ーハイトランズの夜ー
夜空に散りばめられた無数の白い点を眺めながら、額に傷を持つ男は白い岩に座り込んでいた。無骨な鎧に背負う大きなブーメランは月明かりを白く照り返す。彼の隆々とした腕が鉄の壁へと伸ばされ、硬さを確かめるように指先で何度も押す。しかしそれでどうにかなるようでは、この海を渡ってくることなど出来る筈もなかった。
新型長距離渡航船ハイトランズは火の国最新鋭の技術を結集して作られた強襲船だ。紡錘型の船体の先端には鋭い衝角を備えている。船首から船尾までは、全力疾走でも十秒はかかるだろう。幅は側の森を形成する木の高さと同じくらいだ。船全体を海に沈め海中を移動する船――つまりは潜水艦なのだが、その仕組みは前線で戦う戦士達の知るところではない。
「コルチ! 交代だ!」
縄梯子から別の男が降りてくると、コルチと呼ばれた戦士は手を上げて応じた。二人が持つ赤に黄色の斑点が入ったまだらな髪が、彼らが同郷であることを示している。コルチは仲間の肩を叩きつつ、
「さっき森の方に初めて見る動物がいたぜ」
「へぇ、ここにしか住んでいないってヤツかね」
「四足で見た目恐そうなんだけどさ、俺に気づくとあっという間に逃げちまったよ。意外と臆病なんだな」
そんな会話を二度三度した後、コルチは縄梯子を登る。岩礁に乗り上げたハイトランズの姿を下目に甲板へ上がると、明るく光る無色水晶の三角窓の方へと進んだ。
船内は賑わっていた。金をあしらった調度品にどこからともなく聞こえる優雅な音楽。いたるところに舞踏会場さながらの豪華な装飾が施され、それ単体であれば上品な雰囲気だ。しかし今回の乗組員が繰り広げているのは舞踏会というより酒盛りで、明らかな場違い、あるいはキャスティングミスにコルチは目をくりくりさせた。
「おいおい、俺が見張りに出てる間どうしちまったってんだ? 半端なく強い敵に気でも狂ったのか?」
彼らは朝方、クシミアと共に生命の滝壺を襲撃した。そこに謎の戦士が現れて敗走。犠牲こそ出なかったものの、自分達の武器が通用しないのを見せ付けられて全員、ほんの少し前までお通夜のような雰囲気に包まれていたのだ。それが今、戦士達は戦勝祝いのような賑やかさにコルチを引き込んでいる。
「聞いてくれよコルチ! 国王からの電文で撤退命令が出たんだぜ!」
コルチの驚きの声が周囲の笑いを誘う。そもそも今回の作戦はクシミアの独断によるもので、国王の許可を受けていない。先代の王の頃から建造を続けていたハイトランズを勝手に持ち出し、常に霧がかかって誰も到達することのない海の向こうへと進出して手柄を立てるというのがボスの目論見だ。首尾よく進んだ作戦だったが、大きな障害と国王の命令によってあっけなく終わるというのだ。
戦士達は尚も酒を酌み交わす。嵐で学校が休みになった子どものようにはしゃぐ彼らによると、王の電文はこうだ。まずハイトランズを持ち出したことへの叱責。続いて現在位置から引き返し、調査内容の報告を課した。そして報告の内容によっては、今回の件を不問にすると。勝ち目のない敵が立ちはだかる彼らにとって願ってもない命令だ。
城の書庫の古い文献にある“水の国”。これまで誰も見つけられず、存在すら忘れ去られていたそれを見つけたとあれば、それだけで多大な功績として認められるだろう。状況が飲み込めたコルチの顔に笑顔が灯る。
「命拾いしたってわけだ! こいつはツイてるぜ……でもよ、流石に騒ぎすぎるとアンニィの姉貴にどやされるんじゃねぇのか?」
「心配ねぇ。姉貴は瞑想中だ」
「なら安心だ! おい! 俺にも一杯くれよ!」
青い液体が目一杯注がれた銅のカップを受け取り、コルチが一気に飲み干す。赤ら顔達がいいぞいいぞと囃し立て、室内には酒臭さが染み付きそうだ。そんなことはお構いなしに戦士達は飲み、笑い、こぼして潰れる。一時間ほどして見張りの戦士が戻ってきた頃には皆ぐったりと幸せそうに眠っていた。
ハイトランズの船長室は他の部屋と違い、木目調の質素な部屋だ。壁に張られた海図は出向した港近海のもので、遠く離れた水の国では飾りにしかならなかったが、初航海の船長に威厳を持たせる意味では大いに役立っていた。扉の側に飾られた溶岩を思わせる兜鎧に覇気はなく、木の机と椅子に身体を預ける男は一人物憂げな顔で机上の電文受信機を見つめる。
