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-ORIZO- 異世界の英雄  作者: 小浦すてぃ
14/18

ー煙は処刑場で上がるー

 ランドグラーシャの処刑場は城に隣接する切り立った崖の上にあり、処刑台を中心として円形の舞台が広がる。囲む段差の観席の中で四角くせり出した部分には王と側近の部屋が用意されてあり、火の国の国王、フランシング・スコリエルは顎を触りつつ巨大な無色水晶の窓から辺りを眺めていた。処刑までまだ時間があるというのに観席は血と暴力に飢えた城の兵士で溢れている。しかしこれでもほんの一部に過ぎないことを彼は知っている。見上げた彼の目の先では、くすんだ海原と黒々しい雲の境を貫く、使われなくなって久しい古びた灯台が寂しげに佇む。

 王が振り返れば、猛々しい炎の刺繍が入った深紅のマントが重く揺れる。広く豪華な部屋にはホノカとミナリが招かれ、ジェイビーとコルチが護衛として側に控えていた。

「まるで野球場だね。処刑台があんなに小さいよ。兵士達は処刑台見えてるの?」

「火の国の兵士を舐めるな。あの距離くらいどうってことない」

 コルチはずっと退屈そうなミナリの話し相手をしているが、ミナリが容赦なく元の世界にしかない言葉を入れてくるせいか、少しうんざりとした様子が窺える。

「申し訳ない。お時間を取らせてしまって」

「いえ、そんな」

 体で恐縮を表しながら答えるホノカに王は口の端を歪めた。その真意は定かではないが、ホノカの緊張をより強くしたことは間違いない。王は彼を手招きすると、処刑台で膝を付く袋を被った民を指差した。

「あの民が自供したそうだ。水の国から私を殺すために来た刺客だと。どう思う?」

 天気の話でもするかのような口調と内容のギャップもさることながら、そんなことを会って間もない客人に尋ねる彼に困惑の表情を向けるホノカは、窓に手を当て処刑台の民をじっと見る。

「いえ。水の国の民ではありません」

「言い切れるか?」

 王の瞳は温かくも刺すような鋭さでホノカを射抜く。ホノカは言葉につまり、ぎこちなく頷くと、王は立派な顎鬚をいじって視線を戻した。

 処刑台には昨夜王の寝室を襲撃したとされる民が、アンニィに捕らえられた時の姿のまま項垂れている。兵士に両脇を抱えられて運ばれたところを見るに、気絶させられているのかもしれない。王を殺そうとして失敗したとあらば死刑にされるのもこの国では仕方がない。しかし、ホノカとミナリは知っていた。死を待っている彼が真犯人ではないことを。

 昨夜ホノカとミナリの部屋に突然入ってきた民は、なんとその姿をダスターゴから女性へと変えた。そしてホノカは彼女に見覚えがあった。カッサルスレイルで路地裏に引き込まれ、切符を掠め取ったあの女だ。驚くホノカを前に彼女の姿はピニヤク軌道の駅で切符売り場を教えてくれた老婆に変わり、続いてスプリンシュディラで出会った老紳士・バスタに変わる。そしてバスタが手に持っていた小さな細い筒を手放すと、再び若い女の姿に戻った。

 彼女はそれまでの非礼を詫び、襲撃の真相を話した。襲撃を行ったのはナンシーと共謀したアンニィであり、宰相は王を暗殺し王座につくことで、先代までの侵略姿勢を取り戻そうとしていたこと。さらにダスターゴを犯人に仕立て上げることで、ゴルデアの管理も手中に置こうというのが元々の作戦だったらしい。そこへバスタが加わり、メキュハクヒの槍を返すことを条件に、ダスターゴの地位を譲り受けるという手筈になったという。

