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-ORIZO- 異世界の英雄  作者: 小浦すてぃ
15/18

ー受け継ぐ戦士の戦いー

「ホノカもお人よしだよね。何度も騙された相手に手を貸すなんて」

 灯台へ続く渡り廊下を駆けながら、ミナリは無言の背中に投げかける。ホノカが火の国に着いてからというもの、バスタは色仕掛けで切符を盗み、老人のフリをしてどさくさに紛れてメキュハクヒの槍を盗み、王の襲撃においても二人を欺いた。ここまで利用されてなお彼女が持ち出した話に乗るというのは“人がいい”の度を越している。

 昨夜バスタが明かした彼女の目的は、故郷を奪われたことへの復讐だった。数年前、火の国が砂のクニを攻めた際に指揮を取っていたのがクシミアであり、その俊敏さで猛威を振るい砂のクニの民を容赦なく屠ったのがアンニィであった。そんな二人への復讐のために城に潜り込み、権力を持つ宰相やアンニィ本人に自分を信用してもらうため王の襲撃に手を貸したと、昨夜のバスタは小さな細い筒を握り締めて二人に語った。ミナリはホノカを利用したことが許せず憤って膨れていたが、ホノカは落ち着いて続きを促した。そこで彼女が提案したのが、処刑直前に襲撃犯の正体を明かす作戦であった。

 昨夜正体がわからぬよう拘束されたダスターゴが城内へ運ばれた際、バスタはダスターゴの姿でアンニィやホノカ、そして兵士達の前に姿を現している。これは兵士達に“捕らえた襲撃犯はダスターゴではない”と思わせるためだ。それを逆手に取り、処刑台の受刑者の正体を明かし“犯人がすりかえられた”と場内の全員に吹き込む。そうすれば目撃者が複数いる以上ダスターゴが襲撃者だとは誰も言えず、集まった民は真犯人を探すことになる。そこでバスタが、未だ帰ってこないクシミアの格好で名乗りを上げれば、アンニィは一番に向かうだろう。そこからは自分でなんとかするというのが彼女の策だった。

 ホノカは復讐には難色を示したものの、ダスターゴの救出には賛成だった。彼は罪をでっち上げて殺すというのが気に食わないと言って、彼女の話に乗ったのだ。そして策自体はうまくいっている。ナンシーが一枚上手ではあったが。

 灯台の内部は手を伸ばした先にまったくの闇が広がり、ミナリは手に炎を点して視界を開いた。壁や床のあちこちに亀裂が入っており、崩れて落ちてきたであろう瓦礫が散乱している。、二人は脇の上り階段を見つけると、頷きあって駆け出した。

「そういえば、今朝ジェイビーに何か渡してたよね。何渡したの?」

 バスタが危ないかもしれないという時に話すにはあまりにも場違いな話題にホノカはマフラーを揺らしたまま、

「手紙だよ。俺に万が一何かあった時、水の国の仲間達に伝えなきゃいけない

こともあるし」

「万が一って……まるで遺言じゃん。縁起悪いなあ」

 そしてそれっきり、手紙についてミナリは詮索しなかった。十数段上っては方向を変える階段の終わりはまだまだ見えず、二人の足音が響きわたる。

「お人よし……そうかもしれないな。こっちに来てこんな力を手に入れて、ほとんど皆に言われるがままだったもんな……ずっとお人よしだ」

 途中ホノカが開き直ったように呟くと、ミナリはうんと頷いて笑った。

「そうだよ。お人よしじゃなかったら、雨の中で踊ってた僕に声なんてかけないもん」

 駆け上がるホノカは急に立ち止まり、数段上でミナリも転びそうになりながら立ち止まって振り返るとちょうど二人の目が合った。

「ミナリ、お前」

「いいんだよ。もっと自信を持って。英雄だろうと何だろうと、僕は君の傍にいる。自分自身が分からないんだったら僕に聞いてよ。僕はずっとホノカのこと見続けてるから」

 よどみないミナリの言葉と笑みを、ホノカは愕然とした顔で受け止めている。まるで何故自分に対してそんなことが言えるのか理解できないと言うように。

「言ったでしょ? 僕はホノカと添い遂げる運命にある。そして、僕はホノカを愛している。これは運命は関係ないよ。僕の意思だ。そしてホノカは、困ってるであろう相手を放っておけないっていう、自覚していない意思を燃やし続けてきた」

 ホノカは流されるがまま、言われるがままに動いていると思っていたようだが、ミナリはそれを否定した。根底にあるホノカ自身の意思が先にあり、誰に言われなくても“お人よし”として動いているんだと暗に告げている。