数時間前に受信機が打ち出した国王からの命令書。クシミアは黒く焼けた手で紙をくしゃくしゃにし、主を失った槍掛けに力なく放り投げる。それで気分が晴れる筈もなく、火種の焼きついたような目の色は憂いを帯びて、獅子のたてがみを思わせる髪もどこか暗さを纏う。
乾いた茶色いビンから流れる青い液体がカップを満たし、そこに移る沈んだ顔に目を留めたクシミアは大きく溜息をついた。
「火の国の英雄が、このザマか」
クシミアはこれまで多くの手柄を立ててきた。小さな街同士が大将を立てて領地を奪い合う火の大陸において、攻め入った街は両手ではきかない。数える代わりに血に汚れた指で敵大将の首を持つ彼を、城下町の人々は英雄と呼んだ。噂は手柄を重ねるごとに大陸全土へと広がり、いまだ反抗を続ける人々からは火槍の魔物と呼ばれているらしいことを彼が知ったのは今作戦の前日のことだ。カッコいいと言う仲間たちに苦笑いを返していた彼は、仲間たちが見ていた自分の姿を探すようにカップの水面を見つめる。
火の国の拡大は止まるところを知らず、北に残るいくつかの街さえ潰してしまえば、大陸そのものが火の国のものとなる。しかしここに来て国王は侵略に否定的な態度を示し始めた。中々出ない出陣命令に業を煮やした結果が今回の水の国への侵略だ。
コンコン――のっぺりとした赤茶色の扉からノックが響く。クシミアの声に応じて姿を見せたのは、朝の撤退時に彼と共に姿を消した女性だ。赤い肌に纏う装束の白は少しくすんでいながらもくたびれた様子はない。所々に開いたひし形の穴は左右対称で、戦いの痕というよりデザインの一部として初めから作られているのがわかる。少なくとも戦闘用の衣服ではないことは誰の目にも明らかだ。物々しい戦士達の中では違和感しかない装いで、陣形を組ませれば姫を守る戦闘民族にも見えよう。体つきも女性として恵まれているが、凛々しい顔と黒い瞳は間違いなく戦場を駆けた戦士のものだった。彼女はクシミアに近づくと、机の前で姿勢を正した。
「クシミア様。見張りが誰もいないのですが」
気の強そうな声に顔を向けず、彼は引き出しから古書を取り出し、
「あいつらのことだ。どうせ酔いつぶれて寝ているのだろう。明日の夜明け前には本土に向かう。アンニィも今くらいは休んで構わないぞ。」
「しかし」
迷った顔で食い下がるアンニィに顔を上げ、穏やかな笑みを浮かべた彼は本を開いて彼女に見せる。
「これは?」
「大昔に書かれた水の国についての本だ。こっそり持ち出しておいたのだが、見てみろ」
クシミアの太い指をアンニィの目が追う。指差された項目には“ヘイセンの誓い”という章題が付けられており、彼女の視線が段落へと流れる。
『水の民は旅人ヘイセンより平和のための誓いを学んだ。それは次の二つ。
一.平和のために、他の地域に対する侵略、威嚇、攻撃を行ってはならない
二.平和のために、いかなる戦う力も持ってはならない。ただし守るための力は戦う力に入らないものとする
これら二つの誓いを彼らは共有し、平和を築いていくことを誓った』
「今朝の反応からして奴らの間ではこの誓いは有効ということらしい。ずっと昔の文献の筈だが、まったく進歩がないな」
せせら笑うクシミアだが、その声は自嘲めいている。
「乗ってからずっと読んでいたのはその本だったのですね」
「まあな。おかげでどこに何が書いてあるか、すっかり覚えてしまったよ」
パラパラとページをめくり、“水の民の英雄・オリゾ”と章題が打たれた箇所を開いて机上に置くと、アンニィの息を呑む音が響いた。
「知っていたんですか」
「頭の中にはあった。だが作り話だと思っていたんだよ。他国からの侵略を防ぐ抑止力としての存在だとな」
彼が侵攻した小さなクニにも様々な伝説があり、彼自身頻繁に耳にしていた。武器や守り神、魔獣の話は頭の中の少年を喜ばせこそするものの、自らの手でそれがないことを証明し、歴史の闇に葬ってきた。
