八年前の出来事 (その9)
魔力。確かに、今まで生きてきた中で、フィクションの産物以外では一切耳にしたことの無い単語。
エルベスの民、その村長であるユーリは、その力を、魔法や魔術に用いるものと説明した。
どうやらその力は、その身に宿るものであるらしい。ならばこの身体に宿っていないのも納得だ。何故なら、僕は今までそんなものがあると思ったことがなければ、そんなものを目にしたことも耳にしたこともないのだから。
いきなり魔力は存在すると言われたからといって、だからどうした、僕には関係のない話である。
さて、関係のない話ですがあるけれど、少なくとも僕は魔力がないからこの世界の人間ではないよ、って言われているわけだ。
僕に魔力がないのは当然納得できる話ではあるけれど、だからといってつまり、この世界は僕が今まで生きてきた世界ではないなんて到底信じられない話である。
全てが作り話の可能性はないのか?エンリーが使った、魔術と言われるものが手品なんかには感じられなかったし、魔力の存在自体は信じられるものではある。けれど、だからといってこの世界の人間、生きとし生けるもの全てが魔力を持っているという結論にはなり得ない。
この村の住民が魔力を持っているのは、まぁツリーハウスに階段とか梯子が見受けられなかった以上、エンリーと同じ方法で玄関まで上がっているのだろうと推測はできるのだから納得がいく。
けれど、やはりだからといってこの世界の人間全てが魔力を持っている証拠がないし、僕からしたらこの村の人、エルベスの民全てが魔力を持っているだけであり、ここは地球で、僕が今まで生きてきた世界であると考えた方がまだまともだ。
「その顔を見る限り、あまりわしの話を信じきれるものだとは思ってなさそうじゃの」
「まぁ……ユーリさんが作り話をしているだけで、エルベスの民が特別魔力を持っているだけで、この世界自体は僕がいた世界だという可能性の方が、その作り話が本当だという可能性よりは高そうですからね」
「失礼な話じゃの、全く……まぁ、仕方がない。まずはわしの話が作り話なんかではないということをわかってもらう方が先じゃ。聞くより見た方が早い、ついてきなさい」
ユーリは、よっこいしょと言って立ち、玄関を出ていく。
一体、なにを僕に見せようというのだろうか、僕もそれについて玄関を出る。
「老齢には堪えるわい……『飛行』、これでお主は空を飛べるようになったが、これはあくまで保険じゃ。わしの手を離すでないぞ」
ユーリは自分と僕の胸に手を当てる、フライと言ったのか、もしかして、今のが空を飛ぶ魔術なのだろうか、ということは今から僕はユーリと空を飛ぶという事だ。
ユーリが差し出してくれた右手を、絶対に離さないようにして準備する。心の。
「そうじゃ、絶対離すでないぞ。空を飛べる魔術は掛けたが、だからといってすぐに空を飛べるようになった訳ではない。ではいくぞ」
そういっていきなり、ユーリの体は宙に浮いていく。それに伴って僕の体も宙に浮いていった。
今更ではあるけれど、これが魔術か。エンリーの時はろくに説明もなく唐突だったから怖がる暇も驚く暇もなかったけれど、今は高さの問題もあるのだろうか、めちゃくちゃ怖いしめちゃくちゃビビってる。
「ほら、もう見えるじゃろ?空を見てみよ」
周辺の木より僕達の体の位置の方が上に来て、ユーリはそう言った。
……なるほど、ここは確かに、僕が今まで生きてきた世界ではないらしかった。
空にて煌々と輝く、見慣れたはずの太陽が、今はとても眩しかった。物理的に。
空には、眩いばかりの太陽が真上に2つ、仲良く輝いていた。
「どうじゃ、この世界に来た勇者は、空に輝く2つの太陽に驚きを見せたと聞く。お主の世界では太陽は2つではないのじゃろう?」
「えぇ……太陽は1つしか、少なくとも昼には観測できませんでした。ユーリさんの話の全てを信じましょう」
元々、ユーリさんが僕を騙す理由自体があまりないように思う。ただ、真実を言っているという確証を僕が持ちえなかっただけだ。
だから、元の世界とは違うものを見せられれば、僕はその確証を得てしまうわけだから、話を信じないわけにもいかない。
ユーリさんはゆっくりと、僕を怖がらせないようにだろうか?僕達が今まで上がってきた空を降りてゆき、さっき飛び立った玄関まで戻ってくる。
「さて、それじゃ、お主は今、かの勇者と同じく別の世界からこの世界にやってきたわけじゃが、まぁとりあえず昼ごはんでも食べてから、またゆっくり話すとしようぞ」
--別に急がなくてはならぬ理由、特にないじゃろ?--ユーリは玄関からまた最初にいた広間のような部屋に入って、更に別の部屋に入っていく。
まぁ、僕は急いで戻ろうとしていた訳では無いし、むしろここが今まで生きてきた世界ではない--異世界であるならばそっちの方が好都合かもしれない。
驚くくらいに、僕には元の世界に戻れないと知ってから、その事に対する未練みたいなものが感じられなかったからだ。
そっか、未練がないとは思っていたけれど、もう戻るべき場所に戻れないのに、こんなに楽な気分になるなんて。
今まで自殺なんてしなかった事の方が驚きかもしれないくらいに、僕の気持ちは楽だった。