ベレスフォード卿(前)
◇マークは一人称を、◆マークは三人称を表します。
◆
貴族の男――名前はベレスフォード卿と言う。彼は五大貴族の一つ〈水の家系〉の重鎮だ。
水運、水産業に絶大な影響力をほこり、豊富な資金力を背景に、この国で指折りの権勢を手に入れた。
彼はある交渉を進めるため、このメイフィールドへ足を運んだ。ここを訪れるのは、今日が初めてではない。
一度目の交渉はあえなく失敗。二度目は病気を理由に面会を断られた。そして、本日が三度目の交渉になる予定だった。
ウォルターが交渉内容について知ったのは、ずいぶん後になってからだ。
前回に引き続き、面会自体を断られたため、彼はイラ立っていた。病気はその場しのぎの嘘にすぎないと、強硬な手段に打って出た。
アシュリーが仮病なのは事実。彼女の行為は非礼に当たるだろう。けれど、十代なかばの少女が、老獪な人物と渡り合えるわけもなく、やむを得ないことだろう。
二人組はベレスフォード卿のもとで働く水夫。二回目に訪れた際に、村人達と一触即発の事態におちいったため、用心棒として彼らを同行させた。
ベレスフォード卿は周到に準備を重ねていた。しかし、相手と交渉の場を持てなければ、何も始まらない。
攻め手を欠き、行きづまりを感じた彼が、やっとの思いで見つけた足がかり――それがウォルターだった。
◆
アシュリーの部屋を出て、少し行けば大広間に出る。そこの階段を降りれば、すぐに正面玄関。現場に到着するまでに、ウォルターは三十秒とかからなかった。
「待ってください!」
ウォルターは正面玄関から外へ出て、にらみ合う両者の背後から声を上げた。
二階で見ていた時点から、ほぼ状況に変化はない。ベレスフォード卿がダイアンのほうへ数歩進み出たくらいだ。村人達が鉄製の農具をかまえ、その行く手をはばんでいた。
「あいつです!」
小太りの男がすかさず反応を示した。
「やはり、この屋敷の関係者だったか」
ベレスフォード卿はしたり顔で言った。ダイアンに対する興味が、彼の頭から瞬時に消え失せた。
(迂闊だった。無我夢中だったから、そこまで気が回らなかった)
いったん、通用門から外へ出て、正門に回ってくるべきだったかもしれない、とウォルターは反省した。
「それは違います。その人達に追いかけられていたところを、たまたまかくまってもらっただけです」
「それならそれでかまわない」
ベレスフォード卿があっさり引き下がる。彼には切り札があった。
「君は魔法が使えるそうだな」
ウォルターは痛いところをつかれ、だまりこくった。職務外における魔法の行使は法に問われる――ウォルターにとっては寝耳に水の話だ。
しかし、知らなかったでは済まないのが法律だ。
「ここにいる二人が、君から魔法を行使されたと証言している。まちがいはないか?」
「……自分は魔法が使えません。勘違いじゃないでしょうか」
ウォルターの作戦は単純で、自身の能力が魔法でないと主張すること。現に、魔法の知識や素養はなく、弁解の余地が十分にあった。
「勘違いじゃありません。こいつの胸ぐらをつかんでいたら、いきなり体が宙へうき出したんです。しかも、二人同時にですよ」
「俺はこいつにふれてすらいなかったんです」
二人組がまくし立てるように反論した。
「彼らはこう言っているが?」
「それは事実です。でも、僕の仕業だという証拠はありますか? そもそも、本当にそれは魔法によるものでしょうか」
「……魔法でなければ何だと言うんだ?」
この問いには押しだまるしかない。所詮苦しい言いわけだ。〈悪戯〉が何であるか、ウォルター自身、理解も認識もしていない。
それよりも、ベレスフォード卿がターゲットを自分にしぼっていることに、違和感をおぼえていた。仮に、その行為を法に問えても、相手の利益につながるとは思えなかった。
ベレスフォード卿も疑問をかかえていた。『風』の魔法で人体を宙にうかせる。そんな芸当ができると、いまだかつて耳にしたことがなかった。
この国において、魔法の才能にめぐまれた者は、出世を約束されたも同然。一家の盛衰を左右するとさえ言われている。
並外れた魔法の使い手なら、相当な地位を得ていてもおかしくない。ところが、ウォルターの顔に全く見おぼえがなかった。
「君はひとかどの魔導士なのだろ? 身なりで身分を偽っていることにせよ、つまらないケンカで魔法を行使したことにせよ、全くもって浅はか。いったい、どこの家の人間だ」
ベレスフォード卿の意図はこうだ。
アシュリーは『風』の魔法を用いる〈風の家系〉の一族。二人組の話を耳にした際、ウォルターがその一族の魔導士だと目星をつけた。
さらに、アシュリーの後ろ盾として、両家の問題に介入する勢力があると警戒した。つまり、ウォルターはその勢力の尖兵であり、今日は村人に扮装して、偵察に来たとふんだのだ。
今となっては、アシュリーとの交渉は二の次。相手の正体をあばいた上で不法行為を追及し、敵対勢力の出鼻をくじく。それを最優先事項に位置づけた。
それを材料にして、交渉を有利に進めることも画策していた。
「自分は貴族ではありません。魔法だって使えません」
「シラを切るのならば、いたし方ない。君の体に聞くしかないか」




