業務中
朝一番に行われる眼鏡橋の点検は主に目視で行われる。
日替わりで変わる担当者二人で端から端まで一往復し、そのあと船に乗って橋の両側から石が崩れたりしていないかを確かめるのだ。
その作業自体は別に問題ないのだが、問題はその作業を一緒にしている作業者にある。
「あぁおっと、ごめんなさい。方向間違えました」
「ねぇ。やっぱり私が船を操作しようか?」
「いえ。マーちゃんの手を煩わせるわけには行かないので」
はっきりというと一緒に作業している人がかなりのおっちょこちょいなのである。それも、体の小さいマノンに重労働をさせるわけにも行かないと思っているらしく、あれもこれもと一人でやろうとするからたちが悪い。
全部とは言わないが、せめて二人で分担するだとかそういう思考に至ってくれればいいのだが、彼女の中にそういった思考はないらしく、マノンが仕事をしようとしても、それを取り上げてしまう。
「ねぇ。やっぱり私が船を操縦しようか?」
あまりにも方向の間違いがあり、下手をしたら岸に戻れなかったり沈没したりするかもしれない。そんな不安からの申し出なのだが、少女はマノンを制止する。
「安心してください。私がちゃんとやるので」
“あなたじゃ不安だから申し出ているんです”という言葉が喉元まででかかったが、グッと押さえる。
しかし、そんな気遣いが逆効果だったらしく、少女はさらに張り切る。
「大丈夫! マーちゃんが不安に思わないように頑張りますから!」
もしかして、不安なのが表情に出ていたのかな。そんなことを思いながら、マノンは小さくため息をつく。
誰もそんなことは望んでいない。そもそも、何を思ってシフトを組んだ人物は私と彼女をペアに選んだのだろうか?
「……点検異常なし」
もっとも、この事に関してはこれ以上考えていてと仕方がない。今は自分の仕事に集中することにしよう。
そう考え、マノンはチェックリストに視線を落として、項目を一つ一つ確認していく。
「柱も異常なし」
「あっ方向間違えた」
「…………」
ダメだ。このまま彼女が妙な失敗をする可能性を考えたらとてもではないが集中してやってなどいられない。
「やっぱり交代しようか?」
交代すると、少女がチェックリストを見ることになるのだが、船が変な方向へと移動し続けて、帰れなくなるよりはましだろう。
「大丈夫! 私、マーちゃんよりは体力があるので」
そう判断しての提案だが、彼女はそれを受け付けない。
どうやら、方向を間違えている点ではなく、体力の心配をしているのだと思い込んでいるらしい。
確かにマノンは彼女に比べて、体も小さいし、体力もないが、そのあたりについては魔法でなんとかなるし、少なくとも方向を間違え続けて無駄に体力を消耗するよりはましだろう。
「ねぇターシャさん」
しびれを切らして、私は彼女の名前を口にする。
「ターちゃんでいいですよ」
「でしたらターちゃん。はっきり言ってあなたの方向音痴に任せていたらいつまで経っても終わらないので、操縦を代わってください」
できるだけ丁寧に、しかし、自分が思っていることはハッキリと告げる。もしかしたら、張り切っている彼女をへこましてしまうかもしれないが、それはそれこれはこれだ。
マノンからハッキリと交代してほしいという言葉をぶつけられた彼女は一瞬、ポカンとした表情を浮かべたあとに小さくうなだれる。
「……やっぱり、私って方向音痴なんですね」
何かのスイッチを押してしまったらしい。ターシャはオールから手を離して、体操座りをする。
「えっと……ターちゃん?」
ある種の予想を超えた反応に驚いてマノンは彼女の顔を覗きこむ。すると、彼女はゆっくりと顔をあげる。
「なーんてね!」
顔をあげた彼女はにやりとした表情を浮かべており、そのままマノンの肩に手を当てて、マノンを押し倒す。
予想外の不意打ちに驚いたせいか、マノンは空に飛び上がって回避することもかなわず、そのまま船の床に叩きつけられ、小さな船は大きく揺れる。
「……何を」
起き上がろうとするも、ターシャはマノンの腹の上に乗り、両手を押さえた。
「やっと捕まえた」
言いながらターシャはクスクスと笑い声をあげる。
「なによ。亜人が気に入らないとかそういう理由からの行動だったら、せめて仕事中以外の時にしてもらいたいのだけど」
押し倒されてもなお、マノンは強気に出る。せめて、この状況からは脱したい。そんな思いから魔法を使って切り抜けようとするが、どれだけやっても魔力が周りに発散するだけで発動することはない。おそらく、マノンが魔法を使うことを想定して、何かしらの対策が打ってあるのだろう。
「……いやだなぁ。この作業以外の時にこれをやったら邪魔が入るかもしれないじゃないですかー」
「邪魔が入るって何をする気?」
待機所の職員がいくらいい人たちだといっても、全員が全員亜人に対していい印象を持っているわけではない。おそらく、彼女はそういった類の人間なのだろう。それは頭の中ではわかっていたことなのだが、少し油断しすぎていた。
「あれ? もしかして、私が亜人嫌いの人間だとか思っていますか?」
「そう思っているけれど?」
マノンが答えると、ターシャは再び笑い声をあげる。
「違いますよ。ほら、私はちょっとした立場の人間でしてね」
そういいながら、彼女はどこからともなく、黄金の片翼が描かれた黒い帽子を取り出す。
「十六翼評議会! なんで?」
十六翼評議会といえば亜人追放令を出したことで有名な組織である。それ以外にも裏でいろいろとやっているのだが、そのあたりのことに関してはマノンはあまり深く知らない。そんな組織の人間がわざわざ待機所の職員に混じって接触してきたのだ。何もないなんて言うことはないだろう。
「……わかりましたね? 二人きりで話をしましょうか。まぁそういうわけで……マノン。私がいいというまでおとなしく寝ていてください」
彼女のその言葉が聞こえた途端、マノンの意識は闇の中へと沈んでいった。
*
マノンが目を覚ますと、自室の天井が視界に入った。
どうやら、後ろ手を縛られてベッドに寝かされているらしい。
「……目覚めはどうですか? あなたは今日、体調を崩して部屋で寝ていることになっています」
そんなマノンの視界の端に怪しい笑みを浮かべるターシャの姿が映る。
「……どういうつもり?」
「素直に話してくれる保証がなかったのでちょっとした細工をさせてもらいました。あぁ一応言っておきますと、人払いの結界が張ってあるのでいくら声を出しても誰も来ませんよ。まぁそういうわけなので拷問だってし放題なわけです」
ターシャが右手でマノンの肌に触れる。その触り方は柔らかいものだったが、左手にナイフがあるあたり、拷問も辞さないというのはある意味で本気なのかもしれない。
「……何を聞く気? 私から聞き出せる情報なんて大してないはずだけど」
「あぁいや、そんなに難しいことを聞くわけじゃありませんよ……私が聞きたいのはヤマムラマコトという名前の男についてです。私が彼について質問をしますので正直に答えてください。それでウソをついていることが判明したら、あなたのかわいい顔が傷つくことになるのでお忘れなく。あぁそれとも、ちゃんとした拷問の道具も持っていますのでそちらの方がいいですか?」
左手でナイフをくるくると回しながら彼女は笑顔でそう言い放った。