しかしオリゾは実在した。しかも運の悪いことに、奴の実力は戦士達が手におえるレベルではない。英雄と呼ばれるクシミアが伝説上の英雄と戦うとなれば、闘技場ならば満員御礼の好カードだっただろう。裏で賭博士達が動いて大きな金が動き、街は私服を肥やす上流階層と死を告げられる下流層で多いに賑わったかもしれない。それでも戦う本人からしてみれば、賭けるものは命だ。敗北は死に直結する。
「英雄同士の不毛な戦いを止めた。国王こそまさに英雄ってわけだ」
言葉遊びじみているが、その声は感情同士がせめぎ合う複雑さを含む。アンニィの心配そうな声が彼の名を呟くが、続いて船長室の空気が震えることはない。
やがて彼女の顔を見上げ、彼は目を見張った。俯く彼女の頬を伝う涙を見つけたためだ。クシミアが彼女の涙を見るのは、彼女が戦士になってから始めてのことである。彼は余裕を持って立ち上がりアンニィの後ろに回ると、そっと身体を抱きしめる。その様は歳の離れた兄妹のようで、彼女の身体が小さく跳ねた。
「何を泣くことがある」
「だって……クシミア様に何もしてさしあげられない」
途中で上ずった声を皮切りにぼろぼろと涙がこぼれ、床に染みを作る。そんな自分が悔しいと嗚咽交じりに言う彼女の頭を、彼の厚い手が撫でる。戦士の手だが手付きは包み込むように繊細だ。
「ほら、こんなところ見られたら皆に示しがつかないだろう」
穏やかな声で、クシミアは机の端にあるボタンを押す。すぐさま二人の背後からカチャリという音がアンニィの声に紛れ、椅子の後ろに大きな横穴が開いた。隠し扉だ。彼は机上の電文機と分権を片手に取ると、撫でていた手を頭からしなやかな手に滑らせた。
「少し落ち着いたほうがいいな。こっちだ」
隠し扉の先は小さな部屋になっている。目に付くのは一目で上質とわかる大きなベッドと二つの本棚。まばらに入れられた文献はどれも海のことについて書かれていることが題名から推察できる。片側の壁は無色水晶で作られており、一部が扉になっている。その先には最新鋭の湯溜め式洗浄室が備えられ、船長はいつでも清潔を保ち続けることができる。天井の真ん中にも無色水晶が張られ、その奥の穴から照明機械のぼんやりとした光が部屋を照らしている。国中の技術が結集されたハイトランズだが、この部屋は特に力を入れられているらしい。
二人が入ると隠し扉がひとりでに閉まる。本棚の空いている箇所に電文機と文献を置くと、クシミアはベッドに倒れこみながら彼女を引き寄せた。彼女の涙は驚きのあまり引っ込んでいる。
「ようこそ船長の寝室へ。落ち着いたようで何よりだ」
アンニィはこの七年間、戦士として過ごしてきた。村を襲った火の国の軍勢。その指揮をしていたクシミアにさらわれてからずっと、彼の下で修行を積み戦ってきた。戦いにかけてはクシミアの左を譲らない程の実力者だが、他の分野においては草原で花を摘む少女に等しい。故に今彼女が感じている胸の高鳴りや顔の火照りといったものは、“敬意とは明らかに異なる何か”としか認識のしようがなかった。
「クシミア様。これは一体」
「船員の寝室とは大違いだろう」
微笑みながらクシミアが彼女の顔を見つめると、アンニィは彼に背を向けた。
「クシミア様は私を救ってくださいました。なのに私は、悩んでいるクシミア様のお役に立てない……」
「何言っているんだ。アンニィにはいつも助けられてばかりじゃないか。今朝だって君が引き際を教えてくれなかったら、鎧まで失っていたかもしれん」
「でもクシミア様は、本当はあの戦士と戦いたいのでしょう?」
その言葉に彼の声が詰まる。しかしすぐさま諦めたように息をつき、
「お見通しか。さすが共に戦場を駆けてきただけのことはある。そうだな。戦いたくないと言えば嘘になるだろう。だが戦わなくていいと安心している私もいる。こんな気分は初陣以来だ。今まで忘れていたが、きっとこの感覚を恐れと呼ぶのだな」
アンニィは寝返りを打ち、寂しげな彼の顔を見つめる。
「だが、王の命令は絶対だ。帰って来いと言うのなら帰るしかない」
「それでクシミア様はよいのですか? たったヒトリの言葉に操られ続ける運命なんて」
「そうしなければ生きていけない世界を選んだのは私だ。それに、ここにはアンニィもいる」