 ミナリは数段降り、燃える両手でホノカの手を取ると、ぎゅっと握り締める。しかしホノカの手が火傷を負っていないのは、ホノカに触れる部分だけ火が静まっているためだ。ミナリの手の甲に踊る炎も急速にその勢いを弱め、今にも消えそうでありながら見ていて落ち着く色を浮かべている

「ね。あったかいでしょ? どんな世界にいたって、ホノカが世界を見なくたって、きっと誰かがホノカのことを見守っている。僕も、このマフラーをくれた人だってきっとそうだよ」

 ミナリの瞳には仄かに光る炎が揺らめく。その真っ直ぐな眼差しに、ホノカは天井を仰いで大きく息を吸い込んだ。

「だからホノカは安心して、自分の意思でやりたいようにやればいい。運命が決まっていたとしても、気持ちはホノカだけのものだよ」

 ミナリは手を離し、それまでよりも少し早足で階段を上り始める。ホノカもしばし立ち尽くした後、ミナリの灯に続いた。

「敵わないな」


 二人が階段を上り終えた先には、殺風景で薄暗い灰色の灯室が広がっていた。高い天井は縁に一定の間隔で並ぶ柱に支えられ、中央には乗ってもビクともしそうにない石造りの燭台が埃を被っている。外に広がるくすんだ海と包み込む灰色の空。振り返れば地獄絵図の広がる処刑場が見下ろせる。しかし今でなければ絶景だった眺めなど、二人は気に留める様子もない。背中が大きく開いた高貴な赤黒の処刑用のドレスを纏いメキュハクヒの槍を携えるアンニィ。その先で子供の腕程はある氷の杭が肩に突き刺さったバスタ。凄惨な光景は二人の目を奪うには十分すぎる。

「バスタ!」

 ホノカの声にバスタはゆっくりと顔を上げ、痛みをごまかすように力なく笑う。アンニィは険しい表情でホノカに向き直ると、床に槍を突き立てて鼻を鳴らした。その顔は冷たいものだったが、どこか待ちわびていたようにも窺える。

「窮地に颯爽と現れて、すっかり英雄気取りか」

「そんなつもりは」

「そうだ。貴様は英雄じゃない」

 アンニィが構えるメキュハクヒの槍から、黒い煙が沸き始める。それは蔦のように彼女の腕を伝い背中の中央一点まで伸びるが、彼女は一切気に留めていない。

「聞いたぞ。お前がクシミア様を殺したらしいな。どんな手を使った? 奇襲か? 騙し討ちか? それとも毒でも盛ったか?」

 彼女の物言いにミナリは全身に炎を纏わせて前に出る。凄まじい熱気が周囲に広がり、漂う空気が熱を帯びる。ホノカに止められるも手でそれを制し、キッとアンニィを睨みつけた。

「何も見てないくせに好き勝手……ホノカは正々堂々と」

「正々堂々? 何の努力もせずに得た力を使って正々堂々とは笑わせる」

 焚きつけられて駆け出そうとしたライズを殴るような水流が襲う。たちまち炎が消え元の姿に戻ったミナリは、自らを庇うように前に出たホノカを見上げた。

「彼女の狙いは俺だ。ミナリはバスタを助けてやってくれ」

 その言葉にミナリは立ち上がると、納得の行かない顔でホノカの背中を軽く叩きライズになって外へ飛び出した。ホノカも足元から水の鎧を纏い、オリゾになって構える。

「よそ者が。その力がなければ何も出来ないくせに……クシミア様の仇、取らせてもらう!」

 次の瞬間、槍から背中へ繋がるケーブルのような黒い煙が蠢いたかと思うと、アンニィの槍はオリゾの眉間の先まで迫った。瞬間移動と言ってもいいその俊敏さは彼女が本来持つ力を超えている。

 ホノカは咄嗟に体を後ろへ倒すも、眉間から額の水流が抉られる。鎧はすぐに抉られた部分を修復するが、倒れる体をアンニィが蹴り飛ばす方が早かった。弾き飛ばされるホノカ。普段なら迫り来る打撃よりも鋭い水流で弾き返せるはずだが、この時ばかりは事情が違った。アンニィが蹴りを入れた右腰の一部分、太ももの付け根付近の激しい水流がその形のまま凍っていたのだ。