 バスタの役割はアンニィとダスターゴのトリックだった。故郷に伝わるという小さな細い筒で声や姿を変えられる彼女は襲撃時にアンニィの姿で現場に駆けつけアリバイを作り、また事前に袋を被せたダスターゴを兵士たちがその正体も知らずに運んでいるところへダスターゴの姿で通りがかることによって、今捕らえられているのがダスターゴではないと思わせた。という話を聞きながら、ホノカは襲撃犯を追った際の違和感に納得して手を打った。

 アンニィが王を殺していないのは何故だかわからないが、宰相は作戦前に、仮に襲撃が失敗したとしても、刺客が王の命に肉迫したという事実だけでも十分侵略姿勢へ傾かせることが出来ると言っていたらしい。ダスターゴも正体を知られぬまま処刑され、バスタがダスターゴに成り代わって宰相の言うとおりにゴルデアを管理する。これが襲撃について彼女が話した全てだ。

 “黙っていればゴルデアの管理で地位も名誉も横取りできたのに何でバラすの?”ミナリの問いに彼女は答えた。ピレットサンデノワッタ。旧砂のクニの皆の仇を取るためだと――

 王は部屋の隅にある木箱を持ち上げ、テーブルの上へと運んだ。ジェイビーを呼び、箱から取り出した袖のボタンや筆記具、着火機を持たせていく。そのどれもが金色に輝いている。

「王のロゥゼロたる者、それなりの物を持っておかねばな」

 そして最後に、王は木箱から金色に輝く拳銃を取り出しジェイビーに握らせた。彼はジェイビーの怯える様子に構わず使い方を教えていく。装弾数は四発。引き金を引けば勝手に撃鉄が起き上がって落ちる最先端の銃だと得意げに話しているが、その興奮はジェイビーには伝わっていない。

 一方コルチはそんな二人の様子を羨ましそうに遠くから覗き見ている。火の国でも銃火器を持たされるのは最前線の熟練した兵士か、ジェイビーのように王から特に気に入られた民だけだ。コルチは大きく頭を振って、背中に携帯した巨大なブーメランを手に取ると素振りを始めた。しかし椅子に座って子供のように脚をぶらつかせるミナリが、なんとも気楽にコルチに声をかけてお茶菓子のおかわりを頼むと、彼は溜息をつきながら扉の外に控える兵士二人に伝えた。そして窓の側に戻り、外の様子に目を光らせる。

「あの、王様、ひとつお聞きしたいことが」

 ジェイビーの言葉に、着火機より一回り大きい金色の弾薬箱を手渡すスコリエルは説明を中断し言葉を促す。

「どうして僕を護衛にしたんですか? 他に強い兵士はたくさんいらっしゃるのに」

 この部屋に入るためには観席とは独立した通路を通らなければならず、通路の入り口も観席の入り口とは離されている。もともと灯台へ向かうための通路だったものを、雑踏に紛れる刺客への対策として改装したものだ。そしてこの部屋に通すということは王に信頼されているという証でもあることをジェイビーは知っている。入り口を見てからの彼はずっと凝り固まったまま気が気でない様子で、おどおどとしながらも今意を決して問うたのだ。するとスコリエルは笑って小さな肩を叩きながら、

「勿論、私のロゥゼロだからだ。気づいていない様だが、君には英雄の素質がある。そう見込んでいるからだ。将軍代理には随分しごかれたそうじゃないか。コルチとの潜入作戦も、報告を聞いた限り私が若い頃より優秀だ。そんな君をすぐ近くに置くのは妥当だとは思わぬかね?」

