お泊まり会(前)
◇
週が明けた月曜日の放課後。部室のある旧校舎へ続く渡り廊下で、万感の思いを胸に土井先輩と顔を合わせた。
おたがい自然と顔がほころんでいく。無言の土井先輩に肩を抱かれ、そのまま一緒に部室へ向かった。
小谷先輩と辻さんは先に顔を見せていた。土井先輩は部室のドアを開けるなり、うわついた様子で手を上げながら言った。
「やあ、諸君」
普段の土井先輩らしからぬ態度だったので、辻さんは困惑の体であいさつを返す。小谷先輩にいたっては、口をつぐんだまま不審者を見るような目つきをしている。
土井先輩は二人の冷淡な対応をものともしない。上機嫌の理由を聞いてもらいたい様子で、僕をオブジェのようにあつかってポーズを取り続ける。
「……何かあったんですか?」
「どうして何かあったと思ったんだい?」
見かねた辻さんが口を開いたけど、その気づかいを土井先輩がだいなしにした。いつも笑顔を絶やさない辻さんも、この時ばかりはイラッとした様子を見せた。
「今日の土井先輩はいつもと違って、何か……少し気持ち悪いです」
「辻くんの気持ちはわかる。それに安心してくれ。今は何を言われても許せるほど、寛大な気分なんだ」
反応に困った辻さんが顔をそらして押しだまる。小谷先輩は無視を決め込み、手元の本に目を落とした。
これでは話が進まない。自分も体重をかけられているので、早くどうにかしてほしい。結局、土井先輩が自ら切り出した。
「おどろかないで聞いてくれ。小谷くんも聞いてくれないか?」
「聞こえてる」
小谷先輩は本から目を離さずに言った。
「一昨日と昨日の夜、ずっと太田くんと行動を共にしていたんだ」
「……泊まったってことですか?」
「一昨日の夜は太田くんの家に泊まった。けれど、昨晩はおたがいの家に居たよ」
「意味がわかりません」
もったいぶった話運びをするので、辻さんがじれったそうにした。ただ、かなり興味はひかれているようだ。
「異世界がどうのこうのって、太田くんが前に言ってたのをおぼえてるか? その異世界で一緒だったってことさ。わかりやすく言えば、僕と太田くんは夢の時間を共有したんだ」
「……本当なんですか?」
おどろきで目を見張った辻さんに、僕はうなずきを返した。
「土井くんにも伝染しちゃったのね」
小谷先輩がこちらを横目で見ながら言った。
「信じられないだろうけど本当さ。冒険と呼ぶにはちっぽけなものだったけど、いまだかつて味わったことのない、胸おどる体験をさせてもらったよ」
「土井くんが言い出す分には、今さらおどろくこともないんだけど。ねっ、太田くん?」
ため息まじりに言った小谷先輩から、手なづけるような視線を投げかけられる。
その瞳に魅了され、うっかり同意しそうだった。けれど、立場上それはできない。ただ、刃向かう勇気もわかないので、口をつぐんだ。
「その異世界ってどんな場所なんですか?」
辻さんが落ち着かない様子で催促した。
「それは言え……」
僕が答えるのをさえぎるように、土井先輩が割って入った。
「大航海時代くらいのヨーロッパなんだけど、魔法やら能力やらが存在するんだ。あげくにゾンビまで現れる始末で、いかにもゲームって感じのゴチャまぜの世界かな」
これまで、いくら苦心してもできなかったことを、土井先輩が平然とやってのけた。同意を求めるように顔を向けられたけど、面食らったまま見返すしかなかった。
「太田くんはキョトンとしてるけど?」
「そうだろ?」
土井先輩の言葉にも返事ができない。ことさらに不安をかき立てるばかりの、例の得体の知れない感覚におそわれた。
せめて、うなずきだけでも返そうとするも、今度は頭と首が硬直したように動かない。あらゆる意思表示を禁じられ、僕は彫刻のようにかたまった。
「……どうして話せるんですか?」
「君はどうして話せないんだ?」
やっとの思いで言葉をひねり出したけど、すかさず聞き返される。こっちが聞きたいくらいだった。
◇
土井先輩は窓際の指定席へ移動してから、異世界の話を思う存分に披露した。辻さんは夢中でそれに聞き入っている。
「太田先輩は魔法が使えるんですか?」
こんな感じで何度か話を振られたけど、話に加わるどころか相づちさえ打てないので、向かいの席で所在なげに耳をかたむけた。
このノドをつかまれるような現象は、いったい何なのだろう。自由に異世界の話に興じる土井先輩が、うらやましくてしょうがなかった。
ふと小谷先輩に目を移す。
所定の位置で、文芸部の部員としての本分を――果たしていると思ったけど、読んでいるのは教科書だった。期末テストがせまっているし、受験生でもあるから仕方ないか。
普段なら注意される頃合だと思い、ついでに顔色をうかがった。堪忍袋の緒が切れかかっている様子だけど、今日は辻さんが雑談相手なので、注意しづらいのかもしれない。
「太田くん。辻くんも異世界に連れて行ってあげたらどうだろう?」
「私も連れて行ってください!」
辻さんはうっとうしいぐらいに乗り気だ。
「まあ、できるかもしれませんけど……」
土井先輩相手にできたのだから、辻さん相手でもできると考えるのが自然だ。どこで寝ても異世界へ行けることは実証済みだし、立ちはだかる障害はない。
「やっぱり、君の部屋で儀式めいたことをやらなければいけないのか?」
問題はそこだ。例の〈委任〉という能力が、なぜ使えたのか判明していない。家に泊まるかどうかは別にしても、最低限部屋まで来てもらわなければ話が始まらない。
「僕の家まで来てもらうことになるけど、かまわない?」
所詮、僕と辻さんは部活の先輩と後輩の間柄にすぎない。男の部屋へ行くことに尻込みするんじゃないだろうか。
「行きます! 小谷先輩も一緒に行きましょう!」
そう思えたけど、すでに心の準備は整っていた。こっちがおよび腰になるぐらいの意気込みだ。
「辻さんは人を疑う心を持ったほうがいいと思うわ」
小谷先輩がさり気なくさとした。自分もそう思った。けれど、辻さんは引き下がらない。
「一緒に行きましょうよ、先輩」
辻さんの哀願に、小谷先輩が心を動かされる。
「でも、もうすぐ期末テストなのよ?」
「じゃあ、テストが終わってからでかまいません」
「……わかったわ。辻さんを一人で行かせるのは気が引けるし」
「本当ですか!?」
辻さんは屈託のない笑顔を見せて、大はしゃぎした。軽くため息をついた小谷先輩が、僕たちのほうに顔を向けてこう言った。
「でも、これだけは約束してくれる? 仮に異世界云々の話が嘘だったら、その話はここで二度としないって」
「僕らの話に嘘偽りはない。受けて立とうじゃないか」
土井先輩が威勢よく応じた。どっちにしろ、僕は現実で異世界の話ができない。その条件を受け入れない理由はなかった。




