運動公園(後)
◇
足がひとりでに動き出した。談笑する三人を尻目に、そこへすい寄せられるように向かう。
近くまで行って確信した。見まちがいでも目の錯覚でもない。茂みから立ちのぼる黒い煙が、ゆらゆらと風になびいている。
煙の出どころを用心深くのぞき込む。すると、野球ボール大の物体が、草むらに身をうずめていて、煙をあげているのもそれらしい。火の不始末だろうか。
けれど、それに火の気はなく、また煙くささもない。謎の物体の頭上へ念入りに手をかざし、熱を発していないのを確認してから、両手で慎重にすくい上げた。
奇妙な物体を食い入るように観察する。ピクリとも動かない。生き物には見えない。けれど、人工物とも思えなかった。形はほぼ球体に近い。手ざわりから、表面にトゲのような突起が無数にあることがわかった。
見た目以上に不可解なのは、物体をつつみ込む黒い煙だ。指を使ってはらいのけられるのに、物体の重力に引き寄せられるかのように、元の場所へ戻ってしまう。まるで物体が呼吸しているように見えた。
「どうした、太田くん」
「変なものを見つけたんです」
土井先輩が近くまで様子を見に来た。両手におさまるそれを、差し出すように見せる。ところが、土井先輩は一瞬そこへ視線を落とした後、こう真顔で言った。
「何もないじゃないか」
「……見えないんですか?」
僕は眉をひそめた。とうてい見落とせる大きさではない。お互いにキョトンとした顔で見つめ合う。物体に顔を近づけた土井先輩が、目と鼻の先にあるそれへ目をこらす。
どうやら、小石程度の大きさと勘違いしている。はたから見ても焦点が合っていないし、今にも鼻先がぶつかりそうだ。
ヒヤヒヤとした思いで見守っていると、物体の周囲をただよう黒煙が、呼吸の拍子に、土井先輩の鼻へすい込まれていった。
「先輩、すい込んでますよ!」
あわてて物体を引き離した。眉間にシワを寄せた土井先輩が「何を?」と怪訝な眼差しを向けてくる。
相手の表情はけわしい。からかっているとは思えない。これが本当に見えていないようだ。もしそうなら、悪ふざけをしているのは僕ということか。
もう一度、注意深く物体に目を向ける。やはり、目の錯覚ではない。言いようのない薄気味悪さが、胸にこみ上げてきた。
上目づかいで、相手の顔色をうかがう。ちょうどその時、さっき鼻から取り込まれた煙が、体内をめぐりめぐって舞い戻った。不覚にも吹き出しそうになった。とっさに顔をふせ、懸命に笑いをこらえた。
「どうしたの?」
「太田くんが何かを見つけたそうだ」
小谷先輩が辻さんを連れてやって来る。土井先輩の声にはイラ立ちがにじんでいた。
「これなんですけど……」
オズオズと両手を前に差し出す。小谷先輩の反応は土井先輩とウリ二つだ。何も言わず、無表情の顔をこちらへ向ける。
対して、左右に体をゆらす辻さんは、様々な角度から物体をながめている。ただ、手の甲から爪の先まで、くまなく探し始めたので、目の前の物体は目に入っていないようだ。
辻さんの動きに気を取られていると、ふいにシャッター音が鳴りひびいた。目を向けると、小谷先輩がこちらに向けてスマホをかまえている。そして、それを裏返して画面を見せた。
「何か見える?」
画面に映っていたのは、お椀を形作る自分の両手のみ。目に映っている物体が、写真では影も形もない。自分の感覚だけがまちがっていると、受け入れざるを得ない。けれど、単なる幻覚と片づけるのは、簡単ではなかった。
もしそうなら、この両手に感じる重みとかすかなぬくもりは、何だというのだろう。とはいえ、他人との感覚のズレに、筋の通った答えを見出だせるわけもなく、心にポッカリと穴があいたようだった。
「見えます。私には見えますよ、先輩。それはハートの形をしていますね?」
おどけた辻さんの発言で我に返る。たぶん、場の雰囲気をなごませようと言ってくれたのだろう。だけど、いたって真剣な自分にとっては、気休めにもならず、苦笑でやり過ごすしかなかった。
「念のために聞いておくけど、どんな形をしているんだい?」
「球体で大きさは野球ボールくらい。表面は真っ黒で、煙っぽいのがまとわりついてます。黒いマリモ……みたいな感じでしょうか」
大まじめに説明してみたけど、全員の反応はもちろん思わしくない。姿が見えていないのなら当たり前か。
ただ、土井先輩はオカルト魂がうずくのか、物体がおさまる僕の両手を、未練たっぷりに凝視し続けた。
「もうそろそろお開きにしない?」
沈黙をやぶった小谷先輩の発言は、僕にとって救いの言葉となった。