 ジェイビーは顔を赤らめて俯き、照れを隠すように受け取った物を腰に下げた袋に詰めていく。

「心配ない。自信は後からついてくる」

 ジェイビーが腰の袋をパンパンになるまで詰め込むと、窓の外から声が響いた。“うー! うー!”と不明瞭な言葉がたちまちより大きな声の波に呑まれる。

「受刑者が目を覚ましたようです」

 コルチの報告に王は“そうか”と一瞥すらせず応え、箱の中から灰色の四角い機械を二つ取り出してホノカに手渡した。

「それは今開発を進めさせている小型電信機の試作機だ。これがあれば話をするのにわざわざピニヤク軌道で何日もかける必要はなくなる」

 王はホノカに遠慮なく受け取るよう促し、自身もどっしりと椅子に掛けた。

「貴重な話の対価だよ。水の国の英雄さん」

 ハッと顔を上げ王を見るホノカは“どうして”とでも言いたげな表情で、こめかみに冷や汗が浮き出ている。

「コルチから聞いた。君はクシミア将軍を打ち破り、水の国を救った。さらにその前はまた別の国にいたそうじゃないか。是非、話を聞かせてもらいたい」

 王は懐の深さを表したかのような笑みを浮かべているが、周囲には奇妙な緊張感が漂う。ホノカは深呼吸の後“いえ、これはいただけません”と、手にしていた小型電信機を王の方へ押し戻した。

「俺は伺いたかっただけです。水の国を攻めるおつもりがあるのか。それさえ聞ければ十分です」

 王は呆れたように小さく笑い、再びブーメランの素振りを始めたコルチに止めるよう命じた。その間にもミナリが小型電信機を手に取り、ホノカの静止も聞かずにいじり始める。

「結論から言えば、私自身は水の国に侵略するつもりはない。コルチから聞いたかもしれないが、火の国は侵略の姿勢を改めようとしている。今も最前線で兵士達が戦っているが、あくまで前線維持が目的だ。侵略を続けてきた国の長として、今までに奪った土地を守る責任があるからな。だが、クシミア将軍のように武功を立てて生きてきた民は不満に違いない。事実今日あそこに集まっている兵士達も、戦場から外され戦いに飢えている者ばかりだ」

 窓の外へ目配せする王。受刑者へ向けられた兵士達の罵声は鳴り止まない。

「じゃあ水の国への侵略は、彼が勝手にやったことだって言うんですか?」

 王は静かに頷き、将軍のことは残念だったと返す。

「将軍は先代の王、フランシング・クラドーのロゥゼロだった。その頃私は“鎖使い”なんて異名で最前線にいたが、共闘することも多くてな。良い好敵手同士だと言われたよ。だが手柄こそ互角に張り合えたものの、実力では将軍の方が上手でな。その若さと強さに嫉妬することなんてしょっちゅうだった。先代の死後も、本当なら将軍が王座につくはずだった。しかし断ったんだ。戦場でしか生きられないと言ってな。そこで私が選ばれた。わかるか? この屈辱が」

 王は眉間に皺を寄せ、射殺すような目をホノカに向けた。そしてすぐに気が抜けたように表情を戻すと肩をすくめる。

「だが、勘違いしないでもらいたい。決して彼に活躍の場を与えないよう、侵略の姿勢を改めたわけじゃない。むしろ彼のように戦場でしか生きられない民を減らすためだ。この大陸は遠くない未来に統一される。侵略の必要がなくなった世界で、戦場を求める民は生き辛い。有り余って燻る火種は集まって炎と化し、やがて内戦や他の国への侵略を引き起こす。そうなる前に手を打たなければならないと考えたのだ。

 クシミアは英雄として称えられていた。しかし、英雄とは存在ではなく状態だ。永久に英雄でいるには、英雄のまま死ぬしかない。……誰だって生きている限り気の迷いはある。民から信頼されていた神官が、盗みを働いた子供を出来心で罰と称して売りさばいていたのが明るみに出て追放されたなんて話もある。逆手に取るなら、英雄と称えられる民が間違いを起こす前に死ねば、その民を英雄と認めなかった民達も認めざるを得なくなるだろう。だが、行いが“間違い”かどうかは生きている民によって決められることだ。将軍が行った侵略は、英雄として称えられるべきことか否か……」

