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屋根裏部屋（前）

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　ふと肌寒《はだざむ》さで目がさめた。もう七月だというのに、体が異様《いよう》にスースーする。

　窓を開けっぱなしで寝てしまったのだろうか。体は芯《しん》まで冷《ひ》えきって、まるで冬に逆戻りしたようだ。

　まだ、目覚《めざ》まし時計は鳴っていない。ふるえながら猫のように身を丸《まる》め、手探《てさぐ》りで見つけた毛布《もうふ》のはしを、頭からかぶるように引っぱった。

　ところが、何かに引っかかって、毛布はピクリとも動かない。ベッドと壁のすき間《ま》に落ち込んだか、もしくは、自分の体が重《おも》しになっているのかもしれない。

　さっきよりも力を入れて引っぱるも、やっぱりダメだ。動かないのなら、自《みずか》らくるまりに行こうと考えつく。けれど、そこで異状《いじょう》に気づいた。

　――毛布の肌《はだ》ざわりが全く違った。いや、そもそも毛布を使っていたっけ。その上、ベッドもゴツゴツとして寝《ね》心地《ごこち》が悪い。

　何かがおかしい。言い知れない不安が胸《むね》をおそった矢先《やさき》、ふいに逆側から毛布が引っぱられた。

　「えっ！」

　おどろきのあまり、反射《はんしゃ》的に背後《はいご》を振り向いた。

　――誰かが背中合わせで寝ている。

　後頭《こうとう》部《ぶ》に見おぼえはない。体つきと肩甲《けんこう》骨《こつ》までのびた髪で、それが女性だということはわかった。

「んー？」

　こちらの声に気づいた彼女が、うわ言《ごと》のような言葉を発しながら、寝返《ねがえ》りを打つ。鼻先《はなさき》がぶつかりそうな距離まで、彼女の顔がせまった。

　はち切れるかと思うほど、心臓《しんぞう》が鼓動《こどう》を早める。しばらく、我を忘れて彼女と見つめ合った。

「えーーっ！」

　彼女のさけび声でこおりついた時間が動き出す。

　その声は、悲鳴《ひめい》というよりおどろきに近かった。彼女がベッドからあわてて飛び出し、反対の壁《かべ》際まで後《あと》ずさる。そして、こわばった顔をこちらへ向けた。

　自分も上体《じょうたい》を起こす。彼女に注意《ちゅうい》をはらいながら、横目《よこめ》で部屋を見回《みまわ》す。部屋は薄暗《うすぐら》い。右手に小さな窓が見え、そこからさし込む光が頼《たよ》りだ。

　部屋の広さは十畳ほど。家具《かぐ》や調度《ちょうど》品《ひん》は少《すく》なく殺風景《さっぷうけい》だ。壁紙《かべがみ》がはられていない板張《いたば》りの壁が、それに拍車《はくしゃ》をかけている。

　おかしなことに、部屋のどこを見ても扉《とびら》が見当《みあ》たらない。おまけに天井《てんじょう》もない。屋根《やね》の裏側と縦横《じゅうおう》無尽《むじん》に走る梁《はり》が丸見《まるみ》えだ。とっくに気づいていたけど、ここが自分の部屋じゃないのは一目《いちもく》瞭然《りょうぜん》だった。

「……誰？　どうして裸《はだか》？」

　彼女が声をふるわせながら言った。おびえた様子で、右腕《みぎうで》を盾《たて》のようにかまえている。

　さっきから感じていた肌寒さの原因が判明《はんめい》した。とっさに毛布で上《じょう》半身《はんしん》を隠《かく》したけど、恥《は》ずかしがっている場合じゃないか。

　幸《さいわ》いにもパンツ……らしきものははいている。でも、部屋はともかく、自分がはいているパンツにすら見おぼえがないのは、どういうことだろう。

　事態《じたい》が相当《そうとう》深刻《しんこく》であることにまちがいない。ただ、気が動転《どうてん》していて、考えがまとまらない。

　安直《あんちょく》な答えを出すなら、ここは夢の中だということ。けれど、早々(そうそう)に夢を夢だと気づいてしまうあたり、夢らしくないと思った。

　現実《げんじつ》だろうと夢だろうと、こちらが他人――しかも、若い女性の部屋に不法《ふほう》侵入《しんにゅう》したことは、争《あらそ》う余地《よち》がない。真摯《しんし》に謝罪《しゃざい》の言葉を述《の》べ、許《ゆる》しをこうべきか。それとも、さっさと開き直って逃げ出すべきか。

　彼女は僕から片時《かたとき》も目を離《はな》さない。誰であるか、懸命《けんめい》に記憶《きおく》を探《さぐ》っているようにも見える。だけど、彼女の顔に見おぼえはない。きっと彼女も僕を知らないはずだ。

「ん？」

　ところが、彼女は何かに気づいたそぶりを見せた。警戒《けいかい》心をやわらげ、こちらへ近づいてくる。ベッドの脇《わき》で立ち止まると、僕の顔をまっすぐ見下《みお》ろした。

「あれ？」

　一心《いっしん》に見つめ合った後、彼女はそう言って眉《まゆ》をひそめた。

（僕のことを知っているのだろうか……？）

「どうした、ダイアン」

　ふいに野太《のぶと》い男の声が耳に届《とど》いた。しかし、視界《しかい》に人影《ひとかげ》は見当たらない。

　彼女が顔を引きつらせた。瞳《ひとみ》は何かをとらえていて、それをたどってみると、金髪《きんぱつ》の中年《ちゅうねん》男性が、床にあいた穴《あな》から顔をのぞかせていた。

　血《ち》の気《け》がサーッと引いた。意識が遠《とお》のいていくのを感じた。中年男性があ然《ぜん》としながら、僕と彼女の顔を見くらべる。絶体《ぜったい》絶命《ぜつめい》のピンチ――になるはずだった。

「すまん、ダイアン」

　ところが、気まずそうに言い残して、顔を引っ込めてしまった。

「違うんですよ！」

　彼女が下《お》り口《くち》のそばにひざまずき、階下へうったえかけた。

　彼女はベッド脇で無《む》防備《ぼうび》に立ちつくしていた。その姿が、あらぬ誤解《ごかい》を生んだのだろう。自分が上半身裸でいたことも、良くも悪くも一役《ひとやく》買っていた。

　運良《うんよ》く命拾《いのちびろ》いした。けれど、このまま助けを呼ばれたら元《もと》も子《こ》もない。すぐにでも誤解を解かなければ。

「あの、すいません！　ここはどこなんでしょうか。なぜ自分がここにいるのか、何もおぼえていなくて……」

　相手を刺激《しげき》しないよう、ありのままを申しわけなさそうに告白《こくはく》した。

　少《すこ》し考え込んだ彼女が、無言《むごん》で戻ってくる。僕の顔を不思議《ふしぎ》そうにのぞき込み、うめくような声をもらしながら、軽く首をひねった。

　彼女の疑問《ぎもん》が何であるのか、何に納得できないのか。この時は見当《けんとう》もつかなかった。