気持ち
後日ーーと、それを語る前にあの後の成り行きを説明しておこう。
僕はあの後、泣き腫らした真っ赤な眼で夢見一家を訪問する訳にも行かず、帰路につきながら夢見家に電話を入れた。
電話には沙奈江さんが出た。
不慮の事故だ、と。
そう言ってくれ、と。
僕は江利香のその文を見てしまった訳だが、全てを知ってしまった上で、どうして嘘をつくことが出来るだろうか?
僕は包み隠さず、白夜叶愛の推理を僕なりに整理し、順序立てて沙奈江さんに全てを説明した。
対し、僕は沙奈江さんが例の飲食店に怒りを爆発させるんじゃないかと心配していたが、余計な心配だった。
『そう…あの子、やっぱり無理して笑ってたんだね』
震えた声で、電話先で沙奈江さんはそう言った。
最後に『ありがとう、尚弥君』とまで言われた。
僕に礼を言われる道理なんて、それはもう微塵としてない訳だけれども、その時の僕はと言えば「いえ…」と力無く応対する事だけで精一杯だった。
僕は「また後日に江利香の遺書とも取れる漫画ノートを渡しに行く」と約束し、電話を切ったのだった。
と、言う訳で一週間後ーーつまり、後日。
僕はこの日、夢見家にノートを渡しに行くという約束を抱えたまま、午前中に行きつけの喫茶店Happinessに訪れていた。
カウンターに僕一人の相変わらずガランとした風景だった。
「はぁ…」
僕は心の奥底から溜息を吐き出した。
マスターがコーヒーを差し出してくる。
「どうしたんだい?そんな暗い顔して」
「いや、まぁ…色々ありまして…」
この感じ、割と最近見たデジャブのような気分。
「ふぅん、色々ねぇ。
そういう日もあるよねぇ、生きてればさ」
「えぇまぁーー本当に」
生きてればーーか。
言葉を濁しながら、僕は右腕の肘をテーブルについて、手の平で顎を支える。
マスターは自分のコーヒーを淹れている。
「まぁーー尚弥君は意外と行動に打って出るタイプだからねぇ。
一度厄介事に巻き込まれると抜け出せないんだろうね」
“巻き込まれると”と、マスターはそう言ってくれるが、今回ばっかりは僕自身から首を突っ込んだ感が否めない。
そうじゃなくても、江利香のあのノートの後書きを見てしまえば、全く無関係だったとはどうしても思えないのである。
「あ、そう言えば最近、白夜さんとか結ちゃんとか来ます?」
ふと思いついた質問。
というか、そういう程を装った質問だ。
例の白夜叶愛の最後の台詞。
ーーまたいつかお会いしましょう。
その言葉を純粋に信じてはいたのだが、僕には、あれがこれっきりの別れの挨拶とも取れる様な気がして、偶然でも起きてまたバッタリ会えないかと、この一週間はずっと此処に通っているのだ。
「いやぁ、最近は見てないねぇ」
マスターの答えに僕は何故かがっかりしたような気分だった。
「ですよねぇ…」
大体分かっていた答えに、用意していた答えを充てがいながら、僕はこの喫茶店の掛け時計を見た。
十時十五分。
ーーそろそろかな。
僕は約束のノートを片手に、席を立った。
取り敢えずはこの仕事を終える事にしよう。
そう気持ちを切り替えた。