 独断で兵を募り最新の船を奪い、本当に存在するかもわからない国を攻めに行く。そこだけを見れば後世に愚行として残されても不思議ではない。しかし嵐の壁を越え、水の国が実在することを突き止めたと言う功績は英雄の武勇伝の一つとして数えるに相応しい。

「更なる問題は、将軍が亡くなったということをいつ、どのように公表するかということだ。英雄が消えたなどと下手に知られれば、火の国に反旗を翻す土地や兵士も出てくる。新たな英雄が現れればまだ楽に済むのだが、ジェイビーが育つにもまだ時が必要だ」

 そう言って王はミナリに目を向けるが、本人は自分には関係ないと言わんばかりに、小型電信機から目と手を離さない。

「とにかく、今はこの大陸の統治で精一杯だ。水の国へ攻め入る余裕はない」

 ホノカはその日初めての笑みを浮かべ、安堵の溜息をついた。

「それを聞いて安心しました。早く皆に知らせないと」

「では、将軍が使った船を手配させよう。修理にしばらくかかるが、その間にこちらのことも知ればいい。私も、君に同行させる親善隊もまとめておく」

 王の協力的な反応に頭を下げつつ“親善隊?”と聞き返すホノカに、王は口の端だけで笑みを浮かべてみせる。

「船を動かすにはそれなりの数がいる。乗組員を和平の使いとして送るのだ……その後は船もくれてやる。好きに使うといい」

 王が持ち出した提案に、ホノカは戸惑いを隠せない。厚待遇に過ぎる条件を提示されれば裏があるのではと疑いたくなるものだ。王の狙いはおそらく水の国へ辿りついた使者がどのような待遇を受けるかによって、水の国の民を試そうとしている所にある。遥か遠くにあり嵐の壁に遮られていると言えど、電文機で通信が可能であることは宰相とクシミアが確認済みだ。王は水の国との戦争を望んでいないことは確かだが、もし使者が酷い仕打ちを受けたとあれば彼は水の国を敵国とみなし、大陸統一の暁には水の国へ攻め入る可能性だってある。

「君に、水の国と火の国を結ぶ英雄になってほしい」

 その言葉にホノカはすぐに答えを出さなかった。これから先の生き方を決める重要な分岐点だと自覚していたのだろう。二つの国が手を取り合うための重要な役目を前に体が竦むような彼ではない。ただ、故郷を離れて初めて気づく大切さだろうか。彼が魚田峰ホノカとして生まれ育った世界が遠ざかるような気持ちがこみ上げてくるのは想像に難くない。

「む、私ばかり喋りすぎてしまったな。だが時間はいくらでもある。処刑が終わり次第、私とソウシマアタの塔へ同行してくれたまえ」

「また行くの?」

 少しめんどくさそうな口調でミナリが口を挟み、コルチが咳払いをして嗜める。王曰くソウシマアタの塔の内壁に沿う螺旋階段を上った先の部屋では、訪れた民の記憶と塔に蓄積された情報が合成され、より正確な歴史を見ることが出来るという。

「二百年前、初代国王が聞いたとされる昔話でさえ鮮明に残っている……そうだ、向こうへ着いた際に君たちにも見せよう。常闇の民についても知っておいてもらう必要があるしな」

「王様、そろそろ始まります」

 コルチの声に振り返ると王は立ち上がり、ホノカを手招きして窓から処刑場を眺めた。台の上には相変わらず袋を被った民が膝を付いており、その横には背中の大きく開いた、赤黒さが物々しくも絢爛な前留め式のドレスを着たアンニィが大きな刃物を構えて切断の合図を待っている。ホノカもそれを確認すると王に向きなおった。