「どうした? 貴様の力はそんなものではないはずだ。私を殺してみろ。クシミア様と同じように!」

 彼女の声は怒りに満ちているが、どこか焦りが混じっているせいか少し早口だ。槍を構えたままじりじりとオリゾが姿勢を立て直すのを待っている。

 ようやくオリゾが立ち上がり、凍っていた水流をみるみる解かす。そして彼の体から白い煙が立ち上り、ライズのものとは異なる熱気が広がると、気合を入れなおすかのように頬を叩いた。

「そうでなくては!」

 次々と突き出される槍を高温度の水流でかろうじて受け流すオリゾ。防戦一方の彼にアンニィは攻撃の手を緩めない。立ち回るうちにオリゾはいつしか燭台を大きく回り、ミナリがバスタに刺さった杭を抜こうとしている場所まで追い込まれた。アンニィが振るう槍がホノカの首一点に伸びる寸前、オリゾとアンニィの間に赤い壁が燃え上がった。

「ミナリ!」

 槍は一度動作が遅れ、ホノカはその間に槍の軌道から外れる。壁はオリゾ達を囲むように燃え盛り、とても突き抜けられそうにない。

「ホノカ。あの槍何かおかしいし、アンニィも正気じゃない。本気でやらないとやられちゃうよ」

「わかってるけどっ、速過ぎて」

 答えながらオリゾは大きな波を作りあげ、炎の壁ごとアンニィを襲う。しかし相手は燭台まで後退するとそれを踏み台に飛び上がった。その高さはちょうど波を越え、彼女はオリゾ目掛けて槍を振り下ろす。オリゾは紙一重かわしてみせるが、槍が砕いた一点から瞬く間に床が凍りオリゾの足を捕らえる。鎧の表面を流れる熱湯により解けるまではすぐだが、彼女にとって一撃を叩き込むのには十分な時間だ。その拳は鎧によって威力を和らげられているが、それでも彼が突き飛ばされるほどには強い。

 槍から沸く黒い煙は太さを増し、アンニィの背中にうっすらと煤けた色の模様が浮かびはじめる。背中に繋がる煙の一点を中心とした左右対称の角。じわじわと侵食するように広がりつつあるが戦いの最中でそれに気づく者はいない。彼女は槍を構える手を強く締めなおし、オリゾへ据わらせた目は無駄な感情や敵意が抜け出し純粋な殺意が席を占め始めている。

 オリゾは水の流れを生み出し、倒れた姿勢を整えながら燭台の上に陣取った。台から溢れんばかりの水を流しつつ水流弾をアンニィの足元へ連射するが、水流弾は宙を切るだけだ。続いて大波を放つも彼女はそれを凍らせて再度飛び上がる。彼が再び放った水流弾は彼女の体を打つ前に氷に変わって槍で弾かれ、やがて彼の頭上に槍先が伸びる。

 とてつもない力は燭台から溢れ、そこから伝わる水全てを凍らせた。アンニィは凍った床で滑って転び、どのようにして避けたのか無傷のオリゾを悔しそうに見上げる。

「アンニィさん。これで貴方の速さは殺した」

 床が全て凍ってしまえばアンニィも下手に動けない。メキュハクヒの槍には凍らせる力はあるが氷を溶かす力はない。一方オリゾは波に乗れば自由に動ける。形勢はようやくオリゾに傾いたと言えよう。

「姑息な真似を」

 アンニィは槍を支えに立ち上がる。見つめあう二人。それは隙を伺いあう戦士同士の会話。決着の激突を導く枕詞。間に広がる風のリズム。そんなお膳立てされた決戦を、水の国の英雄は良しとはしない。

「俺は不意打ちをした」

 はっきりと発せられたオリゾの言葉。アンニィは動じることなく相手を睨み続ける。その目は殺意で満たされており、彼女の背中にははっきりと三つ角の模様が浮かんでいる。彼女がメキュハクヒの槍を持ち上げて振るうとたちまち吹雪が部屋に舞い、床はすぐさま雪が積もった。

 ライズはその炎で自分の身とバスタの体を温めながら二人に目を向けている。彼はいつでも火の矢を放てるよう構えているが、ホノカはそれを許しはしないだろう。

「死んだと思わせて、クシミアが別の戦闘に集中しているときに上から二段構えの不意打ち。とにかく必死だった。そうでもしないと俺もリベアも、水の民も死んでしまうって」

 オリゾの言葉を無視して迫るアンニィ。いつしか黒くくすんだ槍の刃先は一歩下がったオリゾの腹をかすめて凍らせる。彼女は勢いそのままに腹目がけて膝蹴りをかます。その間にも横へ振り切った右腕を後ろで回し左手に槍を持ち替えて斜めに振り上げる。

