ケイトの過去と今
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戦闘が始まりを告げた頃、パトリックはレイヴン城の宮殿にいた。議場前の廊下で、評議会の開始を待っていた。
臨時の評議会は戦況に応じた迅速な判断を行うため、前日に実施が決定した。しかし、予定の時刻を過ぎても、それは始まらなかった。
せわしない様子で廊下に現れた役人に、パトリックはもの言いたげに視線を送った。先ほどは「まだ全員そろっていません」とだけ告げられた。
「まだクラーク卿が到着されていません。東地区のほうで、避難先をめぐって住民同士のもめ事が起こっているようで。開会はもう少し遅れそうです」
「……全員そろうことが、それほど重要なことでしょうか」
パトリックは顔をそらしてボソッと言った。
「申しわけありません。評議会の原則ですから」
今は国家の存亡を左右する事態。それにも関わらず、体裁にこだわる。これ以上の愚のきわみがあるだろうか。パトリックは胸のうちでため息をついた。
そんな時、控えの間――議員や従者が待機する部屋の一つから、〈資料室〉のケイトがおずおずと出てきた。パトリックと目が合うと、彼女は気まずそうに顔をふせた。
パトリックはバンクス卿――ケイトの父親と親交があり、十年以上前から彼女と顔見知りだ。ただ、ここにいる理由は見当もつかなかった。
バンクス卿は〈火の家系〉指折りの実力者で、元老院議員の常連だが、現在はその地位にない。そのため、父親の連れそいで来ているとは考えにくい。
ユニバーシティのメンバーは大半が戦場に出ている。ひと握りの魔導士が〈止り木〉の警備に当たっているが、彼女がそれに抜擢される実力の持ち主とは思えなかった。
『昔は優秀な魔導士だったんだ』
以前、バンクス卿がグチっぽくもらした話が、ふとパトリックの頭によみがえった。
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この国が『転覆』する前、ケイトはジェネラルや辺境伯に負けずおとらずの魔導士だった。少なくとも、本人はもちろん、彼女を知る者全員がそう認識していた。
その認識は『転覆』後も同様だったが、いつの間にか、ヒドくあやふやなものに変化していた。なお悪いことに、ケイトは記憶と一緒に、魔法の使い方を忘れてしまった。
高い地位にあった彼女の評価は、またたく間に急降下した。いつしか、バンクス卿の口利きで不正に地位を得たとまで、陰口をたたかれるようになった。
彼女は後ろ指をさされながら役職を追われ、閑職に落ち着いた。新しい部署――〈資料室〉は気に入っていたが、周囲からの過大な期待と失望の嵐に押しつぶされ、心はふさぎがちになった。
他人とのコミュニケーションが下手で、以前から挙動不審なところがあった。けれど、現在のようにムダに前髪をたくわえておらず、人の顔を見て話すこともできていた。
もはや、魔法の実力はユニバーシティのレベルに達していなかったが、彼女はそれに加盟することになる。それは父親の意向だった。過去の栄光にすがる思いが強かったからだ。
「アカデミーに活躍の場はないかと思いまして」
パトリックは一度、ケイト本人から相談を受けたことがあった。
「実はゾンビがちょっと苦手で……」
彼女はそんな理由をあげたが、話はウヤムヤに終わった。
後日、なぜか父親が直々に断りを入れに来た。しかも、〈催眠術〉でゾンビ嫌いを克服できないか持ちかけられ、実際、彼女に何度かそれを実行した。
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今日、ケイトをここへ連れて来たのも父親のバンクス卿だ。愛娘を安全な場所へ置いておきたいという、ごくありふれた動機だった。
『ゾンビにすらおびえるお前が、岩の巨人と戦えるわけがない。いいから、この部屋でおとなしくしていろ。戦場に出ても足手まといになるだけだ。誰もお前を非難したりしない』
『だったら、ロクに魔法が使えなくなった私を、なぜユニバーシティに入れたんですか? どうして辞めたいと言った時に、辞めさせてくれなかったんですか? お父さんが家の体面を気にしなかったら、私……』
自分の娘を守りたい、戦場へ送りだしたくない。そんな父親の思いを、ケイトは理解していた。
しかし、父親はユニバーシティ加盟を強要した張本人だ。その一員でなければ、そもそも戦場に出る必要はなく、彼女の心がかき乱されることもなかった。
『この非常時にくだらないことを』
『この部屋へ閉じ込めようとしているのもそうです。私が戦いもせず城にこもっていたら、バンクス家の面目は丸つぶれですもんね」
バンクス卿は怒りにまかせて、ケイトを室内に向けて突き飛ばした。
『ツベコベ言わずに、この部屋にいろ。いいな、この部屋を絶対に出るんじゃないぞ!』
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ケイトはここにいる経緯を、残らずパトリックに打ち明けた。
「あなたはどうしたいのですか?」
「もちろん、戦うのは怖いです。でも、みんな戦っているんです。もし他のみんなもチーフのように死んでしまったら……。そう考えたら、ここで何もせずにジッとしていることが怖くてしょうがないんです」
戦死したネイサンの思いを受けついだウォルターやスコットだけではない。副室長のマリオンや多くの友達、知り合いが戦場に出ている。
それなのに、自分だけが安全地帯でヌクヌクとしている。それが何より許せなかった。
「たとえ生き残れたとしても、私、きっと後悔します。おかしいですよね。こんな時でも自分のことばかり考えてる。そんな自分も嫌になります」
「身もフタもないことを言いますが、あなたの力があるなしでは大勢に影響はありません。足手まといになるという話も事実でしょう。現在の情勢は、あなたが思っている以上に深刻です」
何も言い返せないことに、ケイトはくやしさをおぼえた。
「私もあなたと同じ臆病者です。あなたの先輩と言ってもいいかもしれません」
パトリックが妙なことを話しだしたので、ケイトはキョトンとした顔つきをした。
「私は五年前の事件に深く関与しています。あの大惨事を未然に防止できる立場にありました。しかし、自己保身のために口をつぐみました。あの時、自分の意見を押し通していれば、犠牲者を出さずに済んだのではないか。いまだにそんな悔恨の情にさいなまれています」
「学長。クラーク卿がお見えになりました。まもなく開会いたします」
先ほどの役人が廊下の先から呼びかけてきた。
「私もこれから戦ってきます。後悔しないために、今回は信念をつらぬくつもりです。なので、あなたの行動をとどめるつもりは毛頭ありません。むしろ、積極的に応援したいぐらいです」
予想外の言葉を投げかけられ、ケイトは返す言葉が見つからない。
「岩の巨人が怖くなくなる『暗示』をおかけしましょうか?」
「いえ……、大丈夫です」
ケイトは微笑をうかべ、軽く頭を下げてから、廊下を走り去った。それを見送ったパトリックが、深呼吸をしてから議場へ足を向けた。
パトリックは常々痛感していた。この国の人間に宿る『巫女』という存在の大きさを。全ての記憶を失ってもなお、本能的に畏敬の念をいだき、神聖な存在としてあがめている。
パトリックの戦い――それは『巫女』という呪縛からこの国を解放すること。初めて元老院に対し、公然と異をとなえる。
いや、異をとなえるといった生やさしいものでなく、要求をつきつけると言ったほうが正しいかもしれない。
パトリックは不退転の決意をもって評議会にのぞむ。現在の地位をかなぐり捨ててでも、とことん我を通す覚悟だ。
要求を通すためには大門を突破されたほうが都合がいい。非情な考えが頭にうず巻いても、それを振りはらうことすらしなかった。