「王様。彼は襲撃犯ではありません」

「知っておる。ダスターゴだろう?」

 間髪入れない反応にホノカは言葉を失う。王は鼻で笑うと、後ろで手を組んで濁りきった空を見上げた。

「宰相のやりそうなことだ。私を殺せずともこうしてダスターゴを殺すことで、ラインッシュターリアのゴルデア関係の利権を得て力を蓄える。タダでは起きない女さ」

「何故止めないんですか!?」

「奴はそれだけの事をしてきた。死に値する男だ」

 ラインッシュターリアが灯のクニだった時代から民を虐げ、狡猾に私腹を肥やしてきたダスターゴには当然の報いかもしれない。しかしホノカは納得がいかないようで、険しい顔で処刑台を見つめる。

「それでも、謂れのない罪で殺すなんて」

「君はこのことを私に伝えれば処刑を取りやめると思っていたようだが、残念だったな。もし彼を殺したくないのであれば、君だけで動くべきだった」

 王の冷たい言葉にも、ホノカは表情を変えない。もう手遅れだと突きつけられても、彼は――

「いいえ、諦めませんよ」

 彼は拳に水を纏わせて無色水晶の窓を割ると、勢いそのままに足元に波を作り出して処刑台へと降り立った。観席の兵士達はどよめいて、アンニィも驚いて固まっている。彼が受刑者の袋を掴んで取り上げると、布を噛まされたダスターゴの顔が現れた。

「ここにいる人は襲撃犯じゃない! 俺は襲撃犯を運んでいる時に彼を見た! 彼女も一緒にいた! 何人かの兵士達も見ただろう! 彼は犯人に仕立て上げられたんだ!」

 ホノカの叫びが木霊する。観席の騒然とした声が喧騒へと変わる。アンニィがホノカへ刃先を向ける中、“じゃあ誰が真犯人なんだよ!”と一際大きな野次が飛んだ。

「私だ」

 その声に、処刑場にいる全員の視線が古びた灯台の灯室に集う。灯室に立つ影。獅子のたてがみを思わせる髪。血や溶岩に似た色みの槍と鎧。“火槍の魔物”、“火の国の英雄”クシミアの姿を。

「クシミア……様?」

 姿を消していた英雄の帰還に戸惑う兵士達だが、彼らは次第に拍手と歓声で迎え入れた。ゆっくりと手を振ってクシミアが柱の影に消えていく。驚いた表情のまま涙を零すアンニィと、目を覚ましてもがくダスターゴの間でホノカは笑みを浮かべた。

 処刑台にナンシーが上がってくる。メキュハクヒの槍をアンニィに渡し、“行きなさい”と背中を押すと、アンニィは口を強く噤み涙を腕で拭い、槍を受け取って駆け出した。あっという間にその姿が見えなくなったところで、ナンシーはダスターゴの頭を蹴り飛ばす。

「むがっ!?」

 ダスターゴの身体は硬い地面に落ち、ぼろい服が土で汚れる。ナンシーは片手をホノカの前に突き出すと、観席の兵士を見回した。

『皆様。本日はよく集まってくださいました。皆様には、真実をお話しなければなりません』

 彼女の声はその手に持った拡声機械を通じて城内に響き渡る。それは耳に心地よく、しかしピリピリとした声だ。兵士達もひとまず野次をやめ耳を傾ける。

『クシミア様が王を襲撃した真犯人である。これは本当のことです』

 ざわっとどよめきが広がり、観席に黒い靄が幽かにかかる。相対的に処刑台のナンシーがライトアップされているかのようだ。

『クシミア様は私の父、フランシング・クラドーのロゥゼロとして、常に戦場で立派に戦っておられました。皆様もまた我が父の時代、あるいはそれ以前から、火の国のために戦ってこられた』

 ホノカは彼女が放つ気迫に動けずにいた。この状況、ナンシーにとっては想定外の筈だ。にもかかわらず、彼女の言葉ははじめから用意されていたかのように、こうなることを知っていたかと思うほどによどみのないものだ。

『皆様はスコリエルが王座についてから、しばらく戦場を離れておられます。しかし私は知っています。戦場が皆様の炎を滾らせられる唯一の場所であると。将軍は、皆様の居場所を取り戻そうとしたのです』