よろめきながら後退するオリゾがそのまま距離をとると、アンニィが刃先から飛ばした雹を水流弾で相殺する。

「クシミアは――あの人は、ただ純粋に戦いたかっただけだった。正々堂々、一対一の決闘。だから俺が万全の態勢で挑めるように腹ごしらえまでさせてくれた。でも俺は……」

 オリゾの動きがふわりと止まる。迫るアンニィの拳を受け仰向けに倒れると、彼女がすかさずマウントを取る。短く構えた槍をオリゾの額に向けて振りかぶる彼女の胸元で、無色水晶の球体が上下に二つ繋がるペンダントの飾りが揺れた。

「あの人は最後に……貴方の名前を呼んでいた」

 オリゾの言葉にアンニィは凍りついたように固まる。炎の壁越しに怪訝そうに見守るバスタとミナリは目でお互いの顔を窺った。

 オリゾの胸元を流れる水流に、雫がポツリと加わる。それを合図にオリゾが水の鎧を解くとアンニィは叫びを上げながら槍を投げ捨て、立ち上がりざまにホノカの胸倉を掴んで投げ飛ばした。ホノカの身体は運よく柱にぶつかり、ぱらぱらと破片が零れる。ミナリが駆けつけようとするが、ホノカは立ち上がってそれを制した。

「貴様なんかに、クシミア様の何が分かる!」

 怒りのこもった言葉と共に、アンニィの鋭い拳が幾度もホノカの腹へと打ち付けられる。その度に彼は噛み殺しきれない声を漏らすが、力を使う様子はない。

「何故だ。何故厳しい訓練を積み幾多の戦場を駆けた将軍が貴様なんかに!」

 彼女の瞳には涙が溢れ、さながら憎しみを力に変えた拳の動きは止まらない。見るに耐えなくなったか駆け出すミナリの肩を、水流弾が打つ。

「かえせ! かえせよ!」

 猛る彼女の拳は徐々にその速度を落とし、フォームも乱れ始め、いまや駄々をこねる少女のように弱々しい。

「かえして……」

 アンニィが泣き崩れたのを確認したバスタは、さっとメキュハクヒの槍を取りに駆けた。しかし彼女の手が柄を掴んだと同時に、もう一人柄を掴んだ者がいた。普早ミナリだ。

「放せ! 今がチャンスなんだ!」

「ダメだよ。この槍は細工されてる。多分王様とコルチが話してた常闇の力だ。これを振るっていたアンニィはどう見ても正気を失ってた。見たでしょ? 君だってどうなるか」

「あたしのことなんて知ったこっちゃない! 皆の仇さえ取れれば!」

 二人が槍を取り合う中、アンニィは涙を拭って立ち上がりホノカに立つよう促すと打撃を打ち出す構えを取った。彼女の背中に微かに浮かんでいた三つ角の模様が黒い煙を吐き出し始め、異変に気づいた三人は目を見張る。

「アンニィ落ち着いて! 貴方は利用されているんだ!」

 ミナリの声に、だからどうしたと言うようにアンニィは姿勢を崩さない。彼女はよろめくホノカのただ一点腹を目掛けて拳を突き出す。

「私は戦士だ。クシミア様の分まで、最後まで戦う」

 躊躇のない二発目が炸裂する。ホノカが膝を付くと共に彼女は数歩下がり、彼から目を放さない。

「だからお前も、全身全霊で相手をして見せろ」

 この時、アンニィの身体は既に常闇の力に浸食されていた。もともと民の限界を超えて鍛え上げられた身体能力は今彼女の意識や命を糧にさらに跳ね上がっている。それでも瞳の炎が燃え尽きかけながら激しく輝いているのは、残る彼女の意思が常闇の力を制御しているからだろうか。

 ホノカは苦悶の表情の端に小さな笑みを浮かべ、身体の重みに任せて倒れた。彼の体から温泉を掘り当てたかの勢いで熱湯が湧き出し、周囲の氷を溶かしていく。その勢いは凄まじく、壁など無いに等しいこの灯室で、わずか数秒にして膝ほどの高さまで熱湯が溢れた。アンニィは半壊した燭台の上へ逃げ、ホノカはバスタを守りながら何とか踏みとどまる。