身体を丸め、俯きつつも視線を外さない彼女の肌はもとより赤いが、その頬は更に赤く見える。
「世が世なら、あるいは私が連れ回さなかったら君は、その愛らしい顔で国中の男を食い物にできただろうに……私としては、こうして独り占めできて嬉しいがな」
からかう彼の胸をぽかぽかと叩くアンニィ。二人のスキンシップを止めるものはここにはない。やがてクシミアの身体にしがみ付くと、彼は背中をなだめるようにさすった。
夜はすっかり更けきっていた。船長室には外を見るための窓がなく、水の国の夜を満喫することはかなわない。それでも二人の表情は柔らかく、決して戦場や仲間の前で見せるものではなかった。
「ふと思ったのだが、あの姿。アイツに似ていないか?」
急な語り口に戸惑うアンニィは、それが今朝戦った戦士の話題だと理解するのに少し時間をかけた。
「アイツって、あのよそ者?」
彼が頷く。ハイトランズが出港する少し前、街で騒ぎを起こした男がいた。火の国での喧嘩など日常茶飯事だが、違うのは男が一人で百人もの飲んだくれを相手にしたという点だ。酔っ払っているといえど力には覚えのある男達をひょうひょうとあしらう様子はあっという間に噂で広がり、国王の知るところとなった。それからは客人兼近衛兵として城に寝床を用意されており、クシミアもアンニィも城内で何度か目にしていた。
「出自不明など数多の戦乱を重ねてきた火の大陸では珍しくない。だがアイツはまるで別の世界から来たかのような得体の知れない雰囲気があった。その気味の悪さがあの戦士にもあったんだ」
真剣な顔のクシミアに、彼女はかけるべき言葉を持たない。
「どこから来たにせよ気に食わないのは、右も左もわからぬ新参者が、自分や盟友が苦心し腕を競い他者を打ち破りながら勝ち残ってきた舞台に軽々と上がってきたことだ」
声に憎悪が混じる。強張った彼の顔は、しかし彼女の寂しげな表情に気づくと力を緩めた。
「すまない。君に言っても仕方のないことなのにな」
「そんなことはありません」
その声に、彼女の顔を捉えるクシミアの目がわずかに揺れた。
「私は精々クシミア様の横で戦うくらいで、悩みを取り除くことは出来ないかもしれません。それでも、聞くくらいなら出来ます。それでクシミア様の苦しみが少しでも和らぐのなら、なんだって聞きます。だから……ヒトリで悩まないでください。私をヒトリにしないでください」
消え入るような最後の言葉にクシミアが頭を撫でると、ほのかな笑みを返した。
「アンニィ、君は強いな」
「ええ。だってクシミア様に鍛えていただきましたから」
二人の会話は尚も続く。駆け巡った戦場の話。愉快な仲間達の話。火の国のこれからの話。いくつもの言葉は話題の境界を気にすることなく気ままな旅を続ける。
「正直、近頃の王は侵略に乗り気でない。先代の王ならこの作戦だって二つ返事で許可してくれた筈だ。今の王だって数年前まではそうだった。だが彼は徐々に侵略の手を緩めた……王の心境の変化がいかにして起こったかは謎だが、私は侵略と戦乱の中で手柄を立てるしか生き方を知らない。生きるために渦中に飛び込むしかないのだ」
「ではクシミア様は、何のために生きるのですか?」
言葉がようやく立ち止まる。しばらく思案顔を続けるが、
「果たして、何のために生きてきたのだろうな。考えてもみなかった。アンニィは考えたことはあるか?」
「私は――」
ガタガタと、本棚の電文機が震えて二人の首が反応する。立ち上がったクシミアは細い線の排紙口からじりじりと這い出るメッセージの差出人を探す。程なく音が止まったところで、彼は紙の最後にナンシー・フィクツの名を発見した。
「王からですか?」身体を起こしたアンニィは戦士の顔に戻っている。
「いや、宰相からだ」
ナンシーは先代国王の一人娘であり、現国王の政治を助ける宰相の立場にある。クシミアよりも少し年上で余裕を持った性格だが、政治に関しては父や歴代の王と同じく、侵略による大陸の早期統一を目指している。戦士達の信頼は厚く、クシミアやアンニィもよく便宜を図ってもらっていた。
“クシミア将軍
事情は国王より伺いました。ハイトランズに乗っているとはいえ、海の長旅はお疲れでしょう。海底を進む将軍には分からないかもしれませんが、出港から既に十日も経っております。お身体に気をつけてお戻りください。