 観席の靄が黒みを帯びていき、兵士達が息巻きだす。その様子を王は目をガンと開いて見ていた。

「そうか、彼女が、常闇の民」

 王の言葉にコルチが声を挙げる。初代国王が聞いた昔話に登場する、嵐の壁を作ったとされるその存在が、城内に潜んでいたことが信じられないようだ。

「そんな……宰相はクラドーの娘ですよ!? 火の国の民ではありませんか!」

「常闇の国は土地を持たない国だ。それに魅入られた者の意思に食らいつく。そして常闇の民は、黒い気を操って民の意思を奪う……調べていた通りだ」

 いつしか観席は兵士の姿が見えないほど黒い煙に覆われており、その円の中心でナンシーはニコッと王に笑いかけた。

『皆様! いまこそ将軍に続く時です! 彼と共に皆様の居場所を取り戻そうではありませんか!』

 黒い煙の中から一斉に雄たけびがあがる。王は眼下で暴徒と化した兵士達を見ながら、胸の前で拳を打ち付けた。

「致し方あるまい。君達は大丈夫だな?」

 ブーメランを構えしっかりと頷くコルチ。ジェイビーは貰った銃を握り締めて震えている。ミナリは既に炎を纏い、ホノカの元へと向かっていた。

 突き出されたナンシーの手から拡声機械が落ち、黒い煙が湧き出す。ゆっくりとホノカに触れようとして、彼女が跳び下がった。直後彼女がいた位置をライズが飛びぬける。

「ホノカ! もうやるしかないよ!」

 観席から身を乗り出して場内へと迫る兵士達。その中へ姿をくらます宰相。ホノカとミナリは背中合わせになり、三百六十度から迫る敵に備える。

「王様は大丈夫か?」

「コルチがいるし、王様だって戦えるでしょ。人の心配してる場合?」

 ホノカはぴょんと処刑台から飛び降りると、水の鎧を纏いダスターゴの体の拘束を解いた。むせる彼を抱えて足元に大きな波を作り、兵士達を飲み込みながら処刑場の外へ運んでいく。

「ほんと、お人よしなんだから」

 ライズは処刑台を燃やし、地面へと飛び降りる。右側の兵士達に燃える腕をかざし、数十歩先に炎の壁を発生させ兵士の足を止めた。左側から迫る兵士に悠長に構え、突き出された槍を纏う炎の表面で消し炭にする。

「お疲れ様っ」

 相手の体を突き飛ばし、続いてくる兵士達にパンチやキックの連打を浴びせる。しかし右側からもようやく兵士達が壁を越えはじめた。

「君たち暑苦しいよ」

 わずかに振り返ったホノカはすぐに目の前の相手に集中し、背中に巨大な炎の翼を広げた。迫る兵士もこれには堪らず地面に伏せる。

「それにしてもキリがないなぁ。ハンデはここまでねっ」

 ふわっと高く宙に浮いてくるりと踊るライズ。その下の敵目掛けて降り注ぐ炎の雨。そこを大きな波が通り過ぎる。

「やりすぎだぞ。ミナリ」

「わかってる。でも楽しくてつい、ね」

 ライズはニッと笑いつつ、“ちゃんと手加減してるんだよ?”と付け加える。オリゾは頷くと、足元の波を滝のように突き抜け着地する。彼を中心に小さな波が広がって兵士達の足を止め、降ってくる火の矢の的に変える。


 二人の戦いを見ながら気合十分とばかりに頬を叩くコルチとは対照的に、ジェイビーは部屋の端で屈みこみ、ぶるぶると体を震わせていた。訓練を受けコルチとの潜入作戦をこなしたと言っても彼はまだ子供だ。戦場で激しくぶつかり合う敵意の真っ只中に放り出されようとしていること――即ち実戦経験の無い訓練兵なんて十中八九殺されるであろうこと――は考えなくてもわかる。死と暴力を前に恐怖するのは当然のことだ。

