スカイダイビング(前)
◆
トランスポーターは辺境伯の視界を通じて、鎮座の間の様子をうかがい続けた。しかし、どういうわけか、相手の視点がフラフラと定まらない。
ウォルターとパトリックの二人が、口論を始めたのはわかったが、足もとへ目を落とす時間が長く、全く状況がつかめない。見続けることに苦痛を感じて中断した。
『転覆の魔法』が解除されたとはいえ、すぐに巫女を発見できると考えるほど、彼は楽観的でなかった。
(先にあっちを片づけるか)
彼はターゲットを切りかえた。作戦の開始前から、ひそかに画策していた計画。一応の目的を果たし、相手との敵対をためらう理由がなくなった。
ターゲットは自身が市街まで送り届けた。そのため、だいたいの居場所はわかっている。〈転送〉で屋根をつたって、その場所へ向かった。
『転覆』によってゾンビ化が始まり、通りに人が出てきていた。その途中、悲鳴や断末魔のようなさけび声が、ひんぱんに耳に届き、何度も足を止めた。市街では本格的な殺戮が始まっていた。
肩を怒らせながら通りを進むゴーレムを、苦々しく見下ろす。心情的にあれを仲間と思いたくなく、心の底から嫌悪していた。
ターゲットを送り届けた場所――南地区の小さな一軒家へ到着したが、屋内にも屋外にも、その姿はなくなっていた。
とはいえ、相手は〈転送〉を使えない。そう遠くない場所にいると考え、周辺を重点的に捜索した。
すると、不審な一体のゴーレムを発見した。それは路上に座り込んで微動だにしない。真上へ目を移すと、ターゲット――ネクロを発見した。
そこは周辺の建物より、ひと際大きく、三階建てで屋上もある。屋上のへりに腰かけたネクロは、外へ投げ出した両足をブラブラとゆらしていた。
護衛のゴーレムが待機しているからか、身を隠していない。鼻歌でも歌っていそうな様子で、街をながめていた。
トランスポーターは近くまで移動し、背後から静かに歩み寄った。ネクロは接近する足音に気づいたが、後方をチラッと見ただけで、すぐに視線を前に戻した。
「ご苦労様です。見事にやりおおせたようですね」
「やったのはインビジブルだ。僕はトリックスターと遊んでいただけさ」
「そうですか。私にしてみれば、どちらでもかまわないんですけどね」
「それで、そっちの状況はどうなんだ?」
「順調です。始めは苦戦しましたが、ひと度くずれるとモロいものですね。今はコソコソと逃げ回る魔導士どもを、ハンティングしているまっ最中です。この手で魔導士どもをひねりつぶすのは、えも言えぬ体験ですよ。ぜひ、あなたにも味あわせてあげたいです」
相手が背中を向けているのいいことに、トランスポーターは敵意をむきだしにした。
「それにしても、こうもあっさり『転覆の魔法』を解くとは。インビジブルはよほど有能なお方らしい。この国の魔導士だったとは思えませんよ。それで、肝心の『あの女』は見つかりましたか?」
「それはわからないな。十数年間、いくら探しても見つからなかった相手だ。箱をひっくり返したからといって、簡単に見つかるとは思えない。これから気長にさがせばいいだろ」
「それもそうですね。ただ、『あの女』の捜索には手を貸せませんよ。さすがのゴーレムも、見ず知らずの人物をさがしだすことはできないのです」
最初から期待していなかったため、トランスポーターはどうでもいいといった様子でそっぽを向いた。
「これからどうするつもりだ?」
「ここで引き上げるのもバカらしいですから、しばらく遊んでいきます」
「そうすると、このまま無益な殺戮を続けるつもりか?」
「無益かどうかは見解の相違があります。魔導士どもは『あの女』の飼い犬ですから。だったら、こうしましょう。普通の人間はともかく、魔導士どもは皆殺しにする。それでどうですか?」
ネクロはゲスな笑みをうかべ、相手を一瞥した。トランスポーターはたくらみを気取られないよう、とっさに顔をそむけた。
◆
「そうだ。君に見せたいものがあるから、ちょっと一緒に来てくれないか」
トランスポーターはそう言って近づき、ネクロの腕に手をかけた。自身の〈転送〉に巻き込むためには、同意を得るか、五秒以上接触しなければならない。
「かまいませんよ」
ネクロは怪訝そうにしながらも、素直に応じた。
二人がレイヴン城の方向へ移動をくり返す。ネクロが連れて行かれた先は城壁の隅に位置する城壁塔のてっぺん。そこは足場が一人分しかない。
地上からの高さはおよそ三十メートル。トランスポーターはかけていた手の逆の手で胸ぐらをつかみ、ネクロを細い一本の腕で宙づりの状態にした。
ネクロが苦笑しながら、眼下を見下ろす。ほぼ垂直に切り立った城壁に足がかりはなく、真下には水堀が見えた。
トランスポーターは〈一極集中〉を用いているため、腕への負担はほとんどなく、涼しい顔をしている。
「どういうつもりですか? こんなことをされて喜ぶ趣味はないんですが」
以前から、敵意を感じていたためか、ネクロの動揺は少ない。ジタバタとムダな抵抗をせずに、相手の腕に身をゆだねた。
「もう私は用済みってことですか?」
意味深な笑みを見せたが、トランスポーターは何も答えない。それが頭にきたのか、ネクロは口調と声色を一変させた。
「誰の意思だい? 心よりの軽蔑を送りたいのだが、誰に送ればいいのかな? 君でいいのかな? それとも、ローメーカーに送ったほうがいいのかな?」
「どうだろうな」
「いや、これは君の独断だ。あの賢明な男が、現段階で我々を切り捨てるとは考えづらい。我々の力をノドから手が出るほど欲しがったのは、あの男じゃないか」
トランスポーターは鼻で笑うにとどめ、暗に認めた。
「始めから食えない男だと思っていたが、ここまで大胆な行動に打って出るとは予想していなかったよ。しかし、ローメーカーは落胆するだろうな。君のことを一生許さないかもしれない」
「それならそれでかまわないさ。元々、彼とは反りが合わなかった。それに、先に約束を破ったのは彼のほうさ」