さて、出港前の将軍の様子から、皆様が水の国を目指していたのではないかと推測しています。いえ、もしかするともう着いているのかもしれませんね。ともかく、未開の海域や土地では何が起こるかわかりません。
将軍は父によく尽くしてくれましたし、私としても貴方の力になりたいと考えています。そこで、私から貴方に贈り物があります。本棚の一番下にある黒い表紙の古書を手に取ってください。貴方の新たな力になれば幸いです。
火の国宰相 ナンシー・フィクツ“
手紙に目を通したクシミアが足元に目をやると、『火の国の歴史』と書かれた黒い本が二十冊ほど並び、最下の棚を占有していた。その一冊を取り軽くめくるが、特に変わった記述は見られない。
「この本がどうかしたのですか?」
側に歩み寄るアンニィが覗き込んだところで、再び本棚からガタガタと音が響く。反応する二対の瞳が、震えているのは電文機ではなく本棚そのものであることを捉えて見開かれる。直後本棚は直上の天井へ吸い込まれるように消え、その下に同じ高さと幅の質素な箱を出現させた。
二人が言葉を失っている間にも、箱は横向きに取り付けられた蓋を重力に任せて倒し、中の物を露わにする。それは一目見てわかる堅さと鋭さを持ち、透き通るような青を基調に白銀の装飾が施された槍だった。槍と言ってもクシミアが使っていた鋭い三角錐状のものではなく短剣の柄を長く付けたもので、小さな刀身に二人の姿がくっきり写る。
槍から放たれる冷気に気づいたクシミアは柄を掴み、持ち心地や重さを確かめるように何度か握る。刃先を軽く天井に当てると、その木目はたちまち薄氷に覆われた。
「メキュハクヒ」
クシミアの呟きにアンニィが問う。
「これもまた伝説の一つだよ。かつて神話の時代に氷神が扱ったとされるメキュハクヒの槍。氷神の亡き後、末裔たちが神の力を槍に納めたんだ。それからは代々、街の宝として扱われていた。私が赴くまではな……この槍もまた侵略によって葬られる筈だった。事実私が最初掴んだときは何も起こらなかったのだ。それが何故今になって」
言う彼にハッとした表情が浮かぶ。槍を立てかけ動いていない方の本棚からハイトランズの仕様書を取り出して手早くページをめくり、終盤で手を止めた。
それからビクともしないクシミアに、アンニィが開かれたページを覗き込む。そこにはハイトランズの後部に格納されている小型艇ユーカクの要目が記されていた。彼女はクシミアの瞳に光るものを見つけ、目に覚悟を据える。
「ハハ、本当に悪戯好きな宰相だ……アンニィ」
彼の声が震えている。彼の言わんとすることは既に彼女に伝わっていた。クシミアは、もう一度あの戦士に挑むつもりだ。
「クシミア様。私も一緒に」
「いいや、ダメだ。私ヒトリで行く」
突き放す言葉に動揺が彼女の顔を占拠する。充血した目を涙の膜が覆い、半開きの口から吐き出される息が徐々に荒く不規則になる。やがて息と共に言葉が溢れ、
「何故です……今まで共に戦場を駆けてきたではありませんか! それこそ一心同体でやってきたのに何を今更」
「一心同体だからだ。君が生きている限り私も死なない。まさか私が負けるとでも思っているのか?」
クシミアに遮られた彼女の顔は、涙でくしゃくしゃになっている。両手で顔を覆ったそこには戦士ではなく少女の姿があった。
「今日はよく泣くな。まるで今まで泣かなかったツケが回ってきているみたいじゃないか」
涙を拭う彼女の頭からペンダントが通される。虫の目よりも小さな白銀の輪を連ねた先で、無色水晶の球体が上下に二つ繋がっている。球体の中には赤い砂が球の半分ずつ入っており、ぶら下げれば上の球から下の球へと砂が零れ落ちていく。
「これは……」
「もう記憶の彼方で名前すら思い出せないが、私の故郷の砂が入った首飾りだ。これを私だと思って待っていてくれ。故郷の国は幼い頃に潰されてもうないが、私もお前を故郷だと思って戦う。私は絶対に戻ってくる」
見つめあう二人の、お互いの名を囁いた口がそっと触れ合う。アンニィは自らの衣服に手をかけたが、彼の手がそれを制して首を振った。