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奇妙な契約（後）

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　途端《とたん》に室内《しつない》が重苦《おもくる》しい沈黙《ちんもく》につつまれた。

　冗談《じょうだん》が嫌いなタイプなのだろうか。異形《いぎょう》の生物《せいぶつ》は、まばたきを忘れてしまったかのように、象徴《しょうちょう》的な単眼《たんがん》をこおりつかせた。どこか非難《ひなん》するような視線《しせん》から、たまらず目をそらした。

「もう少《すこ》し詳《くわ》しく説明させていただきます。この能力を用《もち》いますと、人の感覚はもちろんのこと、重力《じゅうりょく》や摩擦《まさつ》、慣性《かんせい》といった物理《ぶつり》法則《ほうそく》の制御《せいぎょ》、気温《きおん》や気圧《きあつ》、風といった自然《しぜん》現象《げんしょう》さえ操作することが可能となります」

「ん？」

　疑問《ぎもん》の声を上げざるを得なかった。不服《ふふく》な点は何一つない。夢のような能力だと思う。仮《かり》に、そんな能力を手に入れたら、目立《めだ》つことが嫌いな自分でも、世界《せかい》征服《せいふく》をめざしてしまいそうだ。

　けれど、こちらの質問に返答せず、押《お》し売《う》り的なセールストークをかさねられると、重大《じゅうだい》なデメリットを隠《かく》していると勘《かん》ぐってしまう。

　こっちの声が相手に届《とど》いていない。もしくは、録音《ろくおん》された音声《おんせい》を、一方《いっぽう》的に流しているだけだろうか。そんな疑問が頭をかすめ、試《ため》しに、別の質問をぶつけてみる。

「その異《い》世界《せかい》というのはどこにあるんですか？」

「その名の通り、この世界と決してまじわることのない、別個《べっこ》の領域《りょういき》に存在《そんざい》しておりますが、物理的には領域を接《せっ》しております」

　今度は質問にそった返答だ。ただ、中身《なかみ》は理解に苦《くる》しむもので、考察《こうさつ》するのもバカらしかった。

「明日も学校があるので、今回は遠慮《えんりょ》させ……」

　話を切り上げようとすると、言い終わらないうちに言葉をかぶせてきた。

「その点につきましては、ご心配に及びません。異世界へご招待《しょうたい》するのは、あなた様が睡眠《すいみん》されている間のみ。明朝《みょうちょう》には、私が責任《せきにん》をもってこちらの世界へお返しし、日常《にちじょう》生活に一切《いっさい》影響《えいきょう》をおよぼさないことを、お約束いたします」

　僕の心はゆれていた。『異世界旅行』の招待を受けるかどうかではなく、現在の状況《じょうきょう》と、どれだけ真剣《しんけん》に向き合うべきかを。

　この生物は見た目からしてあやしい。けれど、自分が喜びそうなツボを、的確《てきかく》に押さえていることはまちがいない。だからこそ、この話を受けるのは、悪徳《あくとく》業者《ぎょうしゃ》の口車《くちぐるま》に乗せられるようで、何だかくやしい。

　一方で、この夢をこのまま終わらせるのはもったいないと思った。

　引っかかっている点は、何の見返《みかえ》りもなしに、『異世界旅行』とバーゲンセールのような能力が提供《ていきょう》されること。それと、不《ふ》自然《しぜん》なほど、相手が勧誘《かんゆう》に躍起《やっき》となっていること。以上の二点があやしさを倍増《ばいぞう》させている。

　この点を問いただすと、次の回答《かいとう》があった。

「我々(われわれ)が住む世界には、『転覆《てんぷく》の巫女《みこ》』と呼ばれる高貴《こうき》な御方《おかた》がいらっしゃいます。行方《ゆくえ》の知れない彼女をさがし当て、命をねらう者達から、彼女の身を守ってほしいのです」

　胸《むね》がすくほど腑《ふ》に落ちた。この生物は助けを求めているのだ。能力を用いて戦う勇者《ゆうしゃ》を欲《ほっ》していたのだ。ファンタジーっぽい人物名が飛び出し、向こうの動機《どうき》も判明《はんめい》した。不審《ふしん》な点は残らず払拭《ふっしょく》され、ためらう理由がどこにあるのだろう。

