転覆の時(前)
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ウォルターとトランスポーターが出会ったのは、レイヴン城の正門にほど近い場所。戦闘が始まったのもそこだった。
しかし、まばたきさえ許さない、壮絶な追いかけっこが展開された結果、二人は東地区のはずれまでやって来ていた。街なみは様変わりし、周囲には民家が増えた。
ウォルターは意識的に『かまいたち』を攻撃に用いた。どうしても空中飛行に風の魔法が必要なため、それが最もスムーズに攻撃へ移れるからだ。
通常、属性の切りかえには一秒もかからないが、多少は神経を使う。風の魔法が一番使いなれていたことに加え、その次に得意とする火の魔法は、人家に引火する危険がある。
しかし、もはや四の五の言っている状況ではない。『かまいたち』は決め手に欠け、敵に与えるダメージも脅威も小さい。威嚇によって、敵をひるませるため、火の魔法に切りかえた。
にえたぎるマグマのような『火球』が飛びかい始めると、トランスポーターの表情から余裕が消えた。今は苦悶に近い表情さえ垣間見せる。
ウォルターは足を止めることなく、がむしゃらに敵を追いかけた。相手の鬼気せまる表情に、トランスポーターは身の毛のよだつ思いを感じた。
(本格的に嫌われちゃったかな)
協力関係を結びたかった相手だけに、後悔の念があった。たとえ捕まっても命ごいをすればいいと、高をくくっていたが、このままでは殺されかねないと危ぶんだ。
ウォルターの様子は常軌を逸している。それが先ほどの挑発を受けての怒りなのか、巫女の敵に対するものなのかは、はっきりしない。
トランスポーターの脳裏に退却の二文字がチラついた。そんな時、彼に救いの女神が現れた。ウォルターにとっては間の悪い横槍となった。
『ウォルター? スージーです』
『……何?』
『学長がですね、今にも殺されそうだから、〈止り木〉の最上階まで来てほしいって』
手の放せない状況でも、聞き流せる内容ではない。ただ、物騒な内容のわりに、スージーの声に切迫感がなかった。
『どんな状況なの? 今は一緒にいるの?』
『今、一緒に階段をのぼっています』
『わかった。今から、そっちに行くと伝えて』
ウォルターが相手ににらみをきかせた。トランスポーターはひと息つけたことで、安堵の表情をうかべた。
「何か、あったみたいだね」
ウォルターは問いかけに答えず、未練たっぷりの視線を投じた後、やむなくレイヴン城へ足を向けた。
◇
〈止り木〉の頂上――鎮座の間へ向かう途中、スージーと『交信』を重ねた。
『詳しく状況を教えて』
『よくわかりません』
『学長と一緒にいるんじゃないの?」
『一緒にいますけど、どんどん先に行っちゃって、話しかけられる雰囲気じゃないんです』
『敵はいないの?』
『私には見えません』
スージーからは歯切れの悪いコメントしか返ってこない。ただ、敵の能力者が一緒にいると見当をつけた。
〈止り木〉の頂上付近に窓が見えるので、空中飛行で直接向かうことも考えた。けれど、遠目からでは人間が通れるかどうか確信が持てない。
地上から向かうことにし、うんざりするほど長い階段をのぼって、鎮座の間の前に到着した。スージーは扉の正面に位置する窓から、一人で外をながめていた。
「ウォルター、こっちです」
部屋の中へ案内されると、聞いていた話との違いにとまどった。ある意味、スージーのつかみどころのない反応に納得がいった。
こちらに背中を向けたパトリックは、美術品でも鑑賞しているかのようだった。その先で巨大な宝珠が神秘的な輝きを放っていたけど、それに関心が向かないほど、奇妙な雰囲気を感じた。
こちらの到着に気づいたパトリックが歩み寄ってきた。気がぬけるほど、足どりは落ち着いている。
中へ足をふみ入れた直後、別の人物の存在に気づく。扉のそばで、壁に背をあずけていた男と視線が交差した。
服装から敵の能力者と判断し、とっさに身がまえた。けれど、リラックスした相手の様子が迷いを生じさせた。
「お前が噂のトリックスターか?」
露骨に顔をしかめた。自分を能力名で呼ぶのは敵にかぎられる。それにイラ立ちはつのる一方だった。
「……誰ですか?」
「件の辺境伯です」
この人が……。〈不可視〉のことがあるから、敵方にいることは予想されていたけど、まさか敵としてここに現れるとは。防具をつけていて物々しいけど、トランスポーターと服装が似ている。
辺境伯は身がまえもせず、何かを待つようにこちらを見ている。敵として、ここに来たんじゃないのか。一向に状況が飲み込めず、ますます頭が混乱した。
「これが何度かお話した『源泉の宝珠』です。これによって、巫女はこの国全土に『転覆の魔法』を展開しています」
「はあ……」
宝珠を見上げながら、気のない返事をした。何だろう、こののんびりとした空気は。今はそれどころじゃないのに。
「見たことありませんか?」
「……ありませんよ」
意味深な問いかけに、探るような目つき。何が言いたいんだ。辺境伯を振り向くと、彼も似たような目つきをしていた。
「それより、状況を説明してください」
「ウォルターに、その『転覆の魔法』を解いてもらいたいと思い、ここへ呼び寄せました」
「えっ? ……何のためにですか?」
「天地を――この国をあるべき姿に戻すためです」
「〈悪戯〉でやるってことですか?」
「まあ、そうなるでしょうか」
パトリックは含みのある言葉で煙に巻いた。何かを隠している。裏があるのはまちがいない。この非常事態に何をたくらんでいるんだ。
「もっと、ちゃんと説明してください」
「あそこの辺境伯と取引をすることになりました。『転覆の魔法』を解けば、岩の巨人を引き上げさせると約束してくださいました」
辺境伯を一瞥した。相手に変わった様子はない。けれど、途端に入口でこちらを見張っているように感じられた。
「それは学長の意思ですか? それとも、おどされて言わされているんですか?」
「どちらとも言えます」
「……そんなことできません。たとえ自分にできたとしても引き受けられません」
「理由を聞かせていただけますか?」
「それによって起こりうる結果に責任が持てません。第一、今そんなことをしてる場合じゃないでしょ。みんな戦っているんですよ!」
「『転覆の魔法』を解ければ、戦闘は終結します」
「攻め込んできた連中の言うことを信用するんですか。戦場に戻ります。あの人をどうにかしてほしいのなら、この場で僕がどうにかしますよ。岩の巨人だって、全部自分が相手します」
敵意をむきだしにして、辺境伯をにらみつけた。
「おもしろい」
辺境伯が壁から背を離し、瞳に闘志を宿らせた。
「彼をあなどらないでください。ジェネラルがなすすべもなく敗れたそうです」
だから、何だって言うんだ。強敵だから、いさぎよく手を上げろっていうのか。