 王はジェイビーを連れて扉を開けると、身を乗り出して左右を確認した。入り口へ続く右手の廊下から怒声となだれ込む足音の轟音が響き、扉の前に控えていた二人の兵士は絶望的なほどに蒼ざめて武器を構えている。

「ジェイビー。早く行くんだ。ここは私達が何とかする」

 王が灯台へ続く左手の廊下へ背中を押すと、ジェイビーは少し躓いて振り返った。怯えきって体が震えているが、その目には死への恐怖というより取り残されることへの恐怖が揺れている。

「ぼ、僕だけ逃げろっていうんですか!」

 その言葉は男としてのプライドか、はたまた見捨てないでという子供ながらの不安の表れか、しがみ付かんばかりの勢いだ。

「やりたいと思うことをやれ。さもなくば、悔いを抱いて死ぬだけだ」

 スコリエルの厚く大きな手がジェイビーの頭をポンと叩く。そして小さな体を突き放すと、轟音がより大きくなった廊下の方を向いて拳を構える。

「ほら、行け」

 少年は大きなマントの背中を前にふらりと一歩だけ動く。がその場で揺れ、直後には力任せの足音が響いて消えていった。

「さて、久々に振るう鎖が錆びてなければいいが。コルチ、そろそろ備えてくれ。来るぞ」

 王の呼びかけにコルチは返事を返し、巨大なブーメランを場内へ向けて投げると部屋の出口へ向かった。

 

 パシッ。宙を舞うライズは飛んできた巨大なブーメランを掴むと、炎を纏わせて地面に降りた。離れたところでオリゾがうまく立ち回っているのを確認すると、彼はブーメランの端を持ったまま大剣のように振り回す。近くの兵士達をなぎ倒し、パッと手を離すと兵士の群れを緩やかな弧を描いて刈っていく。

「これで、結構減ったかな」

 場内はいたるところで兵士達が伏している。それぞれがうめき声を上げる様はまさに地獄絵図だ。無限にいると思われた彼らも、今立っているのは数十人しかいない。

「ホノカ。一思いにヤっちゃった方が彼らのためじゃない?」

「こいつらは利用されているだけだ。“ここで死ぬ運命”だなんて俺が許さない」

 じっとオリゾを見つめるライズは、戻ってきたブーメランを受けて凪ぎ飛ばされ、ブーメランはそのまま軌道上の壁にめり込んだ。

「ミナリ!?」

 倒れるライズは身を起こして手を大きく振る。そしてその手の平から放たれた火球がオリゾのすぐ横を抜けて、彼に迫っていた兵士を弾き飛ばす。

「余所見はダメだよ」

 飛びながらライズはオリゾの後方に滞空し、肉弾戦をこなすオリゾを援護する。敵の数はあと数人。歴戦の兵士達も、伝説と呼ばれる力を持ちクシミアを下したオリゾと彼に相対する力を持ち義賊として名を馳せるライズの前にはいとも簡単に倒れた。それでもなお残った兵士達は怯むことなく進み続ける。勇ましさは流石と言ったところだが無情にも炎の矢と水の弾丸が炸裂し、無念を顔に表して倒れる。これで兵士達は全員地に伏した。

「やったね。ホノカ」

 二人が鎧を解くと、観席や場内に満ちていた黒い霧は既になくなっていた。見回す惨状の中にはふらふらと立ち上がり始めている兵士もいるが、反攻に移る様子は見られない。

「宰相はどこに……いや、それよりバスタが危ないか?」

「もう、一段落付いたんだからちょっと休もうよ。ホノカも結構力使ったし、しんどいでしょ?」

 しかしホノカはミナリの声に耳を貸さず灯台の方へと走り出し、ミナリは不服に小さく頬を膨らませながらも後を追う。空に厚く蔓延る黒々しい雲は、この先に待ち受ける不吉を暗示するようにじわじわと蠢いていた。



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