「わかりました。招待を受けます、僕にまかせてください」

　物語《ものがたり》の主人公になった気分《きぶん》で、清々(すがすが)しい笑顔《えがお》で快諾《かいだく》した。目覚《めざ》まし時計がいつ水をさしてくるかわからない。いち早く異世界へ出発したかった。

「ありがとうございます。契約《けいやく》の締結《ていけつ》にあたり、あなた様には、三つの注意《ちゅうい》事項《じこう》に同意《どうい》していただかなければなりません」

　唐突《とうとつ》に相手の声色《こわいろ》が変わった。僕は反射《はんしゃ》的に身がまえた。

「一つ、目的の達成《たっせい》にいたるまで解約《かいやく》することはできません。

　一つ、異世界における事象《じしょう》、出来事《できごと》はこちらの世界において話すことができません。同様《どうよう》に、こちらの世界における事象、出来事は異世界において話すことができません。

　一つ、機密《きみつ》保持《ほじ》のため、私および契約に関する記憶《きおく》は全て抹消《まっしょう》させていただきます」

　先《さき》ほどと打って変わって、事務《じむ》的で抑揚《よくよう》のない口調《くちょう》。どれをとってもこちらに不《ふ》利益《りえき》な内容なので、できることなら、ふせておきたかったのだろう。

　気持ちは理解できた。だけど、急《きゅう》に現実《げんじつ》的な話を持ち出され、雰囲気《ふんいき》を台無《だいな》しにされたというのが、偽《いつわ》らざる思いだ。

「そのぐらいなら……」

　僕は渋々(しぶしぶ)ながら同意した。内容を深く吟味《ぎんみ》することなく――。少し冷《さ》めた気分になって、一瞬《いっしゅん》相手から視線をはずした。

　その矢先《やさき》、異形の生物が思惑《おもわく》ありげにスッと目を細めた。あたかもほくそ笑《え》むかのように見え、これまで感情らしい感情を見せなかった相手が、唯一《ゆいいつ》見せた感情表現だったかもしれない。

　そして、ひと際《きわ》長いまばたきを見せた後、従来《じゅうらい》の陽気《ようき》な声を取り戻して、こう述《の》べた。

「契約が成立《せいりつ》しました。最後に一つだけ注意点がございます。能力の使いすぎにはご注意ください。身をほろぼす可能性があります」

　そんなおどし文句《もんく》を残し、異形の生物は前《まえ》ぶれもなく煌々(こうこう)と光を発し始めた。まぶたを開け続けることさえ許さない、肌《はだ》に突きささるような強烈《きょうれつ》な光が、全身《ぜんしん》にあびせかけられる。

　数秒間続いた発光《はっこう》がおさまると、異形の生物はこつ然《ぜん》と姿を消していた。しかし、この時の僕はそれが知覚《ちかく》できていない。

　なぜここにいるのか、今までここで何をしていたのか。それがまるっきり思い出せない。白昼《はくちゅう》夢《む》でも見ていた気分になり、キツネにつままれたような顔で部屋を見回《みまわ》す。

　部屋にも記憶にもモヤがかかっているようだった。自分の部屋のようで自分の部屋でない。そんな違和《いわ》感《かん》がぬぐえなかった。

　ふと開けはなたれた引き出しに気づく。中では不吉《ふきつ》な黒煙《こくえん》がうごめいていた。

「何だこれ」

　黒煙――異形の生物が残した痕跡《こんせき》をあわてて手ではらいのける。ところが、それは風圧《ふうあつ》で多少《たしょう》舞い上がる程度《ていど》。たちまち、元の場所へ沈殿《ちんでん》していく。

　これはどう考えても夢だ。バカらしくなってベッドに寝ころぶ。その途端、強烈な眠気《ねむけ》におそわれる。抵抗《ていこう》することなく、それに身をまかせた。夢の中で眠《ねむ》るなんて不思議《ふしぎ》な気分だ。そんなことを考えながら、眠りに落ちた。

　この時の自分は、あまりに軽率《けいそつ》だったと思う。僕がとる行動を、彼らはどこまで見越《みこ》していたのだろう。これは周到《しゅうとう》に仕組《しく》まれた罠《わな》だったのだ。