文芸部(後)
◇
「それで、今ここにいるということは、異世界へは日帰り旅行だったってことか」
皮肉たっぷりな口ぶりとはいえ、思いがけず本題に入ってくれた。
「はい」
顔をほころばせ、前のめりになって答えた。
「その異世界はどこにあるんだ?」
「どこにあるかはわかりません。寝たら異世界に到着していましたから」
「そうか……。要は、君の心の中にあるというわけか」
毒舌に拍車がかかってきた。からかっているような内容だから、許容すべきか。
その後、種明かしとばかりに、起床から就寝まで一本につながった、夢とは思えない内容だったと説明した。
「何だ、そういうことか」
何だかんだで話題を楽しんでたのか、土井先輩は肩を落とした。
「昨日の話ですか?」
音もなく近づいてきた辻さんが話に加わった。
「もっとスゴい話だよ。あの後、太田くんは異世界へ連れて行かれたそうだ」
「そうなんですか!?」
辻さんが目を輝かせながら食いついた。ここまで手放しにおどろいてくれると、素直にうれしいけど、だましているようで気が引ける。
「夢の中での話だけど、まるで物語の世界に入り込んだような内容だったんだ。このまま現実に帰れないんじゃないかって、途中で不安になるぐらいの」
「夢の話ですか……」
「どんな世界だったんだ?」
「それは私も聞きたいです」
「えーとですね」
考えを頭の中でまとめて、意気揚々と話し出そうとした瞬間、のどを鷲づかみにされる感覚におそわれた。のどで言葉がせき止められたかのようだ。
「あれ……、声が出ない」
なぜか、その言葉は声となって現れた。気を取り直して、話を切り出そうとするも、再び同じ感覚が牙をむいた。
「ここまで出かかってるのに、なぜか言葉にならないんです」
ただ事ではない。違和感の根源であるのどへ手を当てた。
「いや、言葉になってるみたいだけど?」
コントのような応酬をしても、全く気が休まらない。
声をしぼり出すように、口をパクパクさせても、にっちもさっちもいかない。やむなく、ジェスチャーをまじえて伝えようと試みた。
始めに両手で家の形をえがく。
「家ですか?」
辻さんがあっさり意図をくんでくれた。上機嫌でうなずきを返すも、家の形は日本と大差ないことに気づく。
端的に世界観を表すものとして、次はゾンビを選ぶ。弛緩させた両手を前方へ突き出し、ゆっくり上半身をゆらめかせた。
「幽霊ですか?」
辻さんの回答は、当たらずとも遠からず。首を横に振ってから、動作にみがきをかけた。けれど、次の答えが続かない。
残っているのは魔法しかない。カッコつけながら右手を突き出し、先から炎がふき出す様子を、左手で表現する。もう完全に破れかぶれだった。
「何を伝えたいのか全然わかりません! もどかしいです!」
辻さんが業をにやす。自分の誰かに伝えたい気持ちも露と消えた。
「太田くん」
自分の席で静かに本を読んでいた小谷先輩が、ふいに声をかけてきた。
雑談が長引くと、小谷先輩はそれを注意するアクションを起こす。例えば、せきばらいだったり、本のかどで机をコンコンと小突いたり。直接口で注意してくることもある。
文芸部ではそれが恒例の風景となっている。顔色からご機嫌をうかがうと、まだ許容範囲だと思った。
「太田くんのこと、もう少し普通の子だと思っていたんだけど」
小谷先輩が頬にかかった横髪をかき上げて、手なずけるような眼差しを向けてくる。
この目にはめっぽう弱い。普段なら、口答えする素振りすら見せなかっただろう。僕は従順で、この上なく聞き分けの良い後輩だった。
「普通でないことが自分の身に起こったんです」
鬱憤がたまっていたので、この時はめずらしく反抗した。小谷先輩は飼い犬に手をかまれたような表情を見せたけど、何も言わずに手元の本へ目を戻した。
「その様子だと、相当つまらない場所だったようだね」
「つまらなくはなかったです。ありきたりと言えば、ありきたりでしたけど」
「それなら、向こうで憂鬱なことでもあったのか?」
「はい。何だか迷惑をかけてばかりで、何も返すことができなかったんです」
「先輩、話を続けましょう。もっと掘り下げましょう」
辻さんが物足りない様子で言った。
「まだ異世界の設定がねり上がってないんだよ。辻くん、察してあげてくれ」
「違いますよ」
僕は憮然と言った。ただ、強硬に反論する気力はわいてこなかった。
◇
その日の夜はなかなか眠る気になれなかった。依然として、昨日の夢の記憶は鮮明。死ぬまでおぼえているんじゃないかってくらい。
このまま寝れば、昨日の夢の続きを見る。今度こそ、現実に戻って来れないもしれない。そんな不安が胸にくすぶり続け、眠るのをためらった。
昨日早寝した分を取り戻そうという思いもあった。長らく放置した読みかけの小説まで引っぱり出し、いたずらに時間をつぶした。
しだいにあくびの回数が増えていく。ふと時計に目をやると、時刻は十二時にせまっていた。意を決して、ベッドへ横になった途端、強烈な睡魔におそわれる。
日頃の寝つきの悪さが嘘のようだ。有無を言わさず、ベッドへ引きずり込む力――底なしの闇に落ち込むような感覚に恐怖しながらも、あらがいようのない力に身をゆだねた。