「そうだ。それでいいんだ」

 水面のいたるところから、アンニィ目掛けて水流弾が襲い掛かる。しかし彼女は燭台を完全に砕き真下に逃げ道を作った。続いて巨大な波が彼女の体を飲み込もうとするが彼女は水中へ潜る。外へ出ようとする水の流れを利用して端まで進むと、水面から飛び出し柱を駆け上って波をやり過ごした。さらに柱を足がかりに天井すれすれを舞う彼女の真下では、水面からオリゾの上体が現れ指を彼女に向けている。しかし、放たれた水の弾丸を、彼女は天井を蹴って避けて見せた。

「避けた!?」

「そんな……だからさっきあたしにやらせてくれればっ……」

 激しい力のぶつかり合いにミナリとバスタは息を呑むばかりだが、当のオリゾはアンニィが着地するであろう地点に姿を現す。甲冑からわずかに覗く目が笑みを浮かべたようにみえた。

「負けだ」

 アンニィはとび蹴りの姿勢でオリゾを貫いた。水は形を失いみるみる外へ流れ出ていく。へとへとになって腰を落としたホノカはアンニィの数歩後ろで指を構え、背中へと狙いを定めていた。彼はオリゾの水像を囮に彼女の後ろを取ったのだ。

「さぁ、早く止めを刺せ」

 アンニィは振り返ると、全てを受けとめるように手を広げた。しかしホノカの指は水流を発さず、小刻みに震えている。それは激しい戦闘による消耗のためか。あるいはこれからトドメを刺すということへの恐れか。結局彼の指は水を発しないまま力なく下ろされた。

「甘いな。この――」

 寂しげな笑みが見えたのも束の間、彼女は気を失ってその場に崩れた。ホノカが満身創痍で動けずミナリもたじろぐ中、槍から手を放したバスタが好機とばかりに駆け寄りつつ、太ももに忍ばせたナイフを取り出した。アンニィの背中の模様が鈍く黒い光を発していることなど、彼女は気にも留めない。

「待って! 危ない!」

 ミナリの声と同時にアンニィの目が開かれる。炭で塗りつぶした黒で満たされた中心にポツンと白い瞳孔があり、しっかりとバスタを捉えている。そして瞬きする間に、アンニィは倒れたバスタの前に立っていた。

 気を失った彼女の身体は今、常闇の力に支配されている。彼女はミナリが放つ火の矢を最小限の動きでかわし、ゆっくりとミナリに歩み寄る。止めようと後ろから近づくホノカに回し蹴りをかまし、背後で倒れたまま動かなくなった彼に目もくれず、何事もなかったように歩を進める。

 ミナリはメキュハクヒの槍を持つ拳を強く握り、アンニィに対峙する。握り拳の内側から燃え上がる炎は程なくして全身に燃え広がり、さらに彼の纏う炎が青く変わった。

 激しい音と共にライズが一歩下がり、アンニィが右腕の炎を振り払って構える。今の一瞬、彼女は相変わらず目に捉えきれない速さでライズの腹部を殴ったようだ。しかしライズ自身が燃えているため、彼女がいくら速くとも手を出せば火傷は免れない。

 槍に炎を纏わせ、沸き始める黒い煙を散らしたライズは背後の空へ飛び出した。宙を舞い片腕で槍を彼女に向け、突進しながら彼は雹を溶かした水流弾と火の矢を同時に放つ。飛び道具で牽制しながらアンニィの体にぶつかるつもりだったのかもしれないが、彼女の姿は彼が灯室へ戻る前に眼前に迫った。浮いているミナリはともかく、アンニィに足を付く場所は――

 一つだけあった。彼女はライズを踏み台にして跳ねるように広間へと戻り、強く胸を蹴られ少し降下するライズに向かって燭台の破片を投げつける。

「これじゃ埒が明かないな」

 破片を避けながらライズはひとりごちる。宙にいる限り彼女の攻撃は届かないが、彼の飛び道具は避けられてしまう。意識を失って暴走している彼女からホノカを守るためには、痛手を負うことを覚悟で接近戦を挑まなければならない。

 ライズが広間へ戻ると、アンニィはバスタの首を掴んで持ち上げていた。不意を突こうとして返り討ちにあったのだろう。軽々とバスタの体を床へ叩きつける彼女を前に、ライズは槍を床へと突き立てる。

「アンニィ。貴方は最初から死ぬつもりだったんだね」

 言葉に反応した彼女が迫る。ライズは避けようとせず、打ち出される連打を次々と燃やす。 

「ホノカを煽ったのも、追撃できる間があったのにやらなかったのも、戦士として、本気の戦いの中で死にたかった。だからそこまで命を削る常闇の力だろうと構わず受け入れた。でも、それだけじゃないよね」

