間は掛からなかった。
思っていた以上に足早に降りてしまったので、早速柱前にある土台に埋め込まれている金属板へと向かう。もちろん、先に準備しておいたメモ帳を片手に。
「さて…、と」
その金属板にも、三行ほどの長さのヘーリニック語が彫られていた。早速メモ帳を開き、解読に掛かる。
「ふむふむ…」
「補助しなくても大丈夫ですか?マシロ様」
「んー?多分大丈夫。ただ答え合わせは宜しく」
そこから、さほど時間を掛けず、解読に成功する。
「…『かの空から、この大地へと降りる者達…そして…この大地から空へと昇る者達に歌を捧げる…。時を刻み日を見つめ…昇る者も降りる者も…大地に今ある者達も……等しく共に在らんことを』…」
そのような意味の文章が彫られていた。
「合ってる?」
「はい。大丈夫ですねー。わりと意訳っぽいですが」
「了解っと…」
メモ帳に記録を残してから閉じた。
「うん?」
そして、改めて金属板の文章を見たマシロは、何かを思いついたような表情を浮かべ、メモ帳を再度開いた。ページは、先ほど上の階層でメモを取った文章を書いたところだ。
「これはもしかして…」
「どうしたんですか?マシロ様」
「もしかするとこの文章、意味分かったかも」
「おー。本当ですか?」
「ええ。ついでに、この写真に写ってる絵の意味も」
そう言って、一枚の写真を取り出して示す。そこには、瑠璃色の塔の周囲を舞うように飛び交い昇っていく光の人影たちと、下に降り普通の人々と遊ぶ光の人影たちが描かれた絵が写っていた。
風景画家ビアンカが描いたものとしては、珍しく抽象的な絵で、マシロの印象に強く残っている一枚でもあった。
「ここってさ。もしかすると死者を送るための場所だったんじゃない?」
「霊魂を送るとか、そう言った、精神的に重要な行事ですかー?」
「そうそう。ほら、今も聞こえるこの歌。何だか子守歌っぽいでしょう?しかもさっき、私危うく眠りかかってたんだよね。しかも体が浮き上がるような感覚も伴ってね」
「…それ、ヤバくないです?あっちの世界に引っ張られてませんか?」
「いや流石に、私もこれは不味いと思って、お茶を飲んだり、クラッカー噛んだりしてしのいだけど。もしかすると、そう言う事だったんじゃないかってね」
その間も、荘厳でありながらも静かに、歌は響き続けている。
「ただ、それだと集落の共鳴が説明できないんだよね。それも、この装置の影響なのかもしれないけど。要検証かな。これは…」
「確かに魔法で、そう言う事を実行に移す実験をした科学者が居ましたけど、成功したという話は聞いたことがないんですよねー。私のメモリー内でのことですから、微妙に信用できないところですけどもー」
二人して唸りつつ、瑠璃色の塔から外へと出ていった。
その後、集落も探索してみたが、特に何か新しい情報を得られることも無く、ただただ寂然とした雰囲気を、経年劣化した家屋から存分に味わうのみであった。
それから大体三十分過ぎた頃。二人は集落を離れ、門の所に居た。
流石に歌も終わり、塔も元の姿に戻っていた。集落からの声も、それきり聞こえなくなっていた。
マシロは、そっと門を押し開けた後、塔を振り返る。そこには変わらぬ姿で佇む、瑠璃色の塔が鎮座しており、いつまでも下界を見下ろしているように感じられた。
(死者の集まる国か。それとも、死者になる者が集まる国か…。どちらにしても、これほどの設備が遥か過去に作られ、しかも未だに稼働し続けている。これは他の遺跡の探索も、楽しいことになりそうね)
心の中でそう呟き、ふっと笑うと、マシロはホオジロを伴って集落を出、森へ続く道へと帰っていった。
後には、誰も居ない、朽ち始めている静かな集落と、それを見下ろす瑠璃色の塔だけが残っている。そして二人が森へと完全に姿を消したあと、出入り口の門がゆっくりと、まるで役目を終えたように、閉まっていくのだった。