奇妙な契約(前)
◇
この自身の目にしか映らない奇妙な物体を、自宅へ持ち帰ることにした。これには軽いトラウマを植えつけられたけど、好奇心がほうっておくのを許してくれなかった。
帰り道の最中、自転車の前カゴにおさまるそれは、ちょっとした段差を乗り降りするたびに、飛びはねたり、中をころげ回っていたけど、自ら動き出す様子は見せなかった。
自宅に帰り着くと、ふいに母から呼び止められ、今日は自分の誕生日だと告げられる。今さらながら、ささやかな感慨にふけるも、目下の関心は両手の中のこれにしかない。生返事をして、自室のある二階へかけ上がる。
物体を勉強机の中央へ丁重に配置し、穴のあくほど見つめてみる。明るい室内でも、新たな発見はない。黒ずんだ表面と、惑星の周囲をただようチリやガスのような黒煙が、それを困難にしていた。
刺激を与えたらどうだろう。指先で突っついてみると、わずかに弾力性があった。次に机の上をころがしてみる。物体にまとわりつく黒煙は、少し遅れてついて来た。
(何だか、蒸気機関車みたいだ)
その様子がツボにはまってしまい、意味もなくそれをくり返してしまった。ただ、無意味と思われた行為によって、一つだけ発見があった。物体は黒煙をすい寄せるだけでなく、微量ながら表面のいたるところから噴出していた。
この点をふまえると、生物の可能性が高く、物体と呼ぶには語弊があるかもしれない。手の込んだオモチャという可能性は、なきにしもあらずだけど。
◇
それからは、特段の発見も変化もなかった。生物らしきものへの興味はしだいに失われ、読書やゲームの合間に、時々視線を送るだけになった。
一階で夕食を済ませた後、日中の疲れを取るため、リビングのソファで仮眠をとった。うつらうつらと、おぼつかない足取りで部屋へ戻る。
すると、戸口に近づいただけで胸騒ぎがした。
――室内に何かがいる。
不吉な予感で足がすくんだ。部屋からもれ出る不穏な気配で、全身に悪寒が走った。および腰で部屋へ近づき、電気をつける。
「うわっ!」
一時間足らずで、室内の様相が一変していた。目に飛び込んできた異様な光景にふるえ上がり、思わず飛び上がりそうになった。
大きく開けはなたれた机の引き出しから、幾筋も黒い煙が立ちのぼっている。それらの頂点に目を移す。先ほどまで微動だにしなかった例の物体が鎮座していた。
まるで、引き出しに根を張るかのような不気味な形態。かすかにゆらめく煙の筋は、脈動する血管にも見え、それが生物に他ならないと思い知った。
勇気を出して、部屋の中へ足をふみ入れる。壁に背をあずけながら、ささいな動きも見逃すまいと、警戒の目をそそぎ続ける。
根元へ目を落とすと、引き出しの隅々まで黒煙が充満していた。それから、得体の知れない生物が見せるかすかな上下動に、しばらく目を奪われた。
平常心を取り戻しつつあった矢先、体表の大半をしめるほどの巨大な瞳が、異形の生物の中心に見開かれた。戦慄で身の毛がよだち、またもや「わっ!」とさけび声を上げてしまった。
正気を失う一歩手前だった。そんな自分を落ち着かせるかのように、カランコロンと、どこからともなく軽快な鐘の音が聞こえてきた。
◇
「オメデトウゴザイマース!」
次に耳に届いたのは、目前の生物が発したと思われる声。まがまがしい姿とは不釣り合いの、陽気で調子のはずれたものだった。
「あなた様は見事ご当選されました。ぜひとも異世界へご招待したいと思います」
姿、声、発言内容。どれを取っても、不気味さは天井を突きぬけていた。けれど、ゆるキャラのような声に、不思議と心が解きほぐされた。
「……ありがとうございます」
丸くした目を異形の生物にそそぎながら、わけもわからないまま返答した。
きっとこれは、両親からのサプライズプレゼントに違いない。といった、突拍子もない発想にはいたらなかったけど、現実かどうか疑う程度の思考は働いた。夢だと思えば、目玉の怪物にも愛嬌が感じられてくる。
着々と平常心を取り戻し、冷静に現状分析を試みる。最大の疑問は、この夢がいつから始まったのか、ということ。ソファで仮眠をとった時? この生物を運動公園で発見したこと自体、夢だったのだろうか。
「仮に、この度のご招待を受諾していただいた場合、特典といたしまして、〈悪戯〉と呼ばれる能力を、あなた様へプレゼントいたします。この能力は、周囲十メートル以内の空間を、自分の意のままにあやつることができる、大変すばらしいものになっております」
まだ幼かった頃、こんな感じの空想をふくらませていたのを思い出す。違うのは、話をしている相手が、グロテスクな見た目であることぐらいかな。
突如として部屋に現れた妖精が、夢の世界における冒険へいざなう。物語としては使い古された感があるけど、思わずなつかしさで頬がゆるむ。
それと同時に、これが自分の潜在的な願望だと考えると、少し恥ずかしくなった。大まじめに取り合うには、年齢を重ねすぎてしまった。
「他の商品は選べないんですか?」
向こうの能天気な調子に合わせ、ユーモアたっぷりに返答した――つもりだった。