 拳が赤く腫れた彼女が跳び下がると、するりと後方へ滑った。槍の力により、再び床が凍っていたのだ。

「クシミアの後を追おうとしているんだよね」

 アンニィが顔を上げたのと同時に、意識を取り戻したホノカが身を起こす。そして足音が響いたかと思うと、階段から息を切らしたジェイビーが姿を現した。

「あ、アンニィ様……みんな……」

 ジェイビーの目の前に広がる惨状は彼にとって、一呼吸置いてからでなければあまりにも刺激が強すぎた。崩れた燭台や凍った床といった戦いの傷跡。共に旅したホノカが倒れ、アンニィが膝を付き、ライズも少しよろめいて身に纏う炎が消える。

 アンニィはジェイビーに目を向けると一瞬目の色が変わったが、すぐさま黒い目でミナリを睨み付ける。そして氷を砕き床に足をめり込ませながら進み、ミナリの首を持ち上げて拳を振り上げる。

「もう、いいだろ」

 殴りつけんと掲げられた彼女の腕を、ホノカが片腕でガシリと掴み,もう片方の手ではバスタが持っていたナイフで喉元を狙っている。ミナリも彼女の動きが止まったのを見て、反対側の彼女の腕を掴み足を踏みつけた。

 ジェイビーに向けられた彼女の背中では、三つ角の模様が鈍く怪しく光を発している。それが常闇の呪縛に囚われた民の証であり、模様が完成すると完全に意思を奪われるということを、ジェイビーは王から聞かされていた。そして同時にそこが弱点であることも。

「ミナリ、何とか気絶させられないか」

「僕ももう限界。こうやって抑えておくのがやっとだよ。うわっ!?」

 アンニィは話す二人を振り払った。直後に銃声が響く。アンニィの背中に現れていた模様に穴が空いて血に汚れ、彼女の身体はホノカやミナリに支えられて膝を付く。血はどくどくと溢れて止まらない。覗き込み声を掛けるホノカの頬に伸びた彼女の震える手が、パチンと叩いた。

「軟弱ものめ」

 弱りながらも清々しい笑みを見せ、彼女は腰を落として階段の方に顔を向けた。銃口から硝煙を吐く金色の四連装リボルバーを縋るように握りしめるジェイビーが、真っ赤に目を晴らしてへたり込んでいる。

「ジェイビー、昨日今日と、二度も止めてくれたな」

 常闇の力の呪縛から解放されたアンニィの瞳は燃える命の赤が灯っている。血を吐きながら上体を倒す彼女は苦しむ様子を表に出そうとせず、顔をくしゃくしゃにしてしゃくりあげながら嗚咽を漏らすジェイビーに近くへ来るよう促した。

「そんな顔をするな。戦士が敵を撃つのは当然のことだ。……おめでとう。君は今戦士になったんだ」

 何度腕で拭ってもジェイビーの涙はこぼれ続ける。彼は彼女の側に屈んでその手を取ると、大粒の涙をアンニィに落として彼女の目をまっすぐ見る。

「やっぱり、昨日の襲撃は,アンニィ様……だったんですね……でも、僕は偶然いただけで」

 彼女は少年の手を顔に寄せ、手の甲に軽く口づけた。

「偶然でも、私が手を止めたのは事実だ。それに不意打ちでも君の覚悟は本物だ。さあ、もう一度その覚悟を、私に見せてみろ」

 ドレスの前留めを外してはだけさせ、少し膨らんだお腹を露わにするアンニィに、ジェイビーは戸惑いながらも立ち上がって銃口を向ける。

「そうだ。戦場で負けて殺されない兵士ほど惨めなものはない。情けをかけようと思うのなら、戦士としてトドメをさせ。それでこそ、この国の……」

 二人の会話を見かねたミナリが立ち上がりながらジェイビーの銃へ手を伸ばすが、ホノカがミナリの腕を掴んで止めた。ミナリが振り返って、灯室に二度目の銃声が響く。

「ありがとう。ジェイビー……はは、やっぱり、嘘だったんだ。お腹の子が、母親の死を引き取るなんて、そんなこと――あぁ、クシミア様。迎えに来てくれたのですね……貴方の子です。いっしょに」

 腹部に空いた穴に手を当てて、アンニィは息を引き取った。ジェイビーの持つ銃の口から立ち上る硝煙が風に乗り、灯室の外へ二つの魂を導くように流れていく。クシミアが葬られた遥かな海